旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

490 花埋め=著 渡辺淳一(毎週土曜日に更改しています)

2016-10-22 04:32:26 | ブログ
 最近はたまたま読みやすい時代小説ばかりを読んでいますが、基本的にはジャンルにこだわり無く本を読んでいます。色も変わった題名の読み方も分からない「花埋み」、こんな人がいたのですね。面白くなかったら自分で買った訳でもないので最初の2-3ページで止めますが、読んでいくと今まで考えもしなかった女性がいました。というより今まで何も知らなかった自分が恥ずかしいと思いました。多分皆さんが読むことがないと思いますから文庫本460ページにも及ぶ本ですから、ここではその一部ですが紹介します。もし読まれるなら主人公の波乱万丈の一生に感動すると思います。

 封建の遺風色濃い明治という薄明の時代に、北埼玉俵瀬の庄屋5女で美人で、10歳には「四書五経」をとにかく賢いと評判との女性の話でした。「男女7歳にして席を同じくするべからず」「学問をこの娘を生んだは家門の恥」「学校より奉公」こんな言葉が社会に定着していた、まさに明治の初めの頃のことです。

 17才で結婚、花婿に膿淋(性病)を移され、屈辱と痛みから、実家に帰ってもう二度と結婚などいやと部屋に閉じこもりました。その後、医師に東京の大典医大医師に紹介され、そこで下半身を男の医者達に見せる、特に明治時代でしたから信じられない姿勢を取ることになりました。足は閉じたまま、その羞恥のあまり声もその数分間何も考えない無抵抗な空白なっていました。その経験から、女の医者が必要と医学の道を志した一人の女性、女性は犬でも呼ぶように名前を「せい」、「ぎん」とか呼ばれていたのを改名して荻野吟子がその人です。

 でも女医そのものが日本に存在しない、学校に入れない全て初めから、女子は妊娠出産があるから 医者は無理だと決めていました。女医がいない?その意味がよく分からなかったのです。考えてみれば昔は産婆さん位で、女医とは侍の本や映画でも見なかった。江戸時代は主に漢方でしたので、漢方は医者によっては医療方法が違うそうで、洋医学は診断治療の原則は全て公開され討論されつ定まっているとのことでした。 

 先ず、学校に入るのが、明治16年の秋に吟が受験を許される迄、許されていなかったのでした。入れば入ったで武士の気風が残るところであらゆる屈辱、恥辱を味わい、特に病気でトイレに再々行くので嫌がらせとかがあったそうです。

 ここまでで、まだこの小説の半分の位です。この後、廃娼、日本最初の婦人団体の政治団体として活動。そのごも波乱万丈の人生を送りました。花埋見は「はなうずみ」と読んで、亡き人を花でいっぱにして埋めるという意味でした。

 今回は、本の説明となりました。それも一部だけです。
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