東京から兄が来ましたので、年ととも(友)に先祖を敬いたくなるのか、墓参りに再び行きました。今回は清水さんを回らずに我が家の次に、大谷さんの姉のお墓参りに行きました。
実家のお墓の近くにあって裏から入ることとなりました。姉が永代供養をしてあります大谷さんで、受付で既に登録済みのカードと供養としてお金を入れた袋を差し出すと受付終了となり、広い待合室で暫く待つ事になりました。ここはかなり規模が大きくて事務化しています。テレビには親鸞聖人の漫画がかかっていました。これも前回なかった様に思いました。そして待つ事約15分、若い僧侶が参加者の名前を読んで我々も含んで15人位の人達が僧侶について行く事になりました。
大きな障子扉を引くと、古い梁は茶に新たに塗って新しい礼拝堂になっていました。前来たときは、靴を脱ぎ座敷に座り大変でしたが、今回はマルッキリ新しく、椅子が100程置いてあり私にとっては便利な近代的なシステムになっていました。しかし、ありがたみが薄れたように、建物と仏像は本物に違い無いと思うのですが、金箔等安っぽく感じました。焼香のやり方等の説明があり、新たに3人の僧侶が音響効果抜群にお経を詠む声が響き渡りました。
法話を聞いた後、お昼にしようと以前に友人に連れられて来た事がある、寺町丸太町の北東側にある、珍しい中華の懐石を‘マダム香蘭’で頂きました。町屋を少し修繕して、靴を脱いで普通の家にあがる様な雰囲気でなかなか良いので機会があれば行って見て下さい。2,600円のコースを頂きました。
再びお墓で母方のお墓が、七本松下立売りにあるのでの初めての墓参りをしました。特に特徴は無いけれど、私の行ったどの墓場より卒塔婆が多いのが、どこか東京で見た様な雰囲気でした。モット深くお墓研究して墓研究者となれば良いかも知れませんが、私の場合はやっぱり食べて行くには厳しいでしょう。自分で納得。
近くにある達磨寺はお祖父さんが清水参道で買った大きな達磨が預けてあるはずなのですが、どうなっている事やら今は分りません。この辺りは、やたらお寺が多い地域でした。ついでだからと、梅の季節でもないのに中国人が多い北野さん迄歩きました。受験を終わったのか、これからなのか分らない人達で結構な人でした。
電話案内で引越し先が不明な親戚を見つけ、以前の広いだけの古びた家が売れたので知恵公院の素晴らしいマンションを訪ねました。途中で我々兄弟が習字を習ったお寺は、今も昔と変わらずにあったのには懐かし思い出が一杯でした。ついでに近くにある古い情緒たっぷりの山中油も、そとにある水車を見ましたが、生憎と休みでした。代わって昔の面影が見当たらない整備された美しい二条公園を見て来ました。今は無くなってしまった、石でできた大きな滑り台、その横で食べた‘べた焼き’は思い出にのみ残るものとなりました。
夕食は高倉の四条下がった所で、路地裏にある京都居酒屋 ‘お数いしかわ ’で食べました。本当の路地(私は‘ろーじ’と言っていました)で、5時30分の予約にも関わらず、もうお店の前は予約の人達が何組もいました。昼食を食べた所が、庶民の家なら、ここも庶民ですが下町の庶民の家と言う所です。普通ならこんな場所に新しく食べ物屋は作らないですが、それもお好み焼き屋さんが精一杯の雰囲気に居酒屋とはナカナカ考えたものだと感心させられました。1階はカウンター形式で2階もオープンになっていて座敷で、長屋風な雰囲気を持ちながらサンの壊れも残してあって面白い所でした。大体予算は飲み代込みで4,000円位です。一度行って見て下さい。
今日は我が家のお墓参りにお付き合い有難う御座いました。今回も兄におもいっきり頼りました。
(表題の‘馬から落ちて落馬’は長島選手が‘巨人軍は永遠に不滅です'と言ったのを思い出すので書いただけで、特に意味はありませんので、あしからず)
実家のお墓の近くにあって裏から入ることとなりました。姉が永代供養をしてあります大谷さんで、受付で既に登録済みのカードと供養としてお金を入れた袋を差し出すと受付終了となり、広い待合室で暫く待つ事になりました。ここはかなり規模が大きくて事務化しています。テレビには親鸞聖人の漫画がかかっていました。これも前回なかった様に思いました。そして待つ事約15分、若い僧侶が参加者の名前を読んで我々も含んで15人位の人達が僧侶について行く事になりました。
大きな障子扉を引くと、古い梁は茶に新たに塗って新しい礼拝堂になっていました。前来たときは、靴を脱ぎ座敷に座り大変でしたが、今回はマルッキリ新しく、椅子が100程置いてあり私にとっては便利な近代的なシステムになっていました。しかし、ありがたみが薄れたように、建物と仏像は本物に違い無いと思うのですが、金箔等安っぽく感じました。焼香のやり方等の説明があり、新たに3人の僧侶が音響効果抜群にお経を詠む声が響き渡りました。
法話を聞いた後、お昼にしようと以前に友人に連れられて来た事がある、寺町丸太町の北東側にある、珍しい中華の懐石を‘マダム香蘭’で頂きました。町屋を少し修繕して、靴を脱いで普通の家にあがる様な雰囲気でなかなか良いので機会があれば行って見て下さい。2,600円のコースを頂きました。
再びお墓で母方のお墓が、七本松下立売りにあるのでの初めての墓参りをしました。特に特徴は無いけれど、私の行ったどの墓場より卒塔婆が多いのが、どこか東京で見た様な雰囲気でした。モット深くお墓研究して墓研究者となれば良いかも知れませんが、私の場合はやっぱり食べて行くには厳しいでしょう。自分で納得。
近くにある達磨寺はお祖父さんが清水参道で買った大きな達磨が預けてあるはずなのですが、どうなっている事やら今は分りません。この辺りは、やたらお寺が多い地域でした。ついでだからと、梅の季節でもないのに中国人が多い北野さん迄歩きました。受験を終わったのか、これからなのか分らない人達で結構な人でした。
電話案内で引越し先が不明な親戚を見つけ、以前の広いだけの古びた家が売れたので知恵公院の素晴らしいマンションを訪ねました。途中で我々兄弟が習字を習ったお寺は、今も昔と変わらずにあったのには懐かし思い出が一杯でした。ついでに近くにある古い情緒たっぷりの山中油も、そとにある水車を見ましたが、生憎と休みでした。代わって昔の面影が見当たらない整備された美しい二条公園を見て来ました。今は無くなってしまった、石でできた大きな滑り台、その横で食べた‘べた焼き’は思い出にのみ残るものとなりました。
夕食は高倉の四条下がった所で、路地裏にある京都居酒屋 ‘お数いしかわ ’で食べました。本当の路地(私は‘ろーじ’と言っていました)で、5時30分の予約にも関わらず、もうお店の前は予約の人達が何組もいました。昼食を食べた所が、庶民の家なら、ここも庶民ですが下町の庶民の家と言う所です。普通ならこんな場所に新しく食べ物屋は作らないですが、それもお好み焼き屋さんが精一杯の雰囲気に居酒屋とはナカナカ考えたものだと感心させられました。1階はカウンター形式で2階もオープンになっていて座敷で、長屋風な雰囲気を持ちながらサンの壊れも残してあって面白い所でした。大体予算は飲み代込みで4,000円位です。一度行って見て下さい。
今日は我が家のお墓参りにお付き合い有難う御座いました。今回も兄におもいっきり頼りました。
(表題の‘馬から落ちて落馬’は長島選手が‘巨人軍は永遠に不滅です'と言ったのを思い出すので書いただけで、特に意味はありませんので、あしからず)
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