内的自己対話-川の畔のささめごと

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認識の個体化と論理の複数化、「序論」最終コーナーを曲がる ― ジルベール・シモンドンを読む(57)

2016-04-17 05:14:35 | 哲学

 いよいよ最終段落の最終部分です。「序論」読解を長距離走に喩えるならば、最終コーナーを曲がり、もうゴールが見えてきたところとでも言えばいいでしょうか。ただ、この最後の部分はちょっと長い。そこで、ゴール手前で息切れしてばったり倒れてしまわないように、その読解を二日に分け、さらにそれぞれの日に読む文章を細かく切り分け、少しずつ、所々で立ち止まりながら、読んでいきます。

La classification des ontogénèses permettrait de pluraliser la logique avec un fondement valide de pluralité. Quant à l’axiomatisation de la connaissance de l’être préindividuel, elle ne peut être contenue dans une logique préalable, car aucune norme, aucun système détaché de son contenu ne peuvent être définis :

諸種の個体発生の分類は、複数性の有効な基礎とともに論理を複数化することを可能にするだろう。前個体化的存在の認識の公準化に関して言えば、それがなにか先在的論理の中に含まれているということはありえない。なぜなら、いかなる規範も、いかなるシステムも、その内容から切り離されては、規定のしようがないからである(訳注:訳文中の最後の文は原文に忠実な訳ではありません。しかし、原文に忠実に訳すと、規範の方は無条件に規定不能という意味になってしまい、文脈にそぐいません。そこで、敢えてこう訳しました)。

 具体的な諸種の個体発生の現場に立てば、それぞれの個体が内属するシステムのタイプの違いに応じて複数の論理がそれぞれのシステムの生成とともに形成される過程が見えてくるだろう。この予想は、次のテーゼと表裏一体です。それらの諸種の個体発生以前の状態である前個体化的存在は、何か一つの論理によって支配されているのではなくて、そこから個体発生とともに複数の論理が生まれてくる準安定的潜在性に外ならない。

seule l’individuation de la pensée peut, en s’accomlissant, accompagner l’individuation des êtres autres que la pensée ;

ただ思考の個体化のみが、己自身を実現することによって、思考以外の諸存在の個体化に付き添うことができる。

 個体化を思考する主体は、あらゆる個体化過程をあたかも神のごとくに天から見そなわすいかなる個体化にも属さない超越的観点ではありません。思考も思考する主体もまた個体化過程にあるのです。主体に担われ個体化されていない思考というものはそもそもありえない。思考は、と言っても、思考の主体は、と言っても同じことですが、己自身を個体化することによってその他の諸存在の個体化に、いわば寄り添うときにはじめて、個体化を思考することができるのです。

ce n’est donc pas une connaissance immédiate ni une connaissance médiate que nous pouvons avoir de l’individuation, mais une connaissance qui est une opération parallèle à l’opération connue ; nous ne pouvons, au sens habituel du terme, connaître l’individuation ; nous pouvons seulement individuer, nous individuer, et individuer en nous ;

私たちが個体化について持ちうるのは、それゆえ、直接的(無媒介な)認識でもなけば間接的(媒介された)認識でもなく、認識された作用と併行する作用(操作)である。私たちは、その言葉の通常の意味においては、個体化を認識することはできない。私たちができることは、ただ個体化し、己自身を個体化し、私たちにおいて個体化を実行することである。

 個体化を認識するということは、あるいは個体化が認識されるということは、個体が単に直観的に把握されるということでもなければ、何か概念装置を使って対象としての個体を外から分析してみせることでもありません。この意味では、個体化は認識不可能です。私たちは、個体化を実行し、自ら個体化し、己において個体化を現実化することによってはじめて、一言で言えば、己自身を一つの個体化過程として実践することそのことによってはじめて、内的共鳴可能存在として個体化過程に自ら参入するのです。
























































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