内的自己対話-川の畔のささめごと

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感覚と科学との間の関係と非連続性 ― ジルベール・シモンドンを読む(65)

2016-05-09 05:24:07 | 哲学

 シモンドンがその個体化理論によって示そうとしていることは、具体的に生成しつつある個体そのものが科学の対象として考究され得るということである。ここでいう「科学」とは、自然科学には限定されない。人文社会科学も覆う広い意味での科学である。
 私たちの現実の経験の中で直接感得された感覚与件は、確かに、そのままでは科学的考究の対象にはなりえない。しかし、生きている個体とその環境との間の感覚におけるこの最初の「関係」がなければ、そもそもいかなる科学も始まらない。

La théorie de la connaissance doit être modifiée jusqu’à ses racines, c’est-à-dire la théorie de la perception et de la sensation. La sensation doit apparaître comme relation d’un individu vivant au milieu dans lequel il se trouve. Or, même si le contenu de cette relation ne constitue pas d’emblée une science, il possède déjà une valeur en tant qu’il est relation. La fragilité de la sensation vient avant tout du fait qu’on lui demande de révéler des substances, ce qu’elle ne peut à cause de sa fonction fondamentale. S’il y a un certain nombre de discontinuités de la sensation à la science, ce n’est pas une discontinuité comme celle qui existe ou qui est supposée exister entre les genres et les espèces mais comme celle qui existe entre différents états métastables hiérarchisés (p. 92).

 認識理論は、その根幹である知覚論・感覚論から徹底的に見直されなくてはならないとシモンドンは考える。感覚は、生きている個体とその環境との関係である。この関係の内容がそのまま一つの科学になるわけではもちろんない。しかし、個体と環境との関係である感覚の内容は、今ここでの具体的な関係という価値を持っている。
 感覚が不確かな危ういものと見なされるのは、感覚に実体を開示するように求めるからである。ところが、これはそもそも感覚にとっては無理な要求なのである。なぜなら、感覚は本質的に関係性であるにもかかわらず、実体とはその関係性なしにそれ自体で存在するもののことだからである。
 感覚と科学との間にある非連続性は、類と種との間に在る或いは在ると想定されているような非連続性ではなく、階層づけられた様々な準安定性状態間に有るような非連続性なのだとシモンドンは言う。

























































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1 コメント

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シモンドンを熟読すれば… (franoma)
2016-05-10 19:22:15
ルーマン社会学と
プリゴジンの
橋渡しになる研究がスタートできそうですね!

いつも素晴らしい記事をありがとうございます。
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