内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

箱根駅伝往路初生観戦記―ただ応援するということ

2024-01-02 23:59:59 | 雑感

 子供の頃から渡仏する一九九六年まで、正月といえば箱根駅伝をテレビで観戦していました。渡仏後年末年始に初めて帰国したのは二〇〇五年から二〇〇六年にかけてで、多分のその時も箱根駅伝をテレビ観戦したと思います。それ以後、年末年始に帰国できたのは二〇一三年の年末からのことで、コロナ禍直前の二〇二〇年正月までは箱根駅伝をやはりテレビ観戦しました。二〇二一年から二〇二三年の三年間は年末年始に帰国できず、結果をニュースで知っただけです。
 本日初めて間近で応援しました。戸塚中継所まであと一キロのところ、いわゆる「戸塚の壁」と呼ばれる登り坂の途中です。選手たちが通過する三十分前にはその場所に着いたのですが、すでに多数の観衆が沿道にニ列三列に並んでおり、その隙間から選手たちが眼の前を通過していくのをわずかに垣間見ることができただけでしたが、それでも感動しました。私は拍手しただけでしたが、選手が通過するたびに多くの人たちが「頑張れー」と声援を送るのを聞いて、胸が熱くなりました。
 最後の選手が通過した後、観衆はすぐに戸塚駅方向へと歩き出しました。その中には電車移動して他の地点でまた応援する人たちもいたことでしょう。
 国道沿いの細い歩道をぞろぞろと歩いているとき、私のすぐ後ろで会話していたカップルあるいは夫婦の女性の方が「何も考えずにただ応援できるって気持ちいい」と言うのが聞こえました。あっそうだ、そういうことだ、と得心がいきました。思わず振り返って、「まったく仰るとおりです」と言いたくなったほどでした。
 何の思惑もなく、特に応援する大学や選手があるわけでもなく、ただただ目の前を全力で走っている選手を応援するということ、それは応援する人の心をいわば浄化してくれるのだと思います。そうと自覚していなくても、「ただ応援する」という純粋な気持ちになれる機会というのはそうそうないでしょう。
 甲子園の高校野球の人気にも同じ理由があるのではないでしょうか。