内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

あまりにも人間的なものに覆われた現代世界における樹木という根源的な他性

2020-08-09 20:06:27 | 哲学

 フロランス・ビュルガ Florence Burgat が Qu’est-ce qu’une plante ? の中で最初に引用するのは、高名なフランス人植物学者・樹木学者フランシス・アレ Francis Hallé (1938-) である。その引用は序論の冒頭の段落にある。その引用が出てくるところまでの大意をまず示そう。
 植物はモノではない。植物は生きている。しかし、それはどのような意味においてか。個体化された生の場合とは異なり、植物的生はネットワーク状の生である。その中心が至るところにあり、その周囲はどこにもない(私注:言うまでもなく、これはパスカルの有名な断章の著者によるパクリであるが、あまりもベタで鼻白まずにはいられない)。植物の中心、それはどこにあるのか、捉えどころがない。それは、絶えず分岐し再生する発展過程を通じて変化し、困難・障害を回避する。植物の世界を支配しているのは、死ではなく、まったく反対に、「潜在的不死性 immortalité potentielle」である。
 この「潜在的不死性」という表現が Francis Hallé の Plaidoyer pour l’arbre, Actes Sud, 2005, p. 42 から借りたものである。この事実上の不死性は、ある種の植物の群体的生態によって説明される。つまり、群体は、その個々の構成要素である単体の生を超えて持続する。
 本文中のこの表現に付された脚注に Hallé の上掲の本から引用された文章が示されている。その要旨は以下の通り。
 樹木は群生的生態においては潜在的に不死であり、老化・老衰とは無縁である。それは、言うまでもなく、樹々が永遠に生きるということを意味するのではない。樹々も死ぬ。しかし、樹々を死なせる原因は、つねに風、火、寒さ、様々な病原体、地滑り、森林伐採などの外因である。
 著者ビュルガは、アレとともに、植物と人間・動物との間にある生態学的・生命論的に還元不可能な差異、植物の人間・動物に対する根源的な他性(altérité)を強調する。
 アレは、1999年に刊行された Éloge de la plante. Pour une nouvelle biologie, Seuil, édition en format de poche, coll. « Points Sciences », 2014 の中ですでにこう述べている。

Essayons de comprendre ce que sont les arbres, et nous voilà aussitôt dans l’embarras devant le mélange de leur incontournable présence et leur complète altérité (p. 31).

 樹木とは何かと理解を試みようとすると途端に、私たちは、樹々はこれほどまでに私たちに親しい存在であるのに、それらが私たち人間とはまったく異なった他なるものであることに戸惑わざるを得ない。古代文学から現代文学まで枚挙にいとまがない樹木についてのあらゆる擬人化の誘惑に抗し、人間中心主義的な類比的思考を排し、樹木という謎、樹木という完全なる他性をまずは認めることから始めよう。そうアレは繰り返してやまない。

J’aimerais préserver l’altérité des arbres comme l’une des plus précieuses ressources parmi celles qui nous aident à vivre, dans un monde submergé par l’humain (Plaidoyer pour l’arbre, op. cit., p. 13).

 樹木の根源的他性こそ、このあまりにも人間的なものに覆われた世界の中で私たちが生きていくためにもっとも貴重な源泉の一つである。だからその他性を大切にしたいとアレは言う。