内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

内奥は人間の所有に帰されるものではない

2016-08-26 11:08:02 | 読游摘録

 エックハルトにおける内奥(l’intime)は誤解を招きやすい概念でもある。
そこでMangin 氏は、内奥と類似しており混同されがちな三つの概念を挙げ、それらそれぞれと内奥とがどこでどう違うのかについて私たちの注意を促す。
 まず、内奥はいわゆる内部(l’intérieur)ではない。より正確に言えば、「最も内なるもの」(« le plus intérieur »)は、内部とは質的に異なる。そこにあるのは、単なる量的な違い以上のものである。内部は、外部との対立において確かに限界づけられた空間を指し、内的空間としてものの限界の内にあり、魂の諸種の働きによって限定されている。
 ところが、人間の内にはより最終的な何ものかがあり、それが人間をして様々な外的顕現には還元不可能な存在にしており、それゆえ人間存在は感情的・理性的生活には還元されない。
 内奥は、人間の所有に帰すことのできない何ものかであり、「空間なき空間」(« un espace sans espace » )であり、底なき深淵であり、あたかも無限の大海の中へ身を投ずるようにそこに身を委ねなくてはならないものである。






































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