内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

母の命日 ― 墓参記

2016-12-22 18:42:40 | 雑感

 今日は母の命日です。二年前の今日亡くなりました。まだ二年、もう二年です。その日の夕方、親族に囲まれながら、自宅で最後の息を穏やかに引き取りました。在宅介護専門の看護師さんがもう最期ですからと私たちにそっと合図をし、私と妹は母の左右の手をそれぞれ握り、最後の感謝の言葉をそれぞれに母に向かって述べることができました。
 今日は、妹と二人で八王子にある霊園まで電車とバスを乗り継いで墓参りに行ってきました。墓に着くと、驚いたことに、すでに花が飾ってあります。その新しさからして、今朝か昨日にどなたかお参りに来てくださったようです。霊園は都心から少し離れており、車でもちょっとついでに立ち寄れるような場所にはありませんから、わざわざ来てくださった方があったのです。ありがたいことです。
 私たちが持参した花とすでに供えてあった花とを妹が上手に組み合わせて供え直しました。墓石に深く刻まれた家名の溝には、半年もすればどうしても汚れが溜まってしまいます。それを持参した掃除セットでできるだけきれいにし、墓石全体を濡れたタオルで丁寧に拭いてから、母にこの一年の出来事の報告をそれぞれいたしました。同じ墓に母と二人で眠っている父もそれを聴いていたことでしょう。
 年齢のせいもあるのかも知れませんが、近年は墓参りを大切に思うようになりました。それは墓の中に故人が眠っていると本気で考えているからではなく、墓参りのために家を出るときから始まって、墓に参り、場合によっては同行した者同士でその後に食事を一緒にし(今日もそうでした)、そして家に帰るまでのすべての行程を、幽明界を異にした故人との交流の時間だと思うようになったのです。
 その間、ずっと故人の話をしているわけではもちろんありません。今日などは、妹と、行き帰り、食事中、いろいろなことを話しました。そこにときどき母のことも挿話的には出てきますが、むしろ母も、そして父も、どこかで私たちの会話を聴いている、あるいは参加しているように私には思えたのです。
 今日は、十二月とは思えない暖かさでしたが、午後から雨との予報で、空模様が少し心配されました。幸い、雨が降ったのは、私たちが車中にいるときだけでした。駅を出ると路面がまだ濡れているのを見て、すで雨が降った後だということがわかりました。行きなどは車中で私たちが会話に夢中になっていて乗換駅で降り損なったために、二時間以上かかってしまいました。それでかえって雨に降られずに済んだのです。そのことを私は母と父とに感謝したいと思います。












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