内的自己対話-川の畔のささめごと

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『紫式部日記』再読 ― 四半世紀の時を超えて

2024-01-25 23:59:59 | 読游摘録

 『紫式部日記』は、私が日頃から愛読している日本古典のなかでもひときわ思い出深い作品である。1998年、ストラスブール大学の日本学科に語学講師として採用された年、最初に担当した四つの授業のうちの一つが、当時は学部しかなかった学科の最高学年である学部三年生の古典購読であった。登録学生は六名であった。実に隔世の感がある。
 教材として筑摩書房の『日本古典読本』(1988年)を選んだ。この読本は今見てもとてもバランスよく構成されている良書だと思う。今も手元にあり、仕事机に向かって座ったまま右手の書架からすぐ取れるところに並べてある。
 この読本のなかからいくつかの作品の抜粋を私の好みにしたがって選んで教室で読んだ。同時に古典文法の初歩を学びながらの購読であったから、一回二時間の授業で数行しか読めなかったが、それだけに一字一句ゆるがせにしない読みができたと思う。
 『紫式部日記』からは著名な冒頭箇所が選ばれている。

秋のけはひ入りたつままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。池のわたりのこずゑども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたの空もえんなるに、もてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまさりけり。やうやう凉しき風のけはひに、例の絶えせぬ水のおとなひ、夜もすがら聞きまがはさる。御前にも、近うさぶらふ人々、はかなき物語するを聞こしめしつつ、なやましうおはしますべかめるを、さりげなくもてかくさせたまへる御ありさまなどの、いとさらなることなれど、うき世の慰めには、かかる御前をこそ、たづねまゐるべかりけれと、うつし心をばひきたがへ、たとしへなくよろづ忘らるるも、かつはあやし。

 何度読んでもその深沈たる美しさにため息が出る。感覚の協働の実に見事な叙述であるこの冒頭を、教室では声に出して何度も読んでテキストの音声としての美しさにも注意を促しながら、解説していった。この読解は学生たちにも深い印象を残したようで、出席していた学生(すでにジャーナリストとして働いていた女性だった)の一人と数年後に再会したとき、この授業のことを懐かしく語り合ったことは当時の良き思い出の一つとして忘れがたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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