内的自己対話-川の畔のささめごと

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隠された内なる彫像の輝きを取り戻すための離脱 ― 説教「高貴なる人について」(三)

2016-08-31 11:40:59 | 読游摘録

 説教「高貴なる人について」の中で、離脱の実践がどのようなことからなるのかを説明するために提示される第三の暗喩は、彫刻家の制作と修復されるべき隠された彫像である。エックハルトは両者を混合させているのだが、そのことを後注の中で明確かつ詳細に指摘している Alain de Libera の仏訳をここでは引く。

Quand un maître fait une statue en bois ou en pierre il n’introduit pas l’image dans le bois ; il enlève, au contraire, les éclats qui cachaient et couvraient la statue. Il n’ajoute pas au bois, il lui enlève quelque chose, il fait tomber sous son ciseau tout l’extérieur et fait disparaître la rouille, et alors peut resplendir ce qui se trouvait caché au-dedans (Eckhart, Traités et sermons, traduction et présentation par Alain de Libera, 3e édition, corrigée et mise à jour, GF Flammarion, 1995, p. 177).

 彫刻家は、木や石から一つの彫像を作るとき、そこに像を入れ込むのではない。それとは真逆に、像を覆っている余計なものを取り除く。木に何かを加えるのではなく、何ものかをそこから取り除く。鑿を使って外的なものを削り、くすみを落とす。そうすることで内に隠されていたものが再び輝きを取り戻す。
 離脱、つまり魂の内的解放は、「取り除く」「削る」「削ぎ落とす」などの作業からなる。何かを加えるのではなく、何かを取り除く。魂の内奥に現前する神の像が再び輝きを取り戻すのはそのような作業を通じてである。
 エックハルトが「高貴なる人について」の中で神の像について三つの暗喩を語るとき、プロティノス、オリゲネス、偽ディオニュシウス・アレオパギタらの系譜に連なっていることは明らかである。


















































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