内的自己対話-川の畔のささめごと

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人類への贈り物としての『万葉集』の「心」を世界へと開く翻訳

2017-11-17 22:49:27 | 読游摘録

 心身ともに疲労しているとき、良き大和言葉を心が欲する。古典は特に心身に沁みる。声に出して読む、つまり誦すると、我が声を通じて言葉の響きが直に心に触れてくる。干乾びた心身に慈雨のごとくに滲み込む。心身が潤う。どんな薬も酒もそれには及ばない。『万葉集』は特に。
 先週体調を崩し、まだ体調が回復しきらないこともあり、さすがにアルコールはここのところ控えめ。というか、飲んでも美味しくないから、おのずと酒量は減る。その分、「よむ薬」の摂取量が増える。
 現代の第一線の優れた万葉集学者の一人である小川靖彦氏の『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』(角川選書、2014年、電子書籍版)の第八章「『万葉集』の未来」にこうある。

『万葉集』は決して”日本人にしかわからない“ものではないのです。人間とは何か、人間が生きるとは何か、を問いかけた普遍的な文学として、世界の人々に開かれたものなのです。

 この箇所の直前に、リービ英雄氏の『英語で読む万葉集』(岩波新書、2005年)からの引用がある。それは、山上憶良の「老身重病の歌」の反歌(巻五・九〇〇)についての評言である。

十九世紀のロンドンに住んだイギリス人が書いたと言っても少しも疑われないほど、何の抵抗もなく英語詩にすぐに置き換えられる。

 その反歌とは、次の歌である。

富人の 家の子どもの 着る身なみ 腐し棄つらむ 絹綿らはも

これをリービ氏は次のように英訳する。

O cottons and silks of the rich,
more than can dress
their few children’s bodies,
that they let rot and throw away !

ちなみに、René Sieffert の仏訳は次の通り。

Des riches maisons
les enfants ont plus d’habits
que n’en peuvent porter
ah les vêtements de soie
qu’ils peuvent gâter et jeter

 翻訳は、ある言語が包蔵している人類への贈り物をその言語的特性を超えて世界へと伝えるための変換作業とも言えるのかも知れない。











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