内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

メディア・リテラシー前期期末試験問題 ― デジタル・メディアの「再帰性」の中をいかに生きるか

2021-12-22 23:59:59 | 講義の余白から

 先週金曜日に公表したメディア・リテラシー前期期末試験の問題は、前期後半に読んできた石田英敬の『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書 2016年)からの出題。しかし、授業で読んだ章からではなく、授業では触れることもなかった最終章第6章「メディア再帰社会のために」の抜粋の読解を前提とした設問である。
 少々長いが、その抜粋を全部引用しよう。

 メディアがデジタル化すると、メディアは再帰化する。そのように書くと、何が何だか分からないと思われるかも知れませんので、この点を少し説明します。
 「再帰性」とは、このとき、内容や相手や状況に応じて、そのつどそれ自身のあり方を変化させて調整する、というほどの意味です。その元にある原理は、サイバネティクスの「フィードバック」という考え方です。

 デジタル・メデイアとは、そのつど関係性が自律的に生成する場であり、しかも無限の記憶の貯蔵庫であり、それゆえにむしろ、ユーザーの行動を予め決定してしまうプログラムであり、いつでもどこからでもヒトとモノを現前へと呼び出すことができる「プラットフォーム」となったのです。

 プラットフォーム化とはすなわち、読む人、見る人、使う人によって情報が刻々と変化していくということです。たとえばテレビは、チャンネル・時間によって内容が決まっている。新聞も、そこに掲載される内容は決まっている。
 ところがYouTubeやツィッターやフェイスブックやニコニコ動画などはメッセージ・フリーで、ユーザーのアクションによってメッセージが変化していく。ですから、ときに新聞、ときにラジオでテレビ、ときにミュージックビデオというように、そのつど変化するコミュニケーション基盤としてのITプラットフォームというわけで、現在ではそちらのほうへどんどん人びとが移動している。

 みんながどんどんそのプラットフォームを使っていくと、こんどは人間の生活そのものがアルゴリズム化していくということが起こります。先ほど、記号は必ず情報とセットになっていると言いました。記号は情報として処理されるため、記録が残っていく。そうすると情報は、人びとの記号生活の影(分身)のような存在となる。
 たとえばあなたがアマゾンで買い物をすればするほど、趣味や読書の傾向・考え方などがフロファイリングされていく。このことにより、アマゾンのプロフィールがあなたにどんどん近づいていく。つまりそこでは、あなたの輪郭がはっきりしてくるわけです。そうなれば、アマゾンでの買い物はますます便利になりますよね。あるサイトを使えば使うほど、それがあなたにフィットしていくわけですから。あるいはマイクロソフトのワープロソフトWordで文字を入力すると、あなたがよく使う言葉遣い・熟語をすぐに提示してくれる。Wordも使えば使うほどどんどん変換精度が上がっていきますから、あなたが文章を書くことをさらにサポートしてくれるようになる。つまりここでは、あなた自身の情報入力がアルゴリズム化・計算式化され、予想可能になっていくわけです。

 たとえば私たちは日頃、いろいろな人とメールをやりとりしている。そこでは注意力が奪われるので、少し疲れてしまう。あるいは、ネットサーフィンをずっとしていても疲れますよね。そこでは我々の注意力を奪おうとして、いろいろなものが割り込んでくる。マルチタスク・インターフェイスですので、メールが来たりニュースのアラートがかかったりする。テレビを見ている時、我々はチャンネルを変えることしかできない。しかしパソコンやスマートフォンでは、そういった情報がどんどん割り込んでくる。しかも自分もどんどんリンクして、ページを飛んでいく。マルチタスクに対応していると、知らず知らずのうちに注意力散漫になる。いつも、メールが来ていないかとか、新しいニュースがあるだろうかとか、いろいろなものが次々と割り込んでくる情報生活に慣れてしまうと、それがないとかえって落ち着かなくなって気もそぞろということになっていませんか。かくいう私もときにそんな自分に気がつきます。

 元が講義で話し言葉の調子が保たれており、構文も比較的単純、語彙レベルも高くなく、内容的にも学生たちが日頃実感していることでもあるから、テキストの理解に困難を覚えることはないだろう。
 問題として与えたのは、私たちがその中で生きている現代の情報消費社会の中で、デジタル・メディアの再帰性に一個人としてどのように向き合っていくべきか、という問いである。つまり、テキストの読解を前提として、自分自身の自己同一性の問題としてデジタル・メディアの再帰性について考えてみよ、と問うているわけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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