内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

本人が知らぬ間に密かに準備されていた「予期せぬ」出逢い

2023-02-19 23:59:59 | 読游摘録

 著者について何の予備知識なしにある文章を読んでいきなり心惹かれるということは誰にもあることだと思う。私にとって昨日の記事で話題にしたマリー=マドレーヌ・ダヴィの場合がそうだった。それはまったく予期せぬ出逢いであり、発見である。かねてより彼女のことをよく知っている人たちは、今頃になってようやくかと憫笑するかも知れないが、本人にとっては大きな喜びである。
 曖昧な記憶のままに言及することになるが、音楽評論家の吉田秀和が、自分がすでに知悉している曲について、それを知らない人たちにはその曲を発見する喜びがまだ残されていることを羨むという趣旨のことをどこかに書いていたと思う。それと同じことが書物や著作家についても言える。だから、もっと早くに出逢っていればという一抹の後悔がないわけではないが、逢えてよかったという歓喜はそれを掻き消すほどに大きい。
 ただ、こうも思う。この予期せぬ出逢いも実は本人がそれと知らぬ間に密かに少しずつ準備されていたのではないか、と。というのも、ダヴィの著書のそこここに自分にとって馴染みのある名前を少なからず見出しているからだ。エックハルト、メーヌ・ド・ビラン、ジャン・バリュジ(1881-1953)ジャン・ヴァール(1888-1974)、ガブリエル・マルセル(1889-1973)、ミルチャ・エリアーデ(1907-1986)、シモーヌ・ヴェイユ(1909-1943)、ミッシェル・アンリ(1922-2002)、ピエール・アド(1922-2010)など。
 もともと自分が馴染んでいた精神の「気圏」の中で産み出された著作であるからこそ、はじめて読むのに親近性と懐かしさを即座に感じたのだろう。しかし、それはすでにこちらがすでによく知っていることをそこに見出したような、ほっと安心するような居心地のよさとは違う。自分がかねてより見出したい、たどり着きたいと切願していた表現世界がこんなにも美しく、表情豊かに、広大に、そして深々と繰り広げられていることへの驚嘆と歓喜と感謝を伴っている。
 この精神の「気圏」の中で思索し表現するもので私もありたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿