内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

知と知性の網状組織構築のために一つの問題を持続的に考える

2021-12-13 23:59:59 | 講義の余白から

 このブログですでに何度も言及していることだが、私が担当する科目では、試験問題は事前に公表する。少なくとも一週間前、長いときは四週間前に公表する。さらに、各科目の公式ページにアップして、いつでも確認できるようにしてある。
 これは、しかし、学生たちに楽をさせるためではない。むしろ逆である。試験は、大問一つの小論文形式で、授業で取り上げた諸テーマを横断するような設問になっている。授業をちゃんと聴いていなければ、まずまともには答えられない。授業で使った参考資料や言及した参考文献を読んでも、そこに答えが書いてあるわけではない。しかも、授業で私が話したことをただ要領よくまとめればいいのではなく、その問題について自分の頭で考え、議論を構築できないと、いい点は取れない。つまり、よほど時間をかけて準備しないとまともな答案は書けないような設問になっている。
 結果として、成績全体を見てみると、他の科目の成績との間に著しい違いは出ない。つまり、優秀で日頃からコンスタントに勉強している学生がよい成績を収め、普段授業をよく聴いておらず、また自分の頭で考えようともしない学生はおのずと低い点数しか取れない(意外な結果がほとんどないのはちょっとつまらないほどである)。
 なぜ予め問題を公表するかというと、解答の準備に相当な時間がかかるという上に述べた理由はむしろ副次的で、主たる理由は別にある。
 試験当日までずっと考え続けるかどうかは別として、問題公表以後、少なくとも学生たちの頭の片隅には問題が記憶されているはずである。試験準備を本格的に始めるのは試験直前になってからだとしても、問題公表後ずっとちょっとは気になっているはずである。そうなると、試験問題に関連する情報におのずと気づきやすい状態に脳がセットされる(全員がそうだとは言わない)。必ずしも私の授業とは関係のない話の中にもそのような情報は潜んでいるかも知れない。それらの情報をキャッチしやすい状態になっているはずなのである。
 もちろん、現実はそんなに単純ではないし、ただ情報が蓄積されればそれでよいというものでもない。こちらの狙い(あるいは願い、いや、祈願)は、一つの問題をめぐって収集あるいは集積された情報を整理、組織化しつつ、その問題に対する解答を持続的に考えることを通じて、知と知性の網状組織(ネットワーク)が学生それぞれと彼・彼女たちがその中で生きている情報社会との間に形成されることである。
 目の前の試験という短期的な目的のために断片的な知識を頭に詰め込んでそれらを試験のときに吐き出して終わり、という不毛な勉強はやめてほしい。それで結果としていい成績を取ったからといって満足しないでほしい。
 意識的な試験勉強と半意識的な試験準備態勢(というか、試験問題が気になっているという心理状態)とほぼ無意識的な知の指向性(試験問題に関する情報への感度が高まっている脳の状態)を通じて、試験後も随時補給される「栄養」によって増殖する、分野横断的な汎用性を備えた知と知性の網状組織を形成することで、この困難な時代を生き延びていってほしい。
 このように願いつつ問題を考案している。