内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

メディア・リテラシー中間試験問題 ― プラトンと現代メディア社会

2021-12-17 23:59:59 | 講義の余白から

 昨日話題にした答案採点は10月に行った中間試験の答案のことだった。ずるずると採点を先送りしていた。流石に冬休み前には学生たちに答案を返さなくてはと、ぎりぎり間に合わせた。
 試験問題は、授業で読んだ石田英敬の『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書)から取った一節に示された問題提起に即して設問した。以下がその設問である。

メディアは最初、記憶装置だったはずなんだけど、これは発達すればするほど忘却装置になっていく。どんどん情報のサイクルが短くなって、人々は忘れるようになったのではないか。いろいろなメディアを駆使するようになればなるほど、人間は記憶しなくなるのではないか。

En vous référant explicitement au texte ci-dessus dans votre copie, répondez à la question suivante :

Quels sont les rapports entre les médias et la mémoire dans notre société actuelle ?

Dans votre copie, il vous faut bien tenir compte de la différence qu’a établie l’auteur du texte ci-dessus entre mémoire et remémoration.

 上掲の引用文の問題提起に答案の中で明示的に言及しつつ、現代社会におけるメディアと記憶との関係を論ぜよ、という設問である。論述の条件として、上掲の石田書が取り上げているプラトンの『パイドロス』におけるムネーメー(記憶)とヒュポムネーシス(補助記憶)との区別を前提とすることを求めている。この区別については、授業で二回に渡って詳しく説明した。
 百点満点に換算すると、最高点は90点、最低点は35点。曲がりなりにも上記の条件を満たしていれば、論述が稚拙でも50点(最低合格点)はあげた。
 著者の問題提起とその前提を理解していなければ、まともな答案は書けないことは言うまでもないが、著者の意見に賛成するかどうかは別問題である。それへの批判を論理的に展開できている答案は高く評価した。現代メディア社会の構造を理解する手掛かりとして私自身が授業で導入したプラトンの洞窟の比喩をうまく取り入れている答案がいくつかあり、それらは特に私を喜ばせた。
 上掲のような設問をしたのは、現代社会の諸問題を理解するための道具として哲学を使うことを勧めるためではない。ただ、「ほんとうの哲学とは、世界を見ることを学び直すことだ」(メルロ=ポンティ『知覚の現象学』)ということを、プラトンを読むことを通じて実感してほしかっただけである。