お城のデータ
所在地:甲賀市(旧甲賀郡)信楽町小川 map:http://yahoo.jp/T2crID
目標地:小川のバス停
区 分:丘城
標高:390m 比高:60m
現 状:山林
遺 構:曲廓・土塁・堀切・武者隠し
築城期:織豊期・・嘉元3年
築城者:鶴見伊予守・小川俊盛
駐車場:登城口に
訪問日:2016.2.8
主郭背後を三重の堀切が守るお城。
お城の概要
集落東側の山すそに「中之城」の案内があり、ここから登ります。5分程度で主郭に到達します。尾根先端を削平し、尾根は大きな堀切で切断されていて、郭の尾根側(堀切)は削り残しの大きなコの字状の土塁が残っていました。この郭はけっこう広く、幅20m*長さ40mくらいあるでしょうか。監視の城というより出撃の城つう感じです。この中之城から堀切の先の尾根をさらに登っていくと小川城に到達します。この間、小郭が二箇所、堀切が連続して数箇所認められます。本城と支城の連絡道がきれいに残っているという感じです。中之城から小川城まで1.5Kmと表示ありますが そんなに距離は感じませんでした。
小川中ノ城は、小川城の居館とも云える城。
山頂の小川城と麓の中ノ城は、尾根伝いに登城道が通じているが、その尾根を三条の堀切で防禦し、馬蹄形の切込土塁で三方を囲んだ広い曲輪となっていて、伊賀や甲賀によく見られる豪族居館様式の縄張りとなっている。
この城の見どころは何と言っても幅約10m・深さ約8m程もある主郭背後の大堀切だろう。
歴 史
小川城は、嘉元3年に鶴見伊予守によって築城されたとされているが、小川俊盛によって築かれたとの説もあり、築城年代・築城者については定かではない。
戦国時代、小川城は多羅尾氏が城主となり、信楽一帯の盟主として勢力を誇ったが、文禄4年に豊臣秀次事件に連座し改易され、小川城は廃城となった
尾根道であるが、土塁が畝状にいくつも!ここから「中の城郭」域です。中の城址~小川城への案内板・・・ここを下って行きます。大堀切竪堀も左右に大きく、はっきりと!大堀切(深さ5m)この上が中の城主郭で狭いこの道下れば集落、西の城へ主郭
山すそに集落東側の「中之城」の案内があり、ここから登れます。5分程度で主郭に到達します。尾根先端を削平し、尾根は大きな堀切で切断されていて、郭の尾根側(堀切)は削り残しの大きなコの字状の土塁が残っていました。この郭は、幅10m×長さ10mくらい。監視の城というより出撃城・出丸・物見櫓ヵ。この中之城から堀切の先の尾根をさらに登っていくと小川城に到達します。この間、小郭が二箇所、堀切が連続して数箇所認められます。本城と支城の連絡道がきれいに残っている。中之城から小川城まで1.5Kmと表示ありますが そんなに距離は感じません
駐車スペース
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀の城、武家家伝多羅尾氏、
本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!