外濠側道の
最高に色付いた銀杏の木 大手門は左に曲がる
左に曲がり側道からOBP を望む
✳️乾櫓
濠に反射の光が・・・・・何処で反射?
反射ビルは、クリスタルタワーの奥の白いビル
反射ししてる水面に何か影がある
撮って見たら
ビルの反射光が岸の桜の木を映してるんだなあ❣️面白いなあ〜
少し進むと ビルの屋上辺りで反射している
反射光の影が水面に映る
★200mmしか持っていなかったのでこれが拡大限度
pm 16:00. 丁度だ
この位置まで進むと
★影絵のシーンでしたわ(笑い
✳️千貫櫓
櫨の木が
大手門 大阪城は24時間フリーだからドンドン来てる
西の丸庭園は4時でストップ 隙間から
桜門
JAL. JA623J. ボーイング B763. 東京から カラスが多いんです
夕焼けをと来て見たが無理でした
府庁関連ビルでダメ
帝国ホテル方面
2017.11.15. 大阪城周辺の秋の情景 早歩きスナップです。
チョット、足首に負担。 減量したいけど食い意地が抜けない。
大阪城周辺は、春夏秋冬楽しめる。午前は東から、午後は西から 。
OBPビル群もあり、面白いゾーンだ。
ご覧頂き有難うございます。
余談 1
✳️ ●乾 櫓(重要文化財)
乾櫓は西の丸の西北角に立つ二層の角櫓である。「乾(いぬい)」とは西北を指す戌亥(いぬい)と同義であることからこの名で呼ばれることになった。元和六年(1920)、徳川幕府の大坂城再建工事の第一期に建造された櫓であり、大阪城内では千貫櫓とともに最も古い建造物である。昭和33年(1958)に解体修理を受けているが、その時に「元和六年 甲(申)ノ九月吉日 ふかくさ作十郎」と篦書された輪違瓦が発見されている。
大手口から京橋口までを見渡せる戦略上重要な櫓であるとともに、堀の外側は高麗橋から京街道へ至る道筋だったこともあり、江戸期の大坂市民にとっては一番身近でなじみの深い櫓だったという。
✳️ ●千 貫 櫓(重要文化財)
2層の隅櫓で、元和6年(1620)小堀遠州の設計で造営された。西の丸庭園の西南隅にあって、多聞櫓のすぐ北側に位置している。西の丸庭園西北隅の乾櫓とともに現存最古の建造物である。千貫櫓の名は、石山本願寺時代に織田信長の軍勢が攻撃を繰り返したとき、この付近にあった隅櫓からの横矢攻撃に悩まされた攻め手の将兵らが「千貫文払ってでもあの櫓を手に入れたい」と話し合ったことに由来すると伝えられており、その頃から続いた呼称と考えられる。
余談 2
大阪城
●重要文化財
大手門 - 寛永5年(1628年)創建、嘉永元年(1848年)修復[24]
塀 3棟(大手門南方、大手門北方、多聞櫓北方)
多聞櫓(渡櫓、続櫓) - 嘉永元年(1848年)
✳️千貫櫓 - 元和6年(1620年)
✳️乾櫓 - 元和6年(1620年)
一番櫓 - 寛永5年(1628年)
六番櫓 - 寛永5年(1628年)
焔硝蔵 - 貞享2年(1685年)
金蔵 - 江戸時代(寛永2年(1625年)創建、天保8年(1837年)改修と伝えるが定かでない)
金明水井戸屋形 - 寛永3年(1626年)
桜門 - 明治20年(1887年)
登録有形文化財
「大阪城天守閣」(天守)- 昭和6年(1931年)
最高に色付いた銀杏の木 大手門は左に曲がる
左に曲がり側道からOBP を望む
✳️乾櫓
濠に反射の光が・・・・・何処で反射?
反射ビルは、クリスタルタワーの奥の白いビル
反射ししてる水面に何か影がある
撮って見たら
ビルの反射光が岸の桜の木を映してるんだなあ❣️面白いなあ〜
少し進むと ビルの屋上辺りで反射している
反射光の影が水面に映る
★200mmしか持っていなかったのでこれが拡大限度
pm 16:00. 丁度だ
この位置まで進むと
★影絵のシーンでしたわ(笑い
✳️千貫櫓
櫨の木が
大手門 大阪城は24時間フリーだからドンドン来てる
西の丸庭園は4時でストップ 隙間から
桜門
JAL. JA623J. ボーイング B763. 東京から カラスが多いんです
夕焼けをと来て見たが無理でした
府庁関連ビルでダメ
帝国ホテル方面
2017.11.15. 大阪城周辺の秋の情景 早歩きスナップです。
チョット、足首に負担。 減量したいけど食い意地が抜けない。
大阪城周辺は、春夏秋冬楽しめる。午前は東から、午後は西から 。
OBPビル群もあり、面白いゾーンだ。
ご覧頂き有難うございます。
余談 1
✳️ ●乾 櫓(重要文化財)
乾櫓は西の丸の西北角に立つ二層の角櫓である。「乾(いぬい)」とは西北を指す戌亥(いぬい)と同義であることからこの名で呼ばれることになった。元和六年(1920)、徳川幕府の大坂城再建工事の第一期に建造された櫓であり、大阪城内では千貫櫓とともに最も古い建造物である。昭和33年(1958)に解体修理を受けているが、その時に「元和六年 甲(申)ノ九月吉日 ふかくさ作十郎」と篦書された輪違瓦が発見されている。
大手口から京橋口までを見渡せる戦略上重要な櫓であるとともに、堀の外側は高麗橋から京街道へ至る道筋だったこともあり、江戸期の大坂市民にとっては一番身近でなじみの深い櫓だったという。
✳️ ●千 貫 櫓(重要文化財)
2層の隅櫓で、元和6年(1620)小堀遠州の設計で造営された。西の丸庭園の西南隅にあって、多聞櫓のすぐ北側に位置している。西の丸庭園西北隅の乾櫓とともに現存最古の建造物である。千貫櫓の名は、石山本願寺時代に織田信長の軍勢が攻撃を繰り返したとき、この付近にあった隅櫓からの横矢攻撃に悩まされた攻め手の将兵らが「千貫文払ってでもあの櫓を手に入れたい」と話し合ったことに由来すると伝えられており、その頃から続いた呼称と考えられる。
余談 2
大阪城
●重要文化財
大手門 - 寛永5年(1628年)創建、嘉永元年(1848年)修復[24]
塀 3棟(大手門南方、大手門北方、多聞櫓北方)
多聞櫓(渡櫓、続櫓) - 嘉永元年(1848年)
✳️千貫櫓 - 元和6年(1620年)
✳️乾櫓 - 元和6年(1620年)
一番櫓 - 寛永5年(1628年)
六番櫓 - 寛永5年(1628年)
焔硝蔵 - 貞享2年(1685年)
金蔵 - 江戸時代(寛永2年(1625年)創建、天保8年(1837年)改修と伝えるが定かでない)
金明水井戸屋形 - 寛永3年(1626年)
桜門 - 明治20年(1887年)
登録有形文化財
「大阪城天守閣」(天守)- 昭和6年(1931年)