城郭探訪

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滋賀県内戦争遺跡見学フィールドワーク

2013年07月09日 | 戦争遺産

県内戦争遺跡見学フィールドワーク

 県平和祈念館は、七月七日の「県内戦争遺跡見学フィールドワーク」の参加を二十三日まで募っている。大津第九連隊にかかわる若鷲の碑、御幸山の紀年碑、園城寺の絵馬などを巡る。定員は先着三十人。参加費五百五十円。京阪電車別所駅午前九時集合。TEL0749―46―0300。

講師・現地案内・・・ 滋賀県立大の中井均准教授(日本考古学)

 

兵営跡地の多くは、大津商業高校・市役所となっている。

【若鷲の碑】案内板・・・歴史博物館方面へ

 歴史博物館下の穴太遺跡のオンドル

 歴史博物館下の旧東海道の車石

歩兵第9連隊は、よく京都9連隊と言われるが、その輝かしい歴史の多くは大津を衛戍地としていた。

明治7年6月に大阪で創設、同年12月に軍旗を親授され、翌明治8年3月に大津へ移駐し、以後、西南戦争、日清戦争、台湾土匪討伐、日露戦争、シベリア出兵、満州守備などの経歴を経て、大正14年に京都伏見へ移駐した。
ただ、郷土の誇りでもあり、また経済的理由でも連隊の移駐には反対も多く、第3大隊は引き続き大津に残る事となった。
その歴史ある歩兵第9連隊の遺構は皆無と言われているが、詳細不明ながら、僅かに境界石等を見付けたので紹介する。

歩9兵営跡地の多くは、大津商業高校となっている。

    

削岩のノミの跡

削岩のノミの跡

大正7年・・奉納額

のろばん碑の展望台から大津市・琵琶湖(園城寺内)

三井寺の裏山には、西南戦争の祀念碑がある。明治13年5月24日竣成(?)と彫られている。
さて、この祀念碑の場所は分かり難い。土地勘のある人なら山道を通って行けるだろうが、私は三井寺の中を通って訪ねた。(この際には、拝観料500円が必要となる。)
大津そろばんの碑等、記念碑がある一角があるのだが、そこから更に山を登る事5~10分のところに開けた場所があり、そこにあるのだが、非常に分かり難い。

 

明治末年に撮影された陸軍歩兵第九連隊の写真です。
明治6年(1873)1月、明治新政府によって徴兵制が施行されると、同年、全国を6つの軍管区に分けて、その下に連隊を置くことで、兵力の整備を計りました。
このとき、軍管区も連隊も、ナンバーを付けて呼ばれるようになります。
大津には、第四軍管大阪鎮台所属の第九連隊と呼ばれました。
陸軍歩兵第九連隊の始まりです。

ただ、大津に移駐してきたのは明治8年でした。
場所は別所の地、現在の滋賀県立大津商業高校の建つ地で、そこに兵舎が建ち並び、兵舎の東方(琵琶湖側)は広い練兵場でした。

以前、京都市山科区の方から、この第九連隊の兵舎を撮影した明治末年の写真を寄贈していただきました。

かなり鮮明な写真で、拡大すると、第九連隊の正門や兵舎、練兵場、その背後の将校集会所、弾薬庫の詳細が見てとれます。

以下に、全体写真と正門付近、将校集会所付近の写真3枚を掲載し、解説を付けましたので、興味のある方はご覧ください。


写真1 第九連隊兵舎全景
画面左下には(練兵場の向かって左側)、藁葺きの小屋や莚を干している風景が写されています。
また兵舎は、現在の大津商業高校あたりですが、向かって右側、寄棟の屋根に2階建ての兵舎2棟が並んでいるのは、現在の大津市役所本館・新館・別館が建っているところです。


写真2 第九連隊正門付近
現在の大津商業高校正門と同じ場所にあたります。門の手前両側には、門衛の詰め所となっていた小さな建物が見えます。
九連隊の敷地全体が少し高くなっており、手前の練兵場との間に細い道があることも確認できます。


写真3 将校集会所付近
写真左上、九連隊兵舎群の向こうの山すそに、将校集会所が写っています。
この集会所は戦後、アメリカ軍が接収し、引き続き使用していたのですが、昭和26年、漏電によって全焼し、その後、洋風の建物が建設されます。
この新しい建物は、年配の市民の方は覚えておられると思いますが、ながらく大津市民文化会館として活用されていたものです。
なお、全焼前の将校集会所は、彦根城内の建物を移築したものとも言われています。
また、その集会所の右上には、土手に囲まれた蔵のような建物が写っていますが、これは九連隊の弾薬庫とのことです。

 

 

歩9 (5)
碑の近くにある石柱。詳細不明だが営内にあった物か?

歩9 (7)こちらも詳細不明の燈篭の一部と思われる物。将校集会所の庭園の物か?

歩9 (9)
階段を上がるとある「陸軍地」の境界石。陸軍墓地にある物と同じである。(ただし、どこにあった境界石かは不明)

 兵営前駅はホームのみが残っている。

陸軍墓地の南には火薬庫の記載が有る。何の情報も無いので何も残ってないだろうが、せっかく来たので訪ねてみる。

歩9 (10)火薬庫に向かう道には狸の石像と、その後ろには道標があった。形状的に違うだろうが、念のために見てみると・・・

歩9 (8)何と、陸軍の文字が!!!これは珍しい境界石で、こんな指さしの形状の物は初めて見た。

歩9 (13)さらに坂を登る途中にも、境界石と思われる石柱の有ったが、埋まっていて詳細不明。


火薬庫付近は、境界を調べるために墓地に入ると、移設された物であろう「陸軍省所轄地」の石柱が2本あった。

写真、向かって右の石柱 こちらは左の石柱。

なお、大津連隊区司令部跡と憲兵隊跡では、遺構は見つけられなかった

 

参考資料:現地説明、poen/blogレポート


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