内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

未来の翳りに迫られながら親友交歓

2022-08-24 23:59:59 | 雑感

 高校一年のときからほぼ半世紀の付き合いの親友と二子玉川で二年半振りに会う。
 同月生まれの私たちは前期高齢者ゾーン突入まで残り一年を切った。日本社会の現状についての悲憤慷慨、それに対する無力の自嘲、将来について具体的に先鋭化していく不安、年々暗さを増す未来を前にしての戦慄等々を私たちは共有している。美味いつまみをつつきながら、これら旨くもない話題を肴にしての五時間ほどの歓談であった。といっても、二年前に酒を止めた彼が飲んだのはノンアルビールとお茶とコーヒー、酒はもっぱら私の「担当」であった。
 以前は毎回帰国のたびにどこかで会っていた。前回は二〇二〇年正月に彼の自宅を訪ねた。今から思えば、そのときすでに中国武漢ではコロナ禍が深刻の度を増していたわけだが、当時はまだどこか対岸の火事のようにニュースを聞いていた。その二ヶ月後にはコロナ禍は世界を席巻し、フランスでも三月一六日に厳しい外出制限令が発令されたのであった。
 それから二年半ほどが経ち、いまだにコロナ禍の渦中にあるとはいえ、行動制限や入国規制等徐々に緩和され、それだけ行動の自由が戻ってきたのにはやはり少し安堵する。
 もちろん各自ができる感染予防対策は注意深く実践し続けなければならない。しかし、大多数の人たちが目に見えない脅威に怯え、その怯えが過度の不安感を社会に蔓延させ、その不安感に「感染」した人たちが「正しい」自分とは違う他者に対して取る過剰に攻撃的な態度が少しずつでも減少していくことを願わずにはいられない。
 いずれにせよ、未来は暗い。その暗さは滅亡にまではまだいくらか時間が残されているということを意味しているのであろうか。
 「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」(太宰治『右大臣実朝』)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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