内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「近代日本の歴史と社会」前期中間試験問題 ― 神道非宗教論とは何か

2021-12-19 06:04:52 | 講義の余白から

 先週金曜日に、翌週の月曜、つまり明日には中間試験の成績を発表すると学生たちに約束したので、昨日今日と、ジョギング以外は家に籠もって採点に取り組んだ。今日は日曜日だというのに、午前2時に起き出して、採点を続けた。5時過ぎに採点終了。
 なんの準備もせずにテキトーに書いたであろう答案、授業での説明をよく理解できておらず、混乱した記述になっている答案などが残念ながらあり、24名の受験者中8名を不合格にした。百点満点に換算すると、最高点は93点、最低点は25点。
 設問は以下の通り。

教部省の国民教化運動は、期せずして仏教とキリスト教、そして神道主義者からもはげしい批判をあびることになった。そして、やがて教部省自体が解体されていくが、しかしそれは、政府が天皇崇拝を推進する「教化」を、あきらめたことを意味しない。むしろ、この後にこそ、その「教化」は巧妙な詭弁を積み重ねて、人民の間に深く浸透することになる。それが、「神道非宗教論」にほかならない。

En vous référant explicitement au texte ci-dessus, répondez à la question suivante :

En quoi consiste essentiellement « la thèse du shintô laïque (神道非宗教論) » ?

Dans votre copie, il vous faut remplir les deux conditions suivantes :

1/ Utiliser obligatoirement les termes suivants : shintô d’État (国家神道), religion instituée ou institutionnalisée (創唱宗教), religion naturelle (自然宗教), liberté de religion, de culte ou de croyance (信教の自由).
2/ Expliciter le contexte historique dans lequel a été forgée « la thèse du shintô laïque ».

 問題の冒頭の文章は、授業で二回かけて読んだ阿満利麿の『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書 1996年)の90頁からの引用である。
 授業では、この本を読む前に、大橋幸泰の『潜伏キリシタン』(講談社学術文庫 2019年)の中で神道非宗教論に言及されている箇所を読んだ。阿満利麿の本の第四章「痩せた宗教観」をかなり丁寧に読んだ後、礫川全次の『日本人は本当に無宗教なのか』(平凡社新書 2019年)第五章「明治政府は宗教をいかに扱ったか」でローレンツ・フォン・シュタインの「神道非宗教論」が明治政府に採用される経緯が叙述されている箇所を補完資料として読んだ。かなり執拗に神道非宗教論について考察したのである。その結果、不合格にした学生たち以外は皆、神道非宗教論の肝心なところと同論が登場した歴史的文脈はよく押さえていた。
 このように神道非宗教論をしっかり押さえておくと、国家神道が明治・大正から太平洋戦争の終わりまで日本人の信仰心にどのような影響を与え、戦後の日本人の宗教観にどのような影を落としているかがよく見えるようになる。それがこの出題の意図であった。その意図を見事に捉えた答案もいくつかあり、嬉しく思った。
 まだ数十枚のレポートの採点が残っている。これらの点数は一枚あたり最終成績の10%を占めるだけであり、よほどいい加減なものでなければ、少なくとも70点はあげる。いわば救済措置である。