旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

番外編 新型コロナウイルスから(次回更新予定5月16日土曜日)

2020-05-02 05:58:25 | ブログ

 風邪かな花粉症かな?三蜜の病院に行くのはチョット、医者も迷惑。熱が無くても新型コロナウイルスが大変心配。周りの人に迷惑かけないように朝夕毎に体温を測ってます。バイト先の高齢者施設で「あなたが死ぬ時、どのように死にたいですか?」とアンケート!マンション管理員の方では年に一人以上、高齢者施設ではいつの間にか亡くなられた方が...印象に残っているのは朝早く部屋のカーテンを開けると、「Kさんが来ると朝が来たと思います!」、毎朝うんこがちょこと出たと可愛いiお婆さんです。「棺桶からみんな笑って手を振っていた。おかしな夢やねえ!」と、それが亡くなる三日前になるとは、その話をご家族の方に出来なかった事を残念に思っています。縦30cmもある分厚い聖徳太子の本を何時も読んでいた方で、幸せな人生を送って来られたと信じています。マンショ管理員の方では、一緒にバーミューダに行こうと半年前に、その後、癌だと分かって最近亡くなられました。コロナウイルスが、これ程になる少し前で葬式も立派にされたと聞き、今ならそれも淋しい事になっていたに違いありません。この方も幸せな人生を送られたと思い冥福を祈るだけです。

 50年前、デンマークのフレデンスボーで親の無い子供たちの施設で働いている時、夜に電話で父が亡くなったと、その時の気持ちは表現できません。薄暗い事務所で一人嗚咽しました。帰らなくて良いと母が、一年後帰国、納骨しました。後の話で、現地からコレクトコール、知らないうちに交換士が母の友人宅へ電話を回して請求がその友達に、二人して笑っていました。

その母がハワイ旅行から羽田空港に戻ってバスの中で「花、海、全て夢みたいやっったわ!」と、そのまま帰京、その夜に脳溢血で倒れたと電話。東京にそのままいた私は急いで帰り、毎日病院に、高熱が続き、脇の下、股の付け根に氷を、熱を下げることばっかし考えていました。半年後、幸せそうに笑顔だけで、私も判別さえできないですが熱も普通に、退院の検査を!そこで急変、生命維持装置を切るか決めてくださいと言われ、何故家族が決めるのかと、電源を落とされると握っていた手が瞬時に冷たくなりました。帰国後、私は国内旅行をしていて海外にいた時の話を何もしないまま、2年の内に両親を亡くしました。

兄を最後に病院へ見舞いに行った時、最近の事なのに、話した事はみんな忘れました。覚えているのは、話していて泣きそうになり声が出ずに、その場にいられず予定より早く一人泣きながら駅まで歩いた事だけでした。

最初のアンケートは映画のイメージで「死ぬ時はゴッドファーザーのマーロンブランドの様に天気の良い日に庭で草を剪定している時に、誰にも看取られることなくゆったりポックリと死にたい!」こんなのは無理でしょか?でもそう死にたいです!発行年月日が平成31年5月1日、有効期限が平成36年4月30日と言う希少価値のある健康保険高齢受給者証を使っています。そうです昨日が誕生日、この頃、死ぬ事を考えるよりも、さっきやったことを思い出すのに忙しい毎日です。「死ぬ時ぐらい、好きに死なせてよ!」好きなフレーズです。    

 

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