城郭探訪

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津山城 近江国(甲賀・水口)

2014年03月11日 | 平山城

・所在地:甲賀市水口町下山 map:http://yahoo.jp/TMk7qN
     旧:甲賀郡水口町

・目標地点:

・形式:丘城

・比高差:30m

・現況:山林・竹林

・遺構等:郭・土塁・堀?

・時代/人物: 室町期/

・城 主:伴勘左衛門唯利  伴半兵衛直次

・主郭までの所要時間:10分

・訪城日:2014.3.9

  津山城   大字下山字細佐 臼井氏宅より約200mの所で裏の山 内面積 1400㎡

     

虎口(旧大谷池の排水口・・・水路の手前を山裾から)

  虎口に入ると「砕石」が?

                                      

津山城は、下山集落の北西、思川を臨む丘陵上から丘麓にかけて築かれていた。
縄張は、円形に約6m掘り下げた主郭と、その南方丘麓に向けて3つの曲輪を連ねていて、詰城と居館が一体となった根古屋式山城の形を呈している。

主郭を取り巻く土塁は、自然地形の斜面をそのまま残した傾斜で、土塁上は非常に歩きにくい。主郭土塁背後には深さ約7mの大空堀が、傾斜面のためか階段状に掘られている。主郭の東側に開口部があるが、外側は大空堀が切岸となっていて虎口とは言い難い。開口部の南側は土塁がL字状になっており、その南直下の曲輪との間に本来の虎口があったが、後世の破壊によって消失したのではないかと思われる。

主郭直下には土塁に囲まれた削平不充分な曲輪があり、ほぼ中央付近に低い土塁で東西に区画されている。そのうちの左側の曲輪を南へ降りると、麓との高低差がない土塁で囲まれた方形の曲輪となる。ここが平時の居館ではないかと思われる。南辺の虎口にはわずかに石積みが見られ、脇には五輪塔などの石造物がかためられていた。

  郭Ⅳの虎口(南側民家の裏山)        

山すそは平虎口の如く両サイドに土塁をもった郭がまずあります。ここから上に二段の郭がありそれぞれの高低差が10m程度あります。

二段目は斜面を階段状に削り平坦地を作り出し、両端が斜めの土塁になっています。

一番上の郭は主郭と思われますが、すり鉢状になって土塁が巡ります。しかしながら、藪がきつくで全体が見渡せません。この主郭の西側には竪堀というか斜めの堀があり、これは主郭をU字状に巡っているようです。単郭方形の多い甲賀の城で階段状に郭を配した少し変わった城です。
円形状の縄張は、無理にでも方形館を基本としているかのように思える甲賀の城館ではめずらしく、印象に残る城であった

この城の東側、田んぼを挟んで200m東の丘陵は下山北城があります。

【歴史】
津山城は、通称「伴谷」と呼ばれる山村三郷(上山村・中山村・下山村)に勢力を誇っていた伴氏が、伴同名中を構成した侍衆の城だと思われる。地元では津山氏が城主だと伝えられてきたが、本来伴氏が居城したというのが通説で、伴氏は戦国中期頃、唯利のときに備中津山へ移り住んだとされ、この移住先の津山が誤って城主名として伝えられたのかも知れない。津山右京の城と伝えられます。

天台宗   善隆院     大字下山字細佐
       津山城跡の南、臼井氏宅の裏にあったが、浄土宗九品寺の草創によって廃寺となり又本尊等も不明である。

 

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)

 

本日も訪問、ありがとうございました。


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