出発式(ガイド嶋田氏・中島氏・世話人廣田氏) 参加者は40人余り。
大東亜戦争終結から、来年で70年になり戦争末期の玉緒村は戦火にさらされ非常に危険な地域でした。燃し過去の記憶は風化しつゝあり今当時状況を記録し、平和への希いを語り継いでいかねばならない。
この活動を続けております「東近江戦争遺跡の会」では、布引丘陵から長谷野は、全国でも有数の戦争遺跡が残されていて、これらを先ず地元の皆様に検分して頂き、今後広く顕彰してまいりたい考えております。
東近江戦争遺跡の会 世話人・・・山田・・・、谷・・・、廣田・・・
案内説明 郷土史家 中島 伸男氏 市教委文化財課 嶋田 直人氏
主催者より、「旧陸軍八日市飛行場」が出来た経緯、布引丘陵になぜ掩体壕が存在するのかの話があました。
次に実際に測量調査された東近江市の職員さんから掩体壕の構造(土製、コンクリート製基礎、ドーム型コンクリート製)について、説明がありました。
新発見の砲台跡
今回の見学会主旨は、玉緒地区住民の皆さんにドーム型コンクリート製掩体壕だけでなく、土製やコンクリート基礎製の掩体壕が15基もあ
るのを知ってもらうことです。
玉緒地区住民は、ドーム型コンクリート製2基だけしか存在を知らない人がほとんどでした。
今まで誰の目にも触れることなく、掩体壕は木々に覆われ、隠れていました。今回、森林環境保全事業で、こうして新たに15基も見つかったことで、70年前の悲惨な戦争を2度と起こさないようと!
3方を高さが2m程に土盛りをして戦闘機を格納し、上から木々で見えないようにカモフラージュして、敵の爆撃によって飛び散った破片などで、傷つかないようにしたと!
愛知川ダム管理道路沿いより、20m位山側に入ったコンクリート製基礎が残る掩体壕、後方は土が削っています。
新発見の砲台跡
丘陵の上に登りました。ここからは、旧八日市飛行場跡方面がよく見渡せます。参加した皆さんは、砲台跡と言うからさぞかしコンクリートで強固に造られていると思っていました。しかし、そこは2m程の穴があるだけでした。近くに住む長老が、ここに穴が掘られて回りに土嚢が積まれ、高射砲が有ったと証言されたので「砲台跡」と解りました。
砲台跡を後にし、ダム管理道路を西へ行きます。そこには、皆さんがよく目にしているドーム型コンクリート製掩体壕があります。ドームの前面上のコンクリートは崩れ落ちています。
間口が20m以上もあり、双発爆撃機が格納されていたようです。
掩体壕も崩れています(私有地)ここは、私有地であり、今にも崩れ落ちそうで危険なため、これ以上中に入ることが出来ません。
紫の桐の花
お土産に
餅ツツジの花
約2時間余り、まだ戦争遺跡がたくさん残っていることに驚いていました。
今後、これらをどのようにして後世に伝えて行くかが課題!
本日も訪問、ありがとうございました。感謝!