城郭探訪

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須川山城 近江国(山東)

2015年04月04日 | 戦国山城

虎口石垣虎口

お城のデータ

所在地:米原市須川(旧坂田郡山東町須川) map:http://yahoo.jp/GBvu71

区 分:山城

現 状:森林

築城期:織豊期(元亀元年(1570)頃)

築城者:遠藤喜右衛門直経

城 主:遠藤喜右衛門直経

廃 城:元亀元年(1570年)

標高:237m 比高差:100m

遺 構:土塁、空堀、竪堀、堀切、土橋

訪城日:2015.4.2

頂部の石列頂部の土塁

頂部の南側は、江戸期に「旧伊邪冊神社」跡地に落とし積み石垣や石段、燈籠等が残る。

 

お城の概要

 須川集落の北東背後の尾根。標高237mの頂部を中心に100m四方の間に遺構が残る。頂部南側に石垣を残す東西20m、南北14mの郭と東側に一段下がった東西25m、南北30mの東端に弓形の低土塁を有する郭を中心として、西側から北側の斜面に5~6段の帯郭(幅3~7m)が廻っている。

 頂部の南側は、江戸期に伊邪冊神社の境内となり、跡地に落とし積み石垣や石段、燈籠等が残っている。

城の遺構

南西に竪堀状の石積み等が残る。
東側は、谷が北から南に食い込んで急崖(自然の切岸)。、南東部分を堀切で狭め土橋を越えると低土塁の付属した長さ20mの通路となり、背後の尾根に登る山道に繋がる。当城の搦め手と考えられ防御を固めている。

 主郭遺構は不明瞭で石灰岩の露岩も多く削平も甘いように思えるが、東側の一段下がった郭は、土塁、虎口部の石列、堀切、竪堀、長土橋の遺構が観察でき。

 

写真は、頂部の曲郭群~虎口への城道を下りながら・・・・!

土橋土塁街道(西)側に低土塁が20m~30m続く。東側尾根上削平地5m×30m

尾根上の土塁

堀切 堀切 

山上曲郭への城道

檀上曲郭に直径4尺凹地の井戸?

山麓石積城域・・・山麓登城口

採石場林道脇の祠(向かい側が登城口)砂防ダム車駐車位置

歴 史

 江州佐々木南北諸士帳に、坂田郡須川住 浅井随兵 遠藤主膳・遠藤加右衛門とある

 遠藤氏は、鎌倉武士の出身といわれ鎌倉時代に近江に所領を得て、代々須川一帯を治め須川城を居としていたことから、須川山城は詰城。

元亀元年(1570年)には、織田信長の江北侵攻に備えて、浅井氏が江濃国境に設けた南北の防御ラインである長比城(野瀬山城)、須川山砦、千畳敷遺構(田中の城)・大峰砦・上平寺城・刈安尾城の間に位置することから、須川山城もその一翼を担った可能性がある。
6月19日に長比城や上平寺城の守将であった堀秀村とその家老・樋口直房が戦わずして開城した。当城も織田方の掌握下に入ったと思われている。

須川山城(遠景)

須川山城~須川山砦(遠景)県道551号沿いの石碑(遠藤直経のゆかりの地)

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査・淡海の城・Wikipedia

       今日も訪問ありがとうございました。


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