内的自己対話―川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。

名作を訳させる罪深さ

散りの間際の更紗木蓮

 

 フランス近代文学の数ある名作のなかでも文章の美しさにおいて屈指の名作の一部を和訳問題として訳させられるのは、自分たちの日本語力ではそんなこと到底無理とわかっている学生たちにしてみれば、自分たちもその美しさを嘆賞してやまないフランス文学の宝に対する冒涜行為を教師によって強制されることにほかならない。出題したあとになって、なんと罪深いことをしてしまったのだろうかと反省した。
 もちろん構文的にはごく易しい箇所のみを選び、しかも文まるごとを訳させるのではなく、穴埋め形式にはしたのだが、文学作品の訳はプロの翻訳家だって難業であり、構文的に単純な文だから簡単に訳せるとはかぎらない。
 復活祭の休暇前の最後の授業での出題箇所はネルヴァルの『シルヴィ』の第二話「アドリエンヌ」から選んだ次の段落だった。

À mesure qu’elle chantait, l’ombre descendait des grands arbres, et le clair de lune naissant tombait sur elle seule, isolée de notre cercle attentif. — (1) Elle se tut, et personne n’osa rompre le silence. La pelouse était couverte de faibles vapeurs condensées, qui déroulaient leurs blancs flocons sur les pointes des herbes. (2) Nous pensions être en paradis. — Je me levai enfin, courant au parterre du château, où se trouvaient des lauriers, plantés dans de grands vases de faïence peints en camaïeu. (3) Je rapportai deux branches, qui furent tressées en couronne et nouées d’un ruban. Je posai sur la tête d’Adrienne cet ornement, dont les feuilles lustrées éclataient sur ses cheveux blonds aux rayons pâles de la lune. Elle ressemblait à la Béatrice de Dante qui sourit au poète errant sur la lisière des saintes demeures.

 三つの下線部分について、以下のような穴埋め問題を解かせた。

  (1)彼女は  し、誰もその  を破る  はなかった。
  (2)私たちは    と思った 。
  (3)私は二本の枝を     。それらは冠 編まれ、リボン 結ばれていた。

 さらに、(1)には、はじめの二つの空欄には同じ二字漢語を入れればよいとヒントを出したのだが、正答率は一割程度だった。何週間か前に「沈黙」という言葉を別のテストで出題したのにもかかわらず。これにはちょっと失望。(2)は、半数以上が正解だったが、「天国」も「楽園」も知らない学生も半数近くいた。(3)の最初の空欄は、今回の試験では一番の難問。複合動詞についての学生たちの知識はまだまだ乏しい。
 仏文学の専門家の先生方からは「この身の程知らずめが!」と叱責されること覚悟の上で拙訳を以下に示す。罪滅ぼしどころか、罪業を重ねたことにしかならず、これで地獄堕ちは必定かとおそれつつ。あっ、学生たちにはもちろん内緒ですよ。

 彼女が歌うに連れて、闇が大木から降りて来、昇り始めた月の明るさが、彼女のみを照らし、固唾を呑んで見守る私たちの輪から彼女を切り離していた。――彼女は歌い終えた。が、その沈黙を破ろうとするものは誰もいなかった。芝一面が、凝縮された霧に薄っすらと覆われ、草の先々にその小さな白い薄片を広げていた。私たちはまるで天国にいるかのように思えた。――私はようやくのことで立ち上がり、単彩の陶器の花瓶に植えられた月桂樹のあるお城の花壇に向かった。私はそこから二つの枝を取って戻った。それらは冠のように編まれ、リボンで結ばれていた。そして、アドリエンヌの頭にその飾りを載せた。その艶やかな葉は、青白い月の光に照らされた金色の髪の上で、光彩を放っていた。彼女はまるで、聖なる住処のほとりをさまよう詩人に微笑みかけるダンテのベアトリスのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「《牢獄》の神秘には、曖昧なところや不確かなところが何一つない」― アンリ・フォシヨンのピラネージ論より

春の陽光を浴びる白銀葭(シロガネヨシ)

 

 澁澤龍彦の『胡桃の中の世界』に引用されているアンリ・フォシヨン(Henri Focillon, 1881-1943)のピラネージに関する浩瀚な研究書『ジョバンニ・バチスタ・ピラネージ 1720‐1778』(1918年にパリ大学文学部に提出された博士論文。Internet Archive のこちらのページで閲覧できるし、無料でダウンロードもできる)からの一節は、ピラネージの『幻想の牢獄』が、啓蒙の世紀の鬼子の奇怪で悪魔的な想像力の産物などではなく、近代科学の基礎を成す厳密な幾何学的構成によるものであることを指摘している。

Cette forêt de pierre est un système. Ce désordre apparent est organisé par des lois. L’élément fantastique ne sort pas des brumes flottantes d’un crépuscule, il ne naît pas d’une illusion incertaine : il est dû à des artifices rigoureusement déduits des règles fixes auxquelles obéissent les trois dimensions, non dans l’espace abstrait des géomètres, mais dans le champ de la vue. Un éclairage d’une pureté terrible frappe de lumières éclatantes, serties d’ombres rigides et colorées, ces pilastres et ces assises sur lesquels la netteté des oppositions fait penser à la lueur lunaire, où des blancs intenses et presque dépouillés se heurtent sans transition à des ombres profondes et non reflétées. Le mystère des Carceri n’a rien de trouble ni d’indéterminé : il tient à la rectitude et à la puissance de l’effet ainsi qu’à la saisissante matérialité d’une architecture à la fois impossible et réelle. (p. 189-190)

この石の森(牢獄)は一つの体系である。この見かけの無秩序は、法則によって組織されている。幻想的な要素は、薄明の空間に漂っている陰影から生じるのではなく、三次元が従わなくてはならない規則によって厳しく導き出された、技巧から生じるのである。驚くほど純粋な照明が鮮やかな光を放ち、硬質で色彩豊かな影の間に嵌め込まれている。その光に照らし出されたつけ柱や水平な基層石の上では、コントラストの鋭さが月明かりを思わせ、強烈でほとんど剥き出しの白と、深く光の届かない影とがいきなりぶつかり合っている。《牢獄》の神秘には、曖昧なところや不確かなところが何一つない。神秘は正確な力強い効果と、不可能であるとともに現実的な、驚くべき建築の物質性に由来しているのである。

 版画家を父に持ち、西洋中世美術史の大家という枠に収まらぬ驚異的な博覧強記の碩学(1914年には北斎論を刊行している)でありかつスケールの大きな美学論者でもあり、さらには詩人でもあり、繊細な言葉の使い手であったフォシヨンの文章を訳すのはときにとても難しい。上掲訳の下線部分は澁澤の本では省略されており、拙私訳で補った一文である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「牢獄とは永遠の歩行である」― 澁澤龍彦『胡桃の中の世界』より

光に溢れた森の緑

 

 昨日の記事でその一部を引用した澁澤龍彦のピラネージの『幻想の牢獄』についての叙述と考察は、その一連の銅版画が表現しているものを私たちによりよく理解させてくれる。

 ダンテは、次第に狭くなるとともに、次第に寒気が増してくるという、地獄の下降する螺旋運動のなかに、彼自身の不安を表現した。一方、ピラネージは全く違った見地から、悪夢という名の牢獄の恐怖を私たちに味わわせようとする。それは、[…]果てしない上昇、永遠の反復という恐怖である。この牢獄の巨大な内部には、一切の方向性というものが欠けていて、私たちはどこに向かって歩き出そうとも、その限界に到達するということが決してないのである。どこへ行っても、同じ廊下、同じ階段、同じ手すり、同じアーケードが無限に長く延びているだけなのである。画面に見える階段や橋は、どこから始まって、どこで終わっているのか、少しも分らない。遠い彼方の闇から出てきて、ふたたび闇のなかに消え去るかのようである。いったい、この巨大な牢獄の空間は内部なのか外部なのか、それさえ判然とはしなくなってくる。――こうしたピラネージ的空間は、明らかに私たちの迷宮体験と同一化し得るものだろう。ここで私たちが味わわなければならないのは、まさに迷宮の感覚なのだ。
 おそらくピラネージにとって、囚人であるということは、反復を強制されるということ、休憩もなく目的もなく、ひたすら歩かねばならないということだったにちがいない。いくら歩いても牢獄の外に出ることはできず、むしろ逆に、歩くことが牢獄そのものなのである。牢獄とは、したがって内部でも外部でもなく、ただ永遠の歩行なのである。

 〈内部〉と〈外部〉という区別ができない永遠に膨張を続ける牢獄で私たちが味わう恐怖は、閉所に閉じ込められた恐怖とは質を異にする。閉所からの脱出の不可能性がもたらす絶望感は、たとえそれがどんなに深くても、その閉所の外には別の世界があるという確信を必ずしも排除しない。ところが、どこまで行っても〈外〉がない空間のなかを、自分がどこにいるのかもわからず、どこに向かっているのかもわからず、さまよいつづけなくてはならないという「永遠の歩行」が私たちを突き落とす絶望は、まさに底無しである。
 フランスでは「啓蒙の世紀 le siècle des Lumières」と呼ばれる十八世紀の中葉に、隣国イタリアでは、いかなる外部の光も射し込まない無限の牢獄が一人の銅版画家によって形象化されたのはなぜなのだろうか。それは、理性の光に照らされた啓蒙の世紀が必然的に生み出さざるをえなかった、どこまでも暗いその陰画なのであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「密閉されたまま無限に膨張する、むしろ悪夢という名の牢獄」― 澁澤龍彦『胡桃の中の世界』より

欧州議会サトザクラ

 

 澁澤龍彦の『胡桃の中の世界』(初版、青土社、1974年。河出文庫1984年。河出文庫新装新版、2007年)の三番目の章「螺旋について」のなかにピラネージについての考察があり、須賀敦子も『ユルスナールの靴』のなかで言及、引用している。
 ピラネージを同章で取り上げる理由を澁澤はこう説明している。「十八世紀の中葉から流行しはじめた古代崇拝やゴシック趣味は」、古代円形劇場のような「廃墟美への憧憬に基礎を置いたものであり、廃墟と化したローマ時代のモニュメントを生涯にわたって描きつづけた異色の銅版画家、ヴェネツィア生まれのジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージは、さしあたって地獄と螺旋の問題を考察する上にも、見落とすことのできない存在であろうと思われる。」
 ピラネージの銅版画を眺めて第一にいだく印象を、澁澤は、「ある種の強迫的な悪夢の典型的な表現」だとしている。そこで、ユルスナールの『ピラネージの黒い脳髄』に開陳された考察を傾聴に値すると意見として引用している。その直後の段落を全文引用する。

 たしかにピラネージの牢獄は、いかなる時代のいかなる現実の牢獄にも似ておらず、一個の悪夢のなかの牢獄としか言いようのないものだろう。牢獄でなくても、こんな途方もなく広大な内部の空間をふくんだ建造物が、現実にあり得るとは到底思えず、しかもその広大な内部の空間が、完全に密閉されているらしいのである。悪夢のなかの牢獄というよりも、これは密閉されたまま無限に膨張する、むしろ悪夢という名の牢獄であろう。

 『幻想の牢獄』の十六葉の銅版画(東京大学総合図書館所蔵 亀井文庫 ピラネージ画像データベースでほぼ全作品を高画質で閲覧できる)はいずれも牢獄の内部の一部分を描いたもので、牢獄の全体像はわからない。しかし、まさに外部から見られた全体像がないからこそ、一連の銅版画に描かれた部分を見る者は、それらをある一つの全体のなかに位置づけることができず、いずれの部分も牢獄の内部空間がどこまでも膨張していくかのような印象を持つのだと思われる。
 そのような印象は、構図・アングル・描かれた陰鬱な諸物象などの要素にも因っているだろう。しかし、私が特に強烈な印象を受けたのは、細部を拡大してみるとわかることだが、細密な描線が螺旋状・弓状・放物線状・波形状・ジグザク状等になっている箇所が多いことであった。それらの描線がそれらによって描かれたものに、たとえそれが巨大な石の壁であっても、無窮の動性を与えているように思われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピラネージの《幻想の牢獄》をめぐる稀有な省察 ― 須賀敦子『ユルスナールの靴』より

水面の印象派

 

 須賀敦子の『ユルスナールの靴』のなかの「黒い廃墟」と題された文庫版全集で18頁の節には、18世紀のイタリアが生んだ奇才銅版画家ピラネージ(1720‐1778)をめぐる興味深いエピソードとその銅版画作品についての須賀独自の洞察とが彫琢された文章で綴られている。
 須賀がピラネージの名をはじめて知ったのは、ユルスナールの『ピラネージの黒い脳髄』を読むずっと前のことで、ミラノで暮らしはじめた1960年代の初頭、結婚して住むことになった家のすぐうしろの街路の名がピラネージ通りだったという偶然による。
 通りとしては、これといって特徴のない街路で、地図でその名を見つけたときの彼女の最初の反応は、「ピラネージなんて、ピラニアみたいで、なんか変な名よねえ」だった。
 それを聞いて呆れた夫が、数日後、勤めていた書店から売り物の大判の画集を持ち帰って彼女に見せる。そのなかにあった何枚かの《幻想の牢獄》の図版を見て、須賀は衝撃を受ける。「声も出ないほど圧倒され、魅了されたのである。」
 「その日を境に、私たちの家の裏手のほんとうになんでもない通りが、私にとってまったくあたらしい意味をもつようになったのはいうまでもない。」
 須賀は、なぜ自分がそれほどまでにピラネージの《幻想の牢獄》に衝撃を受けたのか、内省する。ユルスナールの『ピラネージの黒い脳髄』や澁澤龍彦の『胡桃の中の世界』からの引用、ミラノのパラッツォ・ブレーラの一隅をちょっと変わったアングルから撮った写真からのピラネージの作品の胸を突く連想、ハドリアヌスの墓廟で出会った角灯に酷似した灯火を《幻想の牢獄》のなかに見つけたときの驚きなどを織り込みながら展開される、柔軟な知性と感性とに裏打ちされた犀利な洞察に満ちたその文章は、おそらく他の何人も書き得ない、現代日本語で書かれた散文の一つの到達点であるようにさえ私には思われる。
 そのごく一部を引用する。

私はあの石の量感を内に秘め、同時に惜しげもなくそれを四方にむけて発散する暗い大きさに、いいようのない親近感をおぼえたし、また、断片であることに固執するような切れぎれの線の流れとそれらの交錯が、まるでずっとむかしから、じぶんのなかのなにかが求めていたものに思えて、そのことに驚いたのだ。細くとぎすまされた純粋な知性の産物というのではない。それどころか、そういったもののほとんど対極に位置する、〈肉を伴った〉とでもいうのか、たとえば人間の深みや大きさ、すなわち、イタリアという国の人たちがしばしばみせかけの表層の裏側にひそかに抱えている、真実や愛情の重さのようなものを、私はそこに読みとったのではなかったか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

引用の連鎖が織り成すタペストリーあるいはメビウスの帯

ベルギーのラーケン王宮温室のガクアジサイの階段

 

 ある本を読んでいると、その中に引用されている別の著作家の文章が印象に残り、それがたとえ既読の本であったとしても、そのときどうしてもその出典へと遡って確かめたくなり、その出典のなかの当該の箇所の前後を読んだら、そこに引用されているまた別の著作家の文章が気になり、その出典へと遡り、そこでまた別の文章が……という具合に、最初の一書を読んでいるときには思いもよらなかった引用のタペストリーがいつの間にか頭の中に織り成されたり、それらの引用の連鎖がメビウスの帯状になっていることにはたと気づいたりすることがあります。
 そんな引用の連鎖に昨日早朝に巻き込まれ、書棚から次々に当該書籍を引っ張り出しては、出典箇所に読み耽るということを何度も繰り返し、「今日はこのへんにしといたろか」とやっと一息ついて時計を見たらもう昼近くなっていました。
 一抹の罪悪感から、「やれやれ、なにやってんだか」と独りつぶやき、反省の素振りを示しつつも、その愉楽の時間の余韻に心地よく浸っていると、正午過ぎから怒涛のように大学から仕事関係のメールが襲ってきて、それの処理に追われ、気づいた時にはもう日が暮れようとしていました。
 それらの引用を全部ここに並べたら数千字になってしまいますので、今日のところは、その引用の連鎖を辿る小旅行の出発点となった文章だけ引いておきます。川上弘美の『大好きな本』に収録された須賀敦子ユルスナールの靴』の白水社Uブックス版の解説からの須賀の文章の引用です。川上弘美は、「この文章を読むとき、思わずわたしは頭を垂れ、自分の身を振り返ってしまう」と同解説のなかで言っています。

《幻想の牢獄》が忘れられない印象を私たちのなかに刻みつけるのは、ピラネージが罪人を幽閉する牢獄を描いているにもかかわらず、それが同時に、罪人たちだけでなく、私たちすべてがこれまでに犯した、あるいはこれから犯すかもしれない犯罪の、秘められた内面の地図であるかのように見えるからではないだろうか。

 ここから、須賀敦子の当該の本、ユルスナールの『ピラネージの黒い脳髄』、澁澤龍彦の『胡桃の中の世界』、アンリ・フォシヨンの浩瀚なピラネージ論(1918年に刊行された博士論文)、そしてフォシヨンの『形の生命』(Vie des formes, 1934)と『手の賛美』(Éloge de la main, 1939)にまで至る引用の連鎖とそれに伴う連想の旅が始まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログのリダイレクト(転送)のお知らせ(goo blog からご訪問くださった方々へ)

ヤマヘビイチゴ、実はまずいそうだが、群生している花はキレイ

 

 今日の記事は、goo blog からリダイレクトで「はてなブログ」にお越しいただいた方宛てです。 

 一昨日4月14日に goo blog のアカウントを開いたら、11月18日をもってサービス終了とページの一番上に表示されていて、ちょっと驚きましたが、「ああ、やっぱり」とも思いました。
 今年の正月にアカウントに接続できないという不具合がかなり大規模に数日間続いたことがありましたね。今回の決定と関係あるのかも知れませんね。私のアカウントは海外からの接続ということもあったのか、完全に正常に復するまでに二週間近くかかりました。
 正月時の不具合の二日目にブログの引っ越しを決意し、即座に「はてなブログ」への引っ越しを実行しました。ほぼ丸一日かかりましたが、過去の全記事、全写真データ及び記事内に貼ったすべてリンクは問題なくコピーすることができました。その後 goo blog の拙ブログ内リンクを全部「はてなブログ」のそれに変更するのは手動で行うしかなく、これには一ヶ月掛かりました。
 その引っ越しのときは、goo blog のアカウントはしばらくそのままにし、それまでずっとご訪問してくださった方々には引き続きブログの記事を読んでいただけるようにしました。いわば新店舗への営業拠点移転完了後も旧店舗での営業も継続してきたという感じですね。
 以来、まったく同じ記事を二つのアカウントに投稿し続けて来ましたが、今日 goo blog のURLから「はてなブログ」のブログのページに直接リダイレクト(転送)されるように編集しました。
 先ほど試してみたところ、このリダイレクトを選択すると、たとえ goo blog の方に記事を投稿しても、それは goo blog にはもはや反映されず、「はてなブログ」の方の拙ブログのトップページが表示されます。
 リダイレクトでご不便をお掛けすることになるかも知れませんが、今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川上弘美が書評の取り合いでかつて「激しく争った」相手とは ―『大好きな本 川上弘美書評集』 の楽屋裏

エジプトガン、凛々しい、というか、ちょっとコワイ

 

 川上弘美の『大好きな本 川上弘美書評集』(単行本、2007年、文春文庫、2010年)は、前後編に分かれ、前半のⅠには、一九九七年から二〇〇七年までの十年間に主に読売新聞と朝日新聞紙上に発表された書評が集められ、後半のⅡには、同期間に文庫本や全集のために書かれた解説文が集められています。
 複数の書評者が分担する新聞紙上の書評欄では、書評者間でどうやって書評する本の割り振りをするのか、ちょっと興味がありました。それを話題にした文章は本書には収められていませんが、その辺の事情についての自身の経験を、本書の文庫版が出版されたときに、川上弘美は『本の話』に寄せたエッセイの中で話題にしています。それが面白い。

 一ヵ月に一つか二つの新聞書評。それを書くため、二週間にいっぺん、その間に出た新刊の本を実際に手にとって読みに、新聞社に通いました。書評は、さまざまな分野のひとたちが書いています。ですから、二週間にいっぺんの会合では、いつもならば決して会う機会のない、国際政治学者や、哲学者や、映画監督や、天文学者や、会社経営者と、一緒に夕飯を食べ、誰がどの本を書評するかを取りっこ――一つの本を書評したい人が複数いる場合、「自分がその本をいかに書評したいか」ということを熱心に主張しあい、きそいあうのです――、することになるのです。

 

 新聞書評の会合は、いつも熱かったです。そこで得た本を書評するのは、なんて楽しいことだったのでしょう。あれだけ争ってこの本の権利を得たからには、負けた相手が「こんなの、だめだい」と思わないような書評を書きたいものだ。そんなプライドも、ありました。

 

 『大好きな本』の前半には、そうした「熱い」場を経てきた書評が載っています。たったの四百文字ほどの書評では、何ほどのものも表現できない。そういう考えかたもあります。そして、それはある一面の真実です。ただ、そのたったの四百文字の中に、いかに自分の思ったことを少しでもたくさん注ぎこむかという苦心の道は、また楽しいものでもあったのです。

 北村薫のある作品(作品名が示されていないのでどの作品かしかとわかりませんが)の書評担当をもう一人の書評者と激しく争ったエピソードがとりわけ面白い。
 十五年も前に書かれたエッセイですし、そのエピソードはそこからさらに十数年遡りますから、すでにこの話をご存知の方も多いでしょうけれど、まだこのエッセイを読んでいない幸運な方たちの楽しみを奪わないために、これ以上は申しません。こちらで読めます。

 前半も当時出版された多様な本についての彼女独特の捉え方を楽しめますが、読み応えという点では、やはり後半に収められた解説文が素晴らしい。一昨日の記事で「お口直し」として引用した須賀敦子ユルスナールの靴』の解説も本書の後半Ⅱに収められています。この後半の圧巻(という言葉は多分あまり適切ではないと思いつつなのですが)は、巻末にまとめられた『田辺聖子全集』第六・十・十一巻の月報の文章。作家への深い敬愛の念と各作品の繊細かつ犀利な理解とが柔らかな言葉で糾われた川上弘美にしか書けない名批評文です。
 第六巻の月報の文章の最後の二段落を引いておきます。

 三部作(本巻に収録された『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』を指す=引用者注)に通底しているのは、「人が生きてゆくときの、自尊心のもちかた、ありかた」の問題だと、わたしは思っている。自尊心、とひとっ飛びに書いてしまったが、自尊心とはつまり、愛すること、愛されること、傷つけること、傷つけられること、楽しむこと、苦しめられること、死にたくないとあがくこと、死を受容すること、それら全部について発揮されるものであり、この三部作では、特に人を愛すること愛されることを通して、自尊心のつくられてゆく道、発揮される道、どうやって維持してゆくかの道を、田辺聖子はこまやかに大胆に、描いているのである。
 愛することはつらい、愛されることもつらい、そして自尊心を保って生きてゆくことはさらにつらいと、三部作を読み終えておもう。つくづく、思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「文学的な喜びの共有の場」― 小川洋子『心と響き合う読書案内』」

鴨のアーティスティックスイミング(デュエット)

 

 小川洋子の『心と響き合う読書案内』(PHP新書、2009年)は、「未来に残したい文学遺産を紹介するラジオ番組」『Panasonic Melodious Library』(TOKYO FM 2007月7月-2008月6月)で話したことがもとになってできた本です。紹介されている五十二の作品それぞれへの著者の愛着がよく伝わって来るよい本だと思います。
 「本を選ぶ際、最も配慮したのが季節感だったため、本書も春夏秋冬の四ブロックに分かれ、基本的に内容は放送で喋ったそのままになっています。」「選んだ本の種類は多岐に渡っています。外国文学も日本文学も、恋愛小説も絵本も、古典も現代作家も別け隔てがありません。共通しているのは、文学遺産として長く読み継がれてゆく本、というただその一点のみです。」(「まえがき」)
 選ばれた作品の中には、私も長年愛読してきた作品が少なからずあり、それもまた嬉しく思います。
 「まえがき」で著者はこう語っています。

 確かに読書は個人的な営みではありますが、電波を通して喜びを大勢で分かち合うこともまた、意義深いはずです。いい本を読むと、周囲のひとについお喋りしたくなります。まるでその本を読んだこと自体が自らの手柄であるかのように、どこがすばらしいか自慢げに語ってしまいます。相手が同じ本を読んでいれば、話はいっそう盛り上がるでしょう。たった一冊の本で、ほかでは得られない一体感を味わうことができるのです。

 ラジオ番組そのものは聴いたことがありませんが、文面から察するに、毎回楽しいお喋りだったことでしょう。「ただの本好きな一人として、自由にやらせてもらっている証拠でしょう。小難しい話は一切出てきません。最初から最後まで、本についての純粋な、楽しいお喋りです。」(「まえがき」)
 「まえがき」の終わりの方でこうも言っています。

もう一つ、本書により、昔々に読んだ本と再会するきっかけが生まれてくれたら、と願っています。私がラジオ番組とかかわって得た最も大きな収穫は、再読の喜びを知ったことでした。どれほどの時間が空こうと、本はちゃんと待ってくれています。年齢を重ねた自分に、必ずまた新たな魅力を見せてくれます。本は、人間よりもずっと我慢強い存在です。

 本は待ってくれている。まったくその通りだと思います。私を今取り囲んでいる本もまたそうなのです。ただ、なかなか再会できずにいる本も多く、それらには一言詫びておきたいと思います。「待たせて申し訳ないけれど、もう少し待っていてください。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エピグラフにはご用心を ― 『背教者ユリアヌス』と『ユルスナールの靴』

まだまだ咲きますチューリップ(オランジュリー公園にて)

 

 作品の巻頭や章の冒頭に掲げる短い引用句であるエピグラフは、その出典の文脈から切り離されて、その章句をエピグラフとして自作に掲げる著者の意図を何らかの仕方で示唆あるいは象徴するために使われることが多い。
 だから、原文の文脈でのその章句の意味に対して忠実であるかどうかは問われないのが普通である。しかし、意図的に原意を損ねるような引用は気持ちの良いものではないし、たとえ本人は気づいていなくても、たとえ悪意はもちろんないにしても、明らかな誤解や誤訳をそこに見出すと、正直ちょっとがっかりする。
 作品そのものが優れていればいるほどその「瑕瑾」を残念に思う。
 そんな小さな失望の最初の経験は、辻邦生の『背教者ユリアヌス』の初版(1973年)だった。その巻頭には、「かの人を我に語れ、ムーサーよ……」というホメロスの『オデュッセイア』の冒頭句がギリシア語原文とともに掲げられているのだが、この原文に間違いがあった。そのことを柳沼重剛先生が西洋古典文学の授業で「生半可なギリシア語の知識で引用するからこういうことになる」と厳しく批判されていたのを覚えている(文庫版では訂正されている)。もっとも、先生、「作品としてはよく出来ている」と褒めていらしたが。
 二回目の失望はわりと最近のことで、須賀敦子の『ユルスナールの靴』(1996年)のエピグラフである。それはマルグリット・ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』(Mémoires d’Hadrien, 1958)からの「私にとってのすばらしい歳月、それは、旅あるいは野営や前哨地ですごした日々であった」という引用である。御本人が直に仏語原文から訳されたのか、あるいはイタリア語訳からの重訳なのか、それはわからない。いずれにせよ、これは誤訳である。
 原文は、« Mes belles années s’étaient passées en voyage, aux camps, aux avant-postes. »(「私のよき歳月は旅や陣営や前哨基地で過ごされた。」)である(Gallimard, « folio », 1974, p. 283)。つまり、ハドリアヌス帝にとって、心身ともに壮健だったよき日々は、どこで過ごされたかということを言っているのであって、それらの場所での日々が自分の人生にとって素晴らしい日々であったということではない。
 名訳の誉高い多田智満子訳(白水社、1964年、新装版、2008年)も「わたしは旅や陣営や前哨の地でよき日々を送った」となっている(p. 279)。その多田智満子が本書の河出文庫版の解説を書いているのはいささか皮肉なことではあるが、その解説そのものは、「エッセイとも評伝とも小説ともつかぬこの著作」への条理兼ね備えた称賛であり、それに異を唱えるつもりはさらさらないどころか、私自身、この作品の愛読者の一人である。
 ちなみに、本作品の白水Uブックス版の解説(2001・11)は川上弘美が書いていて、こちらも敬愛と愛着の念に満ちたとてもよい文章である。
 ここまで書いてきて、私はいったい何に不満があるのかわからなくなってきた。
 「お口直し」に川上弘美の解説の最後の三段落を省略なしに引いておきます。 

 けれど不思議なことに、それら名著や真実の言葉や須賀敦子の書く厳しい文章は、同時に、生きていることはなんてすばらしいことなんだろう、とも思わせてくれるのである。自分は卑小のものだ。けれど生は、すばらしい。私〈わたくし〉というものにとどまっていることしか、今の自分にはできない。でも世界には私〈わたくし〉よりももっとずっと大きくてまどかで深いものが、たしかにある。その一端に、もしかすると触れることができるかもしれない。そんな希望が、わきあがってくるのである。

 

 そもそも厳しさとは、親切さのうらがえしにほかならない。親身な心、相手と交わろうとする心のないところに、厳しさは生まれえない。世界を愛し、世界に手をさしのべ、世界に愛された、そういう作者の書く豊かな文章を、だからわたしはその厳しさにうちひしがれながらも、うちひしがれたその気持ちの数十倍もの歓びをもって、何度でも読み返すのである。
 作者須賀敦子だって人間であるのだから、たぶんある時には自分の卑小さにうちひしがれ、恥じいった瞬間をいくつも持ったことであろう。けれど決して作者はそのままにはとどまらなかった。高みをめざし、腕を広げ、世界を受け入れていったにちがいないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フランス文学作品の中高生向け解説本の質の高さについて

スイスイ気持ちよく先に進む我が子を後ろから見守る鴨の両親

 

 仏文和訳の授業では、今週の授業から、毎回の小テストの課題文として、学生たちが高校までのフランス語の授業で必ずや読んだことがあるはずの文学作品を選んでいます。今週の課題文は、ジェラール・ド・ネルヴァルの短編集 Les Filles de Feu(『火の娘たち』)のなかの Sylvie の第二節 « Adrienne » から構文的に比較的易しい箇所を選びました。
 昨日すでに復活祭の休暇以後の今学期残り三回の授業の分も選択し、問題作成も終えました。なにもこんなに早めに準備しておく必要はなかったのですが、この課題文探しが百花繚乱の花園のなかの遊覧にも似てとても楽しく、ついついあれもこれもと手元にある文学作品を逍遥して時間を過ごしているうちに、仕事も片付いてしまったというわけです。
 選ばれた作品はいずれも名作で、とてもコンパクトで平易な中高生向けの入門・解説書も多数出版されている作品ばかりです。それらのシリーズの中から今回数冊購入したのですが(授業にはぜんぜん必要がありませんが)、それらがなかなか良く出来ていていろいろと勉強になります。
 それらの入門・解説書には、作品理解を深めるための設問や小論文用の課題例が多数挙げてあり、それがなるほど思わせる設問や課題になっています。中学生や高校生が作品をただ受動的に読むのではなく、それぞれの問題意識に応じて自ら発展学習や他の関連作品の読書へと進んでいけるように、さまざまな工夫が凝らされていて感心します。
 例えば、 « folio+collège » という中学生向けのシリーズのなかの一冊、ジャン・ジオノ(Jean Giono)の L’homme qui plantait des arbres(『木を植えた男』(あるいは『木を植えた人』)は、総ページ数が90頁、そのうち本文はたったの15頁で、残りは、作品解説、テキスト分析、グループ・ディスカッション用のテーマ、発展学習に大きく分かれており、この作品を教材として数回分の授業を行い、さらに課題として小論文も課せられるようになっています。それらに加えて、クイズ形式で作品にとって重要な語彙の復習もできるようになっています。これだけ内容が充実していて定価は5ユーロ。
 こちらの中学生向けのこれらの入門・解説書は、初級を終えたフランス語学習者にとっても好適な教材としてお薦めできると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一憂一喜

ガクアジサイに惹き寄せられた少女

 

 今日受け取ったメールの順番通りに言えば、一喜一憂ではなくて、一憂一喜でした。
 先方に迷惑がかかってはいけないので、一憂のほうの中身は伏せます。まったく予想外というほどのことではなかったのですが、「ああ、やっぱりそういうことになってしまったか」という失望の念はやはり拭えません。当事者の方々の誰かに責任があるのではなく、むしろそれらの方々の尽力には感謝の気持ちしかありません。それらの方々の善意を超えたところで今回起こってしまったことの避けがたい帰結は、それとして受け入れるほかありません。
 一喜のほうは、昨年の学部卒業生の一人からまったく思いがけず受け取った日本語の近況報告のなかの一言でした。
 彼女は学部在籍中成績優秀だったというわけではなく、弊学科の修士課程には進学できませんでした。今は私立のビジネススクールの国際ビジネス修士課程に通っています。
 元気にやっているらしいことは文面から察せられましたが、今回特に私になにか依頼があってのメールではありませんでした。だから、なぜ送ってきたのかはよくわからないのですが、それだけに、メールの最後に記されていた一言は私を喜ばせました。
 「先生の授業で学んだことは今でも私の大切な土台になっていて、本当に感謝しています。」
 こう言ってもらえれば、自分がやってきたこともまったく無駄だったわけではないのかなと慰められます。
 すぐに日本語で「とても嬉しい近況報告をありがとう。日本語がさらに上手になっていますね」とお礼のメールを送りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジョギング休止が可能にした「好循環」

オランジュリー公園のチューリップの饗宴

 

 今日の「現代文学」の授業が復活祭休暇前の最後の授業で、次の授業は一週間の休暇後の水曜日の「日本思想史」と「仏文和訳」だから、12日間は授業がない。ちょっと一息入れたいところだが、この休暇中に学部及び修士課程の入学願書の処理を一気に片付けておかないと、休暇後にあたふたとすることになる。だから、授業はなくても休暇にはならない。
 専任が一人欠けている状態で始まった今年度も終わりが見えてきたと言えなくもないが、同僚全員、年度当初からの負担増で明らかに疲弊してきている。体調を崩している同僚もいる。私も心肺機能に不安があり、このひと月ほどはジョギングを休んでいる。不安があるといっても普段の生活に差し支えるほどでもなく、授業に支障を来しているわけでもないが、以前のように是が非でも毎日10キロ以上走るという原則は完全に崩れた。
 ただ、そうなったらなったで、よかったこともある。単純にまず机に向かえる時間がそれだけ増えた。月から木まで毎日大学まで片道4キロを自転車で往復しているから、さほど運動不足というわけでもなく、ジョギングを中止して以後の体組成計の数値もそれ以前とほとんど変わらず、全般的に「良好」を維持している。
 今後は、体調に関しては現状維持でよしとする。そのために必要最低限の運動にとどめる。その結果としてできた時間はすべて自分の研究と授業の準備にあてる。
 さしあたりとはいえ、このような「着地点」を見つけたことで、心はむしろ安定している。
 それに、授業の準備は時間をかけて入念に行っていることが、教室での学生たちのとてもよい反応をもたらしており、こちらも楽しんで授業ができている。それがまた学生たちに伝わる。このまま学年末までこの好循環を維持したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつまでもここに居たい「なつかしさ」と帰れぬ過去への「ノスタルジア」と未知なるものへの「憧憬」

くっきりと蒼天に立つコウノトリ

 

 昨日は修士一年の演習の後期最後の授業だった。三木清の『人生論ノート』所収の最後から二番目のエッセイ「旅について」を読んだ。最後は、三木が公の機関に最初に発表した若書きのエッセイ「個性について」(1920年5月)で、これはその他の22篇のエッセイとは文体も大きく異なる。
 「旅について」は22篇の中でもおそらく終わりの方に書かれたと思われるが、岩波の全集の後記では発表時期が「不詳」となっている。その理由は記されていない。
 このエッセイを学生たちと今回何度目かに読んでみて、二つのことに気づいた。
 一つは、旅とは、今日の記事のタイトルに示したように、「なつかし」と nostalgie と Sehnsucht とがその中で経験されうる過程であるということ。旅の途上で「ああいつまでもここに居たい」思わせるような場所にしばしとどまるとき、私たちは「なつかし」の感情を懐き、生まれ故郷に帰ったのに、そこがもはや帰りたかった場所ではなくなっていることに気づいたとき、私たちは nostalgie を感じ、旅に出ることによってなにか未知のものに出遭うことを期待するとき、それは Sehnsucht に促されてのことでありうる。
 一つは、旅は、ネガティヴ・ケイパビリティがおのずと発揮されやすい過程であること。日常のあれこれの問題から一時的に解放される、或いはそれらを一時保留にする、それらに対して距離を取る、問題を問題のままにしてしばらく時を過ごすことができる過程であることによって、旅は、ネガティヴ・ケイパビリティがいわばおのずと覚醒しうる過程である。
 この二つのことに気づけただけでも、このテキストを今回読み直したことには充分な収穫があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「現代文学」の課題としての fiche de lecture

オランジュリー公園で日光浴する老夫婦

 

 今年度初めから出向中の同僚に代わって担当している「現代文学」の授業で fiche de lecture を学期中に二回提出することを課題とした。
 このフランス語は中等教育からよく使われていて、学生たちには馴染みがある。ところが、日本の中等および高等教育にはこれに相当する課題があまり広く行われていないから、どう日本語に訳しても、説明なしでは、誤解を招くだろう。
 形式が自由なわけでもなく、いわゆる感想文でもない。初回の授業で指定した構成は以下の通り。
 原則として2頁からなり、1ページ目は、自分で選択した作品の構成・タイプ・特色等をまだ読んだことない人にわかるように説明する。2ページ目は、日本語原文から一箇所(一段落ないし数行)選び、その語彙・構文・文体の分析を行い、それらがどのような効果をあげているかを説明する。
 第一回目は敗戦直後から1960年代末までに発表された小説の中から選択させた。第二回目は1970年代から今日まで。第一回目の締め切りが先月末で、一人の例外を除いて、全員が期日を守って提出した(遅れた一人も4日後には提出した)。
 おそらくほとんどの学生にとって、わずかでも原文に触れたのはこれがはじめてのはずである。それがこの課題の狙いでもある。翻訳を読むだけで満足するのではなく、原文がどうなっているのか直に知ることは、それがたとえほんの一部であっても、学生たちの今後の作品の読み方を変えるはずである。
 ただ、学生たちに原作を買わせるわけにはいかない。そこで各学生たちそれぞれが仏訳の中から選んだ箇所の原文を私からPDF版にして送った。そのために今回かなりの冊数の電子書籍を私費で購入した。
 別にそのことを彼らにいうつもりはなかったのだが、第二回目の作品選択にあたって、日本語原文が電子書籍版で入手できる作品をできるだけ選んでほしいと頼んだときに、「そうしてくれないと、私にとっても原文の入手が難しいから」と付け加えたので、学生たちは彼らの課題のために私が私費を投じていることを知ってしまったのである。
 ちょっと予想外だったのだが、多くの学生がそのことをいたく感謝してくれたのである。出費といったってたいした額ではなく、購入した作品には私自身興味をもっているし、今後の授業でも活かせるから、本人は少しも負担には思っていなかっただけに、その反応にちょっと驚いた。
 可笑しかったのは、電子書籍版がないどころか紙版も絶版になっているちょっとマイナーな作品を選んだ学生がいて、「これは紙版でさえ原文が入手困難だから、別の作品に代えてくれないか」と頼んだところ、すぐに別の作品を知らせてきたのだが、なんとその作品も紙版しかないのである。
 それを伝えると、「私が選んだ作品のために先生が新たに電子書籍版を買わなくてもいいように、先生がすでに電子書籍版を所有している作品のリストを送ってください。その中から選びます。」と返事が来た。
 で、そのリストを送ると、川上弘美の『真鶴』を選択した。よい作品を選んでくれました。どんな fiche de lecture を書いてくれるでしょうか。楽しみにしています。締め切りは5月末です。