内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

悲しみも空虚も享受する ― ルソー「マルゼルブへの手紙」第三書簡より(後編)

2023-06-07 11:30:45 | 読游摘録

 「マルゼルブへの手紙」の第三書簡の続きを読もう。
 夢想によって歓喜に浸るルソーだが、そのような感動の時間のなかでもときに空想の空しさを感じ、悲しくなることがある。

しかし、そういう状態にありながらも、正直にいえば、ときにわたしの空想のむなしさを考えて急にわたしの魂を悲しませることもありました。たとえわたしの夢がすべて現実になったとしても、それはわたしを満足させてくれることにはならなかったでしょう。わたしはさらに想像し、夢想し、希望したことでしょう。わたしは自分のうちに、なにものも満たすことのできない、説明しがたい空虚をみいだすのでした。どういうことかよくわからないくせに、その必要を感じている別の種類の楽しみのほうへ心が飛び立っていくような気がするのでした。

Cependant, au milieu de tout cela, je l’avoue, le néant de mes chimères venait quelquefois la contrister tout à coup. Quand tous mes rêves se seraient tournés en réalités, ils ne m’auraient pas suffi  ; j’aurais imaginé, rêvé, désiré encore. Je trouvais en moi un vide inexplicable que rien n’aurait pu remplir, un certain élancement du cœur vers une autre sorte de jouissance dont je n’avais pas d’idée et dont pourtant je sentais le besoin.

 しかし、ルソーはそのような悲しみに浸されることさえも感情の享受として楽しむ。

ところが、そういうこともまた楽しいことだったのです。そのときわたしはひじょうにいきいきとした感情と、心をひかれる悲しみにひたされて、その悲しみさえ、それを知らないことを望みはしなかったでしょう。

Eh bien, Monsieur, cela même était jouissance, puisque j’en étais pénétré d’un sentiment très vif et d’une tristesse attirante que je n’aurais pas voulu ne pas avoir.

 そして、夢想の最終段階に入っていく。

やがてわたしは、大地の表面から、自然のあらゆる存在へ、万物の普遍的な秩序へ、すべてを包容している理解しがたい存在者へとわたしの観念を高めるのでした。そのとき、精神はその広大な世界のなかに消え去り、わたしはなにも考えず、理性をはたらかせることも、思索することもしません。私は一種の快感を味わいながらこの宇宙の重みに圧倒されている自分を感じていました。混沌としたそれらの偉大な観念に身をゆだねてうっとりとしていました。想像によって空間のなかに自分を溶けこませようとしていました。存在の限界のなかに閉じこめられているわたしは宇宙のなかで息づまる思いをしていました。できれば無限のなかに跳び込みたいと思っていました。もし自然のあらゆる神秘からその覆いを取り去ってしまったとすれば、あのしびれるばかりの陶酔状態にあって感じたほど快い状況に自分を感じはしなかっただろうと私は信じています。わたしの精神のすべてを捧げてその陶酔に身をゆだねていたのですが、それは、はげしい興奮のうちにあるわたしに、ときどき「おお、偉大なる存在よ、おお、偉大なる存在よ」と叫ばせるだけで、わたしはそれ以上なにを言うことも、考えることもできなかったのです。

Bientôt, de la surface de la terre j’élevais mes idées à tous les êtres de la nature, au système universel des choses, à l’Être incompréhensible qui embrasse tout. Alors, l’esprit perdu dans cette immensité, je ne pensais pas, je ne raisonnais pas, je ne philosophais pas, je me sentais avec une sorte de volupté accablé du poids de cet univers, je me livrais avec ravissement à la confusion de ces grandes idées, j’aimais à me perdre en imagination dans l’espace  ; mon cœur resserré dans les bornes des êtres s’y trouvait trop à l’étroit, j’étouffais dans l’univers, j’aurais voulu m’élancer dans l’infini. Je crois que si j’eusse dévoilé tous les mystères de la nature, je me serais senti dans une situation moins délicieuse que cette étourdissante extase à laquelle mon esprit se livrait sans retenue, et qui, dans l’agitation de mes transports, me faisait écrier quelquefois  : «  Ô grand Être ! Ô grand Être  !  » sans pouvoir dire ni penser rien de plus.