内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「命なりけり」日毎のエクゼルシス(exercices)― 今日からブログ十一年目

2023-06-02 09:24:42 | ブログ

 二〇一三年六月二日にこのブログを始め、昨日で丸十年になりました。ごく短い記事や引用だけという日もありましたが、昨日の記事の投稿後、とにかく十年間一日も休まずに投稿できたことにいささかの感慨を覚えました。
 中身はともかく、毎日投稿できたということは、続けようという意志だけで可能なことではなく、それは恵まれたことであり、たとえ他の人にはなんの意味もないことだとしても、私自身にとっては「命なりけり」にほかなりません。
 一月二四日にジョギング中に転んで肋骨に罅が入ったことは、自分の体への配慮の仕方に少なからぬ変化を引き起こしました。体の「声」により注意深く耳を傾けるようになったのです。わずかな違和感にも敏感になり、その推移を継続的に見守るようになりました。
 この姿勢は、三月三〇日に起こったもう一つの小さな出来事によってさらに日常化されました。この出来事はこれまでこのブログで話題にしませんでしたので、ここに少し詳しく記しておこうと思います。
 三月三〇日朝、乗るつもりだった電車に乗り遅れまいと、自宅から最寄りの路面電車の駅まで走った直後、駅のホームで急激な目眩に襲われ、ほんの数秒でしたが、気を失い、気がついたら仰向けにひっくりかえっていました。六十五年近く生きてきて初めてのことでした。幸い、背負っていたリュックがクッションになって、どこも強く打ったところはなく、かすり傷ひとつありませんでしたが、気を失ったことには相当にショックを受けました。
 我に返ったとき、どちらかといえば心地よい脱力感のなか、今にも雨が降り出しそうな曇天が視界いっぱいに広がっており、仰向けに倒れたまま、自分がなぜそんな姿勢でいるのか一瞬わからず、数秒後になってやっと、急激な目眩に襲われて目の前の手すりにしがみつきそれに耐えようとして耐えきれず転倒したのだと了解できました。
 立ち上がって振り向くと、倒れていたときの頭部の位置のさらに向こう側にヘッドホンと帽子が落ちていましたから、それなりの勢いで倒れたらしく、まったく受け身の姿勢を取ることもできなかったようです。もし荷物の詰まったリュックを背負っていなければ、後頭部を地面に強打していたかも知れません。
 幸い、その後再び強い目眩に襲われることはなく、その日の大学の授業も平常通り行うことができました。翌日と翌々日は、ジョギングは休み、ゆっくりと歩くだけにしました。そのかぎりでは何の違和感もなく、他に体の変調を感じることもありませんでした。
 ただ、ふと振り向いたり、ちょっと俯いたり、頭をさっと振り上げたり、上体を急に捻ったりするとき、一瞬軽い目眩に襲われることがその後一ヶ月ほど続きました。気にはなりましたが、日常生活にも授業にも支障はなく、気を失った日の三日後にはジョギングも再開し、以後、一日だけウォーキングだけにした以外は、今日まで一日も休まずにジョギングを続けています。
 特に、五月に入ってからは、目眩を感じることもまったくなくなり、体調はすこぶるよく、三回ハーフマラソンの距離を走り、月の走行距離が三九二キロに達し、これは私史上月間最高記録でした。
 ジョギングにせよ、ブログにせよ、規則はただひとつ。無理せず続けられるかぎりは毎日続ける。それだけです。到達を目指す目標はありません。日々の積み重ねによって何かを獲得しようということもありません。日毎のエクゼルシス(exercices)、それがすべてです。