フランス近代文学の数ある名作のなかでも文章の美しさにおいて屈指の名作の一部を和訳問題として訳させられるのは、自分たちの日本語力ではそんなこと到底無理とわかっている学生たちにしてみれば、自分たちもその美しさを嘆賞してやまないフランス文学の宝に対する冒涜行為を教師によって強制されることにほかならない。出題したあとになって、なんと罪深いことをしてしまったのだろうかと反省した。
もちろん構文的にはごく易しい箇所のみを選び、しかも文まるごとを訳させるのではなく、穴埋め形式にはしたのだが、文学作品の訳はプロの翻訳家だって難業であり、構文的に単純な文だから簡単に訳せるとはかぎらない。
復活祭の休暇前の最後の授業での出題箇所はネルヴァルの『シルヴィ』の第二話「アドリエンヌ」から選んだ次の段落だった。
À mesure qu’elle chantait, l’ombre descendait des grands arbres, et le clair de lune naissant tombait sur elle seule, isolée de notre cercle attentif. — (1) Elle se tut, et personne n’osa rompre le silence. La pelouse était couverte de faibles vapeurs condensées, qui déroulaient leurs blancs flocons sur les pointes des herbes. (2) Nous pensions être en paradis. — Je me levai enfin, courant au parterre du château, où se trouvaient des lauriers, plantés dans de grands vases de faïence peints en camaïeu. (3) Je rapportai deux branches, qui furent tressées en couronne et nouées d’un ruban. Je posai sur la tête d’Adrienne cet ornement, dont les feuilles lustrées éclataient sur ses cheveux blonds aux rayons pâles de la lune. Elle ressemblait à la Béatrice de Dante qui sourit au poète errant sur la lisière des saintes demeures.
三つの下線部分について、以下のような穴埋め問題を解かせた。
(1)彼女は し、誰もその を破る はなかった。
(2)私たちは に と思った 。
(3)私は二本の枝を 。それらは冠 編まれ、リボン 結ばれていた。
さらに、(1)には、はじめの二つの空欄には同じ二字漢語を入れればよいとヒントを出したのだが、正答率は一割程度だった。何週間か前に「沈黙」という言葉を別のテストで出題したのにもかかわらず。これにはちょっと失望。(2)は、半数以上が正解だったが、「天国」も「楽園」も知らない学生も半数近くいた。(3)の最初の空欄は、今回の試験では一番の難問。複合動詞についての学生たちの知識はまだまだ乏しい。
仏文学の専門家の先生方からは「この身の程知らずめが!」と叱責されること覚悟の上で拙訳を以下に示す。罪滅ぼしどころか、罪業を重ねたことにしかならず、これで地獄堕ちは必定かとおそれつつ。あっ、学生たちにはもちろん内緒ですよ。
彼女が歌うに連れて、闇が大木から降りて来、昇り始めた月の明るさが、彼女のみを照らし、固唾を呑んで見守る私たちの輪から彼女を切り離していた。――彼女は歌い終えた。が、その沈黙を破ろうとするものは誰もいなかった。芝一面が、凝縮された霧に薄っすらと覆われ、草の先々にその小さな白い薄片を広げていた。私たちはまるで天国にいるかのように思えた。――私はようやくのことで立ち上がり、単彩の陶器の花瓶に植えられた月桂樹のあるお城の花壇に向かった。私はそこから二つの枝を取って戻った。それらは冠のように編まれ、リボンで結ばれていた。そして、アドリエンヌの頭にその飾りを載せた。その艶やかな葉は、青白い月の光に照らされた金色の髪の上で、光彩を放っていた。彼女はまるで、聖なる住処のほとりをさまよう詩人に微笑みかけるダンテのベアトリスのようだった。