内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

国民の自由とは無関係な「学問の自由」― 今、三木清を読むことの意味

2021-02-10 11:55:39 | 読游摘録

 三木清の人と思想を当時の時代状況中に位置づけながら思春期から死まで辿ることは、大正期から敗戦までの日本近代思想史の諸側面を自ずと照らし出すことになる。本意ではなかったにしても、三木が三十代前半でアカデミズムの外に出て、学術的な著作以外に多数の時事評論的文章を残したこと、政治的関与によって官憲に検挙されるなど、時代の困難に身を以て関わったことからわかるように、三木清の人と思想は、主要著作の内容を遥かに超えた広がりと奥行をもっている。
 三木の死の三年後の一九四八年に出版された三木清追悼文集『回想の三木清』(三一書房)に最初寄せられ、今では『久野収セレクション』(岩波現代文庫 二〇一〇年)に収録されている「三木清 ―― 足跡」の中で久野はこう書いている。

 三木さんがアカデミーの中に終始立てこもって、時々民間のジャーナリズムに顔を見せるという、わが国の知識人に普通な生き方をもし選んでいたとしたならば、よほどの不運に見舞われないかぎり、あのような運命を、恐らく招くことはなかったであろう。外国とわが国とでは、この間の事情が全く反対なのであって、実はここに深刻な一つの問題がひそんでいるのである。外国ではアカデミーよりも民間に生きる方が、ずっと自由でノビノビとした生き方を意味するのであるが、わが国ではアカデミーにとどまる方が、はるかに自由であり、知識人として民間に生きることは、かえってあらゆる点の不自由を意味し、或る場合には甚だしい危険すらをも含まねばならない。これは日本におけるアカデミーの自由が、国民一般の人間的自由の特殊化として成立しているのではなく、それ故に国民一般の人間的自由によってあたたかく支えられているのではなく、国民の自由とは無関係な、或いはそれに抑圧的な一個の特権的官僚的自由であることを意味している。学者たることの自由が人間たることの自由の上に基礎づけられていないという点にこそ、日本の学問の致命的無力の理由が存在し、日本の国民の深刻な不幸の一つの有力な原因が存在する。軍閥と官僚による学問の自由の蹂躙が、あれほど見事に成功したのは、国民の一人一人が、その蹂躙を自己の人間的自由の部分的蹂躙として、実感し得なかったという事実にもとづくであろう。学者の側も、自由を特権的自由として享受することで満足し、それを国民の一般的自由の問題と結びつけて、たえず開拓し、確保する用意と努力にかけていたことは、とうてい否定することが出来ない。(二四四-二四五頁)

  この文章が書かれた敗戦直後の状況、そしてその中で言及されている戦中の日本の状況と今のそれとはもちろん同じではない。しかし、国民一般の人間的自由と学問の自由との関係についてのこの文章を読んで、現代の私たちは、これはもう過去の問題だと言うことができるだろうか。今、三木清の人と思想を辿り直すことは、単なる大正昭和思想史研究の枠に収まる問題ではないと私は思う。