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城郭探訪

yamaziro

安孫子南城 近江国(秦荘)

2013年03月17日 | 平城

公園に建てられた【安孫子氏隠居所址の石碑】

所在地::愛知郡愛荘町(旧愛知郡秦荘町)安孫子・東出 map:                                                                                    

現 状:あびこ城址公園 グランド

遺 構:石碑

築城者:安孫子氏

築城期:鎌倉期

城 主:安孫子日向守勝久

訪城日:2013.3.17

南城は現在の「あびこ城址広場」とその西側民家数軒付近にあった。近年までは広場の東から南にかけて、かなりの高さの土塁とそれを取り巻く堀が残存していた。しかし1985年字民運動場の造成により全壊している。
このように遺構はことごとく消滅し、グラウンド北側に「安孫子城隠居所址」の石碑が建つのみである。

 我孫子地区の「あびこ城址広場」が我孫子北城跡である。

歴 史

安孫子北城は、平安末期に開発領主として土着した安孫子氏(佐々木の臣)が領主制を展開し築城したとされる。安孫子氏は『今昔物語集』で著名な矢取地蔵の門前を守護していた。

日本城郭大系によると南安孫子村城主安孫子右馬允の名があり、「愛知郡志」には安孫子日向守、文六の名が見える。

  その後、隠居城として安孫子南城を分離・独立したのカ?

安孫子神社

 安孫子の集落の中心に安孫子神社が。

 

 由緒

   創祀年代は詳かでないが開化天皇の皇子彦坐王四世の孫白髪王の裔がこの地に住して祀蔦も野と伝えられている。三代実録貞観十三年の条に「壬辰授近江国正六位天若御子神従五位下」とある。
観音社は本地佛十一面千手観音像を安置している。守護職佐々木氏をはじめ武家崇敬篤く領主安孫子日向守勝久は神饌用の寄進社殿の造営あり織田氏の兵災により安孫子氏没落し社頭淋れしも氏子の信仰篤く現状に復す、安孫子氏の末裔より春例祭に神饌料の奉納絶えず。天稚日子神社と称し明治九年村社に列し同十二年安孫子神社と改称、同十四年に郷社に加列し神饌弊帛料供進指定となる。

  同じく集落の中央に浄光寺という立派なお寺もありました。
その鐘突き堂の立派なことにも驚きます。
安孫子の文化度の高さがここでも感じられました。そんなに大きな集落でもないのにこれだけの神社、仏閣があることは驚きです。
しかし、ここでもほとんど人と出会わず、やっと不思議だな?という疑問がわいてきました。
そういえば、先ほどからマイクで大勢の人に何やら説明している声が聞こえていました。
ハプニングの前触れとはこのときは知る由もありません

 

安孫子神社・・・「山芋の里 あびこ」

天雅彦命(アメワカヒコノミコト)をまつり、年代は不詳であるが、古社として古文書にも登場。
鎌倉時代地頭である佐々木氏の幕下の安孫子氏が当地に居城し安孫子日向守勝久の武運長久を祈り、代々崇敬された神社。

後に織田信長に兵火を受け安孫子氏は各地に離散するが、近年、福井県に逃れた安孫子氏の末裔の方々が大燈籠や石柱を寄進した。 

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。

 


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