内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

オンリー・サイテーション・モード(5)西田幾多郎「我が子の死」より

2024-03-25 00:00:00 | 読游摘録

親の愛は実に純粋である、その間一毫のも利害得失の念を挟む余地はない。ただ亡児の俤を思い出ずるにつれて、無限に懐かしく、可愛そうで、どうにかして生きていてくれればよかったと思うのみである。若きも老いたるも死ぬるは人生の常である、死んだのは我子ばかりではないと思えば、理においては少しも悲しむべきところはない。しかし人生の常事であっても、悲しいことは悲しい、飢渇は人間の自然であっても、飢渇は飢渇である。人は死んだ者はいかにいっても還らぬから、諦めよ、忘れよという、しかしこれが親に取っては堪え難き苦痛である。時は凡ての傷を癒やすというのは自然の恵であって、一方より見れば大切なことかも知らぬが、一方より見れば人間の不人情である。何とかして忘れたくない、何か記念を残してやりたい、せめて我一生だけは思い出してやりたいというのが親の誠である。

初出 藤岡作太郎『国文学史講話』序、一九〇八年(『西田幾多郎随筆集』岩波文庫、一九九六年)所収。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿