城郭探訪

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近江歴史探訪ウォーク 【陸軍八日市飛行場と周辺戦跡を巡る】

2014年11月16日 | 戦争遺産
JRふれあい ハイキング 【近江歴史探訪ウォーク】
 
 東近江市観光協会  観光ボランティアガイドと東近江路の戦争遺産を巡る。
 【陸軍八日市飛行場と周辺戦跡を巡る】11月15日=日本で三番目に開設された同飛行場の戦争遺跡を中心に旧八日市市内を巡り、布引山麓に今も残る掩体壕群を目指す。
コースは順に、近江鉄道八日市駅(集合)、本町通り商店街、市神神社、東近江大凧会館、湖南鉄道廃線跡、陸軍飛行場跡、冲原神社(昼食)、掩体壕、近江鉄道大学駅前(解散)。約十キロメートル。
集合時間:午前十時で、完全予約制。 参加費用:各五百円(保険料、資料代、ガイド料)で交通費は含まない。
問い合わせ:同観光協会(TEL0748―48―2100)
 
出発式
 
八日市の商店街=御代参街道(本町通り)のヴォーリス建築
 
市宮神社へ
額田王の立像(昭和天皇在位60年=1985年京都の復元師に」より彩色された)
(400年前の市場まつりで山車飾られていた立像=彩色前の写真)
 
ここから、戦争遺産を巡る~
八紘荘(旧・飛行士の宿所)
 
陸軍の境界碑(世界大凧会館に4本残る)
 
 
「旧飛行場線路跡)の桜並木
陸軍八日市飛行場跡碑(滋賀日産の北、国道421号沿い)http://yahoo.jp/1BGods
 
冲原神社

多くの飛行機士が飛び立った飛行場の後

大正3年(1914年)、今の八日市南高校付近に日本初の民間飛行場が開設されました。 その後、軍の航空部隊を誘致する計画が持ち上がり、大正11年(1922年)、陸軍八日市飛行場となり、航空機の発達とともに規模が拡大されて行きました。しかし、当時の飛行機は故障が多く、飛行士の無事と飛行の安全を守る冲原神社が敷地内に建立されました。戦時中、この神社には出撃前の兵士たちが参拝に訪れたと言います。  戦争末期には、八日市飛行場も米軍の爆撃を受けるようになり、航空機を敵の爆撃から守る格納庫「掩体壕」が築かれました。  当時の飛行場正門は冲原神社に移築されているほか、飛行場の滑走路だったところは、今では神社前の道路となっています。神社の拝殿には、戦闘機が大空を飛ぶ姿や海上で戦艦と戦う様子を描いた絵馬が、遺族会から奉納され飾られています。

住民たちの手で復興した「冲原神社」http://yahoo.jp/o8JeBG

大正14年(1925年)に建てられ、多くの兵士が手を合わせた冲原神社も、戦後はお参りする人影もなくなり、本殿も拝殿も姿を消して荒廃していきました。しかし、昭和34年(1959年)の町制誕生を契機に、中嶋高名宮司らを中心に、沖野町の住民たちの手によって復興しました。境内には戦没者の慰霊碑があり、戦争の悲惨さを今に伝えています。

 

コンクリート製 掩対壕http://yahoo.jp/naClNz

八日市飛行場 戦時中に陸軍八日市飛行場第八航空教育隊に所属していた三船敏郎 第八航空教育隊時代の三船敏郎(提供・三船プロ
 
布引スタジアム
 
 
御代参街道
見返り稲荷
 
移築の道標・常夜灯
 
道標
 
布施山城
 
八日市発祥の元祖「ぼびだし坊や」
びわこ学園大学
 
近江鉄道:大学前駅
解散、お疲れ様でした。
 
本日の実歩数  20,022歩
    実距離  15.0km
   実歩時間 3:13
 カロリー消費 600.5kcal
  脂肪燃焼量  85.7g 

   本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!



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