内的自己対話-川の畔のささめごと

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「もっとも力強くもっとも美しい」政治書簡の一つ ― マルゼルブがルイ一六世の弁護人を買ってでる手紙

2023-06-09 23:59:59 | 読游摘録

 ルイ一六世がいよいよ裁判に付されることが国民公会によって決定されたとき、マルゼルブは、一七九二年一二月一一日、国民公会議長宛に以下のような手紙を送った。

 謹啓 国民公会が一六世にたいして弁護顧問を与えるのか否か、またその選択をルイ一六世に任せるのか否か、わたしは存じません。しかし、そうする場合には、ルイ一六世がもしわたしをその職務のために選ばれるなら、わたしはそれに献身する用意があることを、ルイ一六世に知っていただきたいと考えます。
 わたしの申し出を国民公会にお伝えくださるようお願いはいたしません。国民公会がわたしに関心をいだくほどわたしが重要人物であるとはとうてい考えられないからであります。しかし、わたしは、わたしの主君であった人間の最高会議に二度にわたって招かれたことがあります。当時、この地位はすべての人によって熱心に求められていたものであります。多くの人々がこの職務を危険だと判断しているとき、わたしは主君にたいして同じ務めを果たさなければなりません。もし、わたしが、自分の気持ちをルイ一六世に伝える方法を知っておりましたなら、貴殿にわざわざ書面を送るまでのこともなかったでありましょう。貴殿の帯びている地位からみれば、ルイ一六世にこの考えを伝えるのに、貴殿以上にその手段をもつものはいないと考えます。敬具
               木崎喜代治『マルゼルブ フランス一八世紀の一貴族の肖像』岩波書店、1986年、336頁。

 Citoyen Président,
 J’ignore si la Convention donnera à Louis XVI un conseil pour le défendre et si elle lui en laissera le choix ; dans ce cas-là je désire que Louis XVI sache que, s’il me choisit pour cette fonction, je sui prêt à m’y dévouer.
 Je ne vous demande pas de faire part à la Convention de mes offres, car je suis bien éloigné de me croire un personnage assez important pour qu’elle s’occupe de moi. Mais j’ai été appelé deux fois au Conseil de celui qui fut mon maître, dans un temps que cette fonction était ambitionnée de tout le monde : je lui dois le même service lorsque c’est une fonction que bien des gens jugent dangereuse. Si je connaissais un moyen possible pour lui faire connaître mes dispositions, je ne prendrais pas la liberté de m’adresser à vous. J’ai pensé que dans la place que vous occupez, vous aurez plus de moyens que personne pour lui faire passer cet avis.
 Je suis avec respect, citoyen Président, votre très humble et très obéissant serviteur.
             Jean des Cars, Malesherbes. Gentilhomme des Lumières, Perrin, collection « tempus », 2012, p. 462-463. 

 木崎氏はこの手紙を引用した後にこう記している。

 この手紙は、翌々日、官報上に公表され、心ある人々の驚愕と讃嘆をひきおこした。これはおそらく、これまで人間が書いた政治書簡のなかで、もっとも力強くもっとも美しいものの一つであろう。ルイ一六世はこの申し出を喜んで受け入れた。

 ルイ一六世は、この手紙の二日後、マルゼルブに感謝の言葉を書き送っている。しかし、国王(いや、このときは王位を剝奪され、タンプルの暗い獄舎に収監された囚人でしかなかった)の感謝の手紙はマルゼルブには届かなかった。マルゼルブはこの手紙のことを知らずに、後日タンプルの獄舎でルイ一六世に接見する。もはや自分の処刑は免れがたいことをルイ一六世は自覚していたことがこの手紙からわかる。マルゼルブへの感謝の言葉が記された手紙の冒頭部を引こう。

親愛なるマルゼルブ殿 貴殿の至高の献身にたいするわたしの気持を表現する言葉もありません。貴殿はわたしの願望を先取りしてくださり、七〇歳になった貴殿の手をさしのべて、わたしを処刑台から遠ざけようとされています。わたしがもしまだ玉座を占めているなら、それを貴殿とわかち、わたしに残されている半分の玉座にふさわしくなるでありましょうに。しかし、わたしは鉄鎖しか持たず、貴殿はそれを持ちあげて軽くしてくださるのです。(木崎上掲書、337頁)

Je n’ai point de terme pour vous exprimer, mon cher Malesherbes, ma sensibilité pour votre sublime dévouement. Vous avez été au-devant de mes vœux, votre main octogénaire, s’est étendue vers moi, pour me repousser de l’échaffaud et si j’avais encore un trône, je devrais le partager avec vous, pour me rendre digne de la moitié qui m’en resterait. Mais je n’ai que des chaînes que vous rendez plus légères, en les soulevant.
                                            Jean des Cars, op. cit., p. 465.

 カーの本にはこの手紙の全文が引用されているが、上掲の冒頭部に二箇所脚注が付されており、手紙原文には « octogénaire »(八〇歳(代)の)とあるが、当時のマルゼルブは七一歳であったこと、 現代の正書法では « échafaud » であるが、原文では « échaffaud » と f が重ねらていることが注記されている。

 マルゼルブは、他の二人の弁護人とともに、「ルイ一六世の処刑の日までの五週間、勝算なき戦いのために、文字通り寝食を忘れて没頭する。一七九三年一月二一日、王の処刑の日には、パリの殉教者通りにあるマルゼルブの館のまえには、マルゼルブを讃える民衆のデモがあったといわれる。」(木崎書、337頁)