内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

二十一世紀という異世界

2023-09-07 08:45:59 | 日本語について

 『三省堂国語辞典』(第八版、二〇二〇年)の箱の帯には、「新語に強く、説明はやさしい」、「新しく生まれたリアルなことばを多数収録! ウェブだけでは得られない価値ある情報が満載!」とある。確かに、新語の収録数では、小型国語辞典のなかで群を抜いている。
 それらの新語、あるいは既存の語の新用法は、主に若者たちによって使われている。漫画、アニメ、コンピューターゲームなどに由来することが多いようだ。ウェブなどで若手俳優のインタビュー記事を読むとき、この手の言葉に出会うことが多い。
 「世界線」 相対性理論の術語としてはかねてよりあったが、若者たちがこの語を現在使うのはまったく別の意味においてだ。『三省堂国語辞典』によると、「①〔いくつかの中から選ぶ〕世界の進む方向。『別の―に行く』〔コンピューターゲームの『シュタインズ・ゲート』から、二〇一〇年代に広まったことば〕、だそうな。
 「斜め上」 もとは普通の言葉だったが、「②〔俗〕それまでの流れからは考えられないこと。『予想の―を行く展開・―の反応』〔一九九五年、富樫義弘の漫画『レベルE』から出たことば、二十一世紀になって広まった〕」。「ふーん、そうなの」。
 「なにげに」 「③〔表面はなにげないようすで〕意外に。けっこう。『ほめられると―うれしい・お茶が―おいしい』。その後に、「なにげに」の用法全体について、「一九七〇年代に例があることばで、一九八〇年代後半~九〇年代に広まった」と注記があり、さらに、「③の用法は二十一世紀になって広まった」とある。確かに、昭和の時代から聞いた覚えがあるような気がするが、③は、昨日の記事で話題にした「ふつうに」とだいたい同じ頃に登場したということか。
 「パリピ」 「〔←パーリーピーポー(party people)〕〔俗〕いつもパーティーをしてさわいでいる(ような、軽薄な)人。〔二〇一〇年代に広まったことば〕」。「ほんとにいるの、こんな人たち?」
 「はんぱない」 「〔俗〕←半端でない。パない。パねえ。『―食欲・〔副詞的に〕半端ねえ うまい』〔一九九〇年代に例があり、二十一世紀になって広まったことば〕」。
 これらの言葉の用法を眺めていると、二十一世紀が私にとってどんどん異世界になっていくように思われてならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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