内的自己対話-川の畔のささめごと

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『源氏物語』「夕顔」の巻にリアルに描出された都市下層社会の情景

2024-05-17 03:07:51 | 読游摘録

 大西克礼の『幽玄とあはれ』(一九三九年、岩波書店)を読み進めるのに並行して、平安時代における感動詞「あはれ」の用法を調べていて、『源氏物語』「夕顔」の巻の以下の一節に行き当たった。

八月十五夜、隈なき月影、隙多かる板屋、のこりなく漏り来て、見ならひたまはぬ住まひのさまもめづらしきに、暁近くなりにけるなるべし、隣の家々、あやしき賤の男の声々、目覚まして、「あはれ、いと寒しや」「今年こそ、なりはひにも頼むところ少なく、田舎の通ひも思ひかけねば、いと心細けれ。北殿こそ、聞きたまふや」など、言ひ交はすも聞こゆ。いとあはれなるおのがじしの営みに起き出でて、そそめき騒ぐも程なきを、女いとはづかしく思ひたり。艶だち気色ばまむ人は、消えも入りぬべき住まひのさまなめりかし。されど、のどかに、つらきも憂きも、かたはらいたきことも思ひ入れたるさまならで、わがもてなしありさまは、いとあてはかに子めかしくて、またなくらうがはしき隣の用意なさを、いかなる事とも聞き知りたるさまならねば、なかなかはぢかかやかむよりは罪許されてぞ見えける。ごほごほと鳴る神よりもおどろおどろしく踏みとどろかす唐臼の音も、枕上とおぼゆる、「あな、耳かしかまし」とこれにぞ思さるる。何の響きとも聞き入れたまはず、いとあやしう、めざましき音なひとのみ聞きたまふ。くだくだしきことのみ多かり。

 この一節を『源氏物語を読むために』第三章「色好みの遍歴」のなかで引用して、西郷信綱はこう述べている。

都市下層社会のこうした情景は、他の物語にはあまり見かけぬところだし、この作でもほとんど唯一のものだが、それがやんごとない貴公子の恋の遍歴の一節となっている点に、この巻の面目がある。貴族たちの耳にする臼の音といえば、せいぜい香料をついて粉にする「鉄臼の音」(梅枝)くらいだったろう。ここでは穀類を足で踏んでつく臼の音が、朝の枕上に雷みたいにひびいてくるのである。貴族社会から離脱しこういう世界に、短期間とはいえ源氏が降りてこられたのは、惟光なるものがいたればこそである。

 物語の中では、光源氏がこのように都市下層社会の「あわれな」日常を覗く機会が得られたのは、西郷が言う通り、彼を手引した乳母子の惟光のおかげだが、これだけリアルな描写が紫式部にできたのは、それに相当するような現実世界を彼女が直接自分の眼でつぶさに観察する機会をもったことがあるからであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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