内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

西田太一郎『漢文の語法』(角川ソフィア文庫)― 今月の文庫新刊から

2023-01-28 18:45:28 | 読游摘録

 角川ソフィア文庫や講談社学術文庫の新刊をこのブログではときどき紹介しています。私自身興味がある本についての覚書としてそうしているだけのことで、紹介するからといってどこからも一銭も受け取っていませんし、その紹介記事を読まれた方が紹介された本にご興味を持たれて購入されたとしても、やはり一銭の実入りもありません。
 ただ、「ねぇねぇ、今月の新刊の中にこんな面白い本がありますよ」ってお知らせして(余計なお節介かもしれないですが)、「あっ、それ、面白そう。読んでみようかな」って思ってくださればそれでいいのです。
 さて、今月の新刊の中で私がご紹介したいのは、角川ソフィア文庫の一冊として刊行された西田太一郎『漢文の語法』です。初版は1980年に角川小辞典として刊行された単行本で、それに齊藤希史氏と田口一郎氏が厳密な校訂・解説を加えたのが今回の新版です。
 本書は初級の終えた学習者が漢文読解力をさらに高めることを目的として書かれました。延べ1270にのぼる文例とその訳文が本書の主体です。もっとも基礎的な文型から始まり、徐々に高度な語法へと進んでいきます。上級者にとっても有用な、内容のきわめて充実した高度な指南書であるというのが本書の初版以来の定評です。
 齋藤希史氏の解説は、本書の読み方・活かし方について、読者のレベルと関心と目的に応じて、さまざまに可能な読み方を明快に提示してくれています。その解説の最後に、齋藤氏自身の本書にまつわる若き日の思い出と今回の校訂作業についての感想が記されています。それは単なる思い出や感想であるばかりでなく、学問の基礎は何なのかという問いについてとても示唆的です。

四十年前の初心者が、漢文を少しは読めるようになりたいと一念発起して、手もとにあった原著の文例を白文ですべて大学ノートに書き写したことがありました。それをコピーしたものに句読点を打って、原著と照らし合わせて復習すれば、いくらかは読解力もつくだろうと考えたのです。どれくらい時間がかかったか記憶はさだかではありませんが、とりあえず書き写して、また句読点を打ってという作業はひととおり終えました。復刊のための校訂作業もそれと似たところがあり、没頭しているうちに、いつのまにか時間が経ってしまいました。共同校訂者の田口さんも原著の愛用者で、全ページにわたって詳細な書きこみをした一冊をまた最初からめくり、『漢文の語法』の世界に潜りながら、作業を進められました。ただひたすら読むということに誘う力がこの書物にはあるのでしょう。著者の謹厳かつ熱のこもった読解の実践が読者にも伝わるということでしょうか。

 いまさら漢文が読めたからってそれが何になるの、ましてや齋藤氏が実践した方法をいまあらためて実行することにどれだけの意味があるの、と疑問に思われる方も少なくないかも知れません。しかし、漢文は、古代以来、日本文化の背骨をなしてきたのであり、それをないがしろにすることは、それこそ日本語を骨抜きにしてしまうことにもなりかねません。
 それ以前の問題として、何語であれテキストを読むことにおいて、謙虚かつ厳密であるという姿勢は、人の言葉に耳を傾ける姿勢の要諦とも相通じるものがあります。
 電子媒体で大抵は事が済むというやたらに便利な世の中になってしまって、手間隙かかる手作業を疎かにしがちな私たち現代人は、いつのまにか、言葉に正面から真剣に向き合うための基本中の基本を忘却してしまっているのかも知れません。
 本書(電子書籍版というのがちょっと悲しいのですが)を紐解きながら、そんなことを考えた土曜日の夕暮れでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿