内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「私はあなたに出会えてよかったと思う」― 西村ユミ『語りかける身体 看護ケアの現象学』読中ノート(4)

2020-08-01 10:09:39 | 哲学

 『語りかける身体』の記述をそのままなぞるかたちで、Tセンターの看護体制を見ておきましょう。
 Tセンターの看護体制は、ひとりの患者のケアをひとりの看護師が責任を受け持つというプライマリー制をとっています。プライマリーになれるのは、Tセンターにおける勤務経験が一年以上であり、センターの一年間の教育プログラムを修了した者とされています。入職半年後からは、アソシエイトナースとしてプライマリーナースの指導下で一人の患者を受け持ちはじめます。
 プライマリーナースの主な役割は、受け持ち患者のケアプランの作成と実施、特に自分が勤務していないときにも他のスタッフがスムーズにケアを行えるように工夫すること、そして患者への看護介入の成果について評価することなどです。また、家族とのやりとりも任されています。
 多くの看護師たちは、勤務以外の時間にも必要に応じて病棟に現れたり、受け持ち患者に大きな変化があったときは「呼び出し」を受けます。Aさんは、インタビュー開始当時、このようなプライマリーナースの役割を三年余り経験していました。
 一般の入院の場合と異なり、回復・治癒を目指した積極的な治療・処置・手術などが行われることはまずなく、容態を安定させるため、あるいは何らかの病気に罹った場合の治療・手術を除けば、医師が関わる場面は相対的に限定されており、患者との日々の、しかも長期に渡る関わりの主役はプライマリーナースだということが本書を読んでいるとよくわかります。なかには同じ患者のプライマリーナースを十年以上務めた看護師さんも同センターにはいたそうです。
 Aさんも、プライマリーナースとしてどうしても患者のことが気になり、勤務以外でもよく病棟に顔を出しているそうです。「もし何かあったときに居たいと思うのは、プライマリーゆえのいいところやと思うし、それやから結局、患者さんとつき合えるってところもあると思うんですけど」という一言からもわかるように、Tセンターでは、看護師と患者との一般的な関わりを超えた関係性が長い時間をかけて形成されていき、その関係性の中でこそ、著者もしばしば引用しているメルロ=ポンティの言葉を使えば、両者の間の成立した「間身体性」においてこそ、一般にコミュニケーションが不可能あるいはきわめて困難とされる植物状態患者との交流が可能になっています。
 このような患者と看護師との関係の中で、看護師たちは生き生きと楽しそうに仕事を行っているのを見て、著者は、このようにケアが続けられるのはなぜかなのかを、最初のインタビューから一年を経過した第七回目のインタビューの中でAさんに問いかけています。Aさんも最初から何の疑問もなくこのような関係性を受け入れたわけではなく、働き始めた当初は思い悩み、自分の師匠に疑問をぶつけてみたこともあったそうです。そして、Tセンターに勤めはじめてから四年たった今、次のように考えていると語っています。非常に大切なことが、なんら飾るところも気負ったところもない平易な言葉で語り出されている箇所なので、一切省略なしに引用します。

お互いにお互いを必要としているからやろなって。人間関係って、すごーい、これをまただから、もし具体的に説明してねって言われたらよう説明しないんですけども……この人に会うべくしてここに居るっていうのがあるのかなって。なんでこの患者さん、ここに居るんだろって思ったときに、患者さんがここでこうして生きているのは、誰かが、どこかで誰かが生きていてって願っているからだろうって。彼が生きてることを望んでるから、彼はここに生きてる。私はなんでここに居るんだろうって思ったら、やっぱり、この人に会うためにここに来たんだなって、思わざるを得ないような気がしてるんですよ。四年間仕事してきて。……住田さん以外のプライマリーって考えられなかった。横井さんを迎えたときに、横井さん以外のプライマリーになることは考えられない。……もしもって言葉は絶対出なくて、私はこの人のプライマリーになるために、今ここにおるんや、辞めずにここにおるんやっていうのが。村口さんのときでも、ただプライマリーとして迎えたときに、やっぱ違和感なく、私はこの人のプライマリーなんだっていうのはあった。……なんかそういう実感が出てきた、実感が湧いているのは確かですわ。……住田さん以外のプライマリーは考えられなかったし、「私はあなたに出会えてよかったと思う」っていうのは素直にそう言える。