旅とエッセイ 胡蝶の夢

ヤンゴン在住。ミラクルワールド、ミャンマーの魅力を発信します。

今は、横浜で引きこもり。

赤い軍服

2018年03月31日 20時15分24秒 | エッセイ
赤い軍服

 井伊の赤備え、大坂冬の陣、夏の陣に於ける真田隊。赤い軍装は勇気の証し。戦場で目立つ赤い服(鎧)を身に着けて卑怯な真似は出来ない。赤を着たら、敵に背を向けて逃げることは出来ない。

 大英帝国華やかなりしころ、英軍の赤い軍服(白い帽子)は、中国・印度・ビルマ・中東・アフリカで戦った。連戦連勝という訳ではない。アフガニスタンで、カイバー峠を2度目に超えたライフル銃隊は、敗戦を伝える軍医1名を除き、誰一人帰ってはこなかった。

 映画で赤い軍服の英軍が全滅するシーンを2度見た。その一つは『サハラに舞う白い羽根』で、赤い服の英軍が砂漠でアラブ軍に包囲されて全滅する。あれは不思議な映画だ。多少ネタばれしても、後半のより摩訶不思議なシーンがふんだんに残っているから宜しかろう。
 戦闘の始め、砂丘の上にラクダに乗ったアラブの戦士が12人ほど現れる。彼らは太陽を背にして横一線に並び、ターバンを巻き銃を手にしてゆっくり進む。英軍は横隊を作り、距離100ヤード、狙え、ファイヤー。4-5人のアラブ人が撃ち落される。すると残った男たちはラクダを寄せて横隊になり、さらにゆっくりと進む。ファイヤー、バタバタと撃ち落されて残りは2人になるが、横になって歩みを止めない。再びファイヤー、で2人がラクダから落ちる。
 何なんだ、奴らは。次の瞬間、砂漠に潜んで近づいていたアラブ人が一斉に立ち上がり、英軍に襲い掛かる。その後方からは騎馬隊が。英軍は方陣を組み、前列は膝をつき後列は立ったまま狙いをつける。狙え、フッ---。ファイヤーのフを言うか言わないかで、号令をかける指揮官が頭を撃ち抜かれて吹っ飛ぶ。タイミングを逸し戸惑う英国兵に四方八方から襲い掛かるアラブ兵。

 次の映画は『ZULU(ズール戦争)』。アフリカ南部で、黒人部族のズールー族と英軍が戦う話だ。映画は、1,500人の英軍がズールー族の戦士に襲われて全滅することろから始まる。ズールー族の戦士は裸体で、短い槍と細長い盾を持って接近戦を挑む。何故か弓矢を用いない。
 ズールー族4千人の次の目標は、川べりにある小さな砦だ。砦には野戦病院があり、近くの川で架橋工事をしている。守備隊は、工兵・傷病兵を併せて139人。攻撃の情報を得て司令部に問い合わせると、砦を守って迎撃せよ、という命令を受ける。
 ボーア人(アフリカ生まれの白人、主にオランダ人)の騎馬隊は逃げた。実際のところ、守備隊は多くの傷病兵を抱えて、撤退は間に合わなかった。ろくに装備を持たないズールー族は、驚異的な行軍スピードを持つ。荒野で追いつかれたら、一たまりもない。

 指揮官は二人の中佐だが、入隊が数か月早い年長の工兵隊の中佐が指揮をとった。もう一人の歩兵隊中佐は貴族階級のエリートだが、実は二人とも初めての実戦だった。工兵の中佐は勇敢なだけでなく、陣地の構築に長けていた。最初は外郭に障害物や土嚢を積んで敵を防ぐ。数度の攻撃を撃退して、人数が半減してからは、内側を小さく囲んだ仮陣地を作った。外側を突破されて白兵戦になると、そこに逃げ込む。
 ズールーの攻撃は凄まじい。生き残った英軍兵は、内郭陣地で小さくまとまり、3列になって順に一斉射撃を浴びせる。前列、ファイヤー。2列、ファイヤー。後列ファイヤー。元込めライフル銃の弾込めは容易だ。これなら、弾丸が尽きるまで射撃は続く。
 死体の山を築いて、ズールー族はたまらず引き上げる。大損害を出して、攻略を諦めた。砦を守った中佐は言う。「勝因はライフル銃の性能だ。」まさにその通り。第一次英緬戦争(英国VSビルマ王国)で勇敢に戦ったビルマ軍も、この一斉射撃でやられたに違いない。

 日本では長篠の合戦で、織田・徳川連合軍が火縄銃の三段撃ちで、馬防柵に押し寄せる武田の騎馬隊を打ち破ったという。しかしそれは、嘘八百だ。次回は、戦国の戦いの実相を暴く。

タイのオカマちゃん

2018年03月21日 19時08分45秒 | エッセイ
タイのオカマちゃん

 たまにupすると、検索pageがピョンと100を超えるのが嬉しい。けどネタはあるけど書くのは結構面倒だ。勉強もあるしね。

 近所にタイ料理屋が出来た。水曜日食べ放題1,100円で、相当美味い。今日の料理はスープ2種類、揚げ物、野菜炒め、炒飯、焼き蕎麦風(麺は米粉)、生春巻サラダ巻等々。特に青いパパイヤのサラダが美味かった。アローイ、マー。

 タイで日本語教師をやっていた女性が帰国した。生徒が10人ほど来日したので、面倒をみて色々な所に連れて行ってあげたそうだ。箱根、京都、鎌倉、秋葉原、浅草とかかな。
 帰国の日が近づき、先生はどこか行きたい所ある?と聞いたそうだ。すると一行の中にいた2人のオカマちゃんが、恥ずかしそうにモジモジして言った。「セントー、先生セントーに行きたい。」え、銭湯に行きたいの?なんで?先生は2人をホテルの近くにある銭湯に連れてゆき、よく注意を与え、番台のオジさんによろしく言って帰っていった。
 そして帰国の日、空港で別れを惜しみ生徒たちと挨拶を交わした。先生はふと2人のオカマちゃんに聞いてみた。君たち、日本でどこが一番面白かった?彼らは顔を赤らめ、お互いを見合ってうなずきあって答えた。「それはねー、銭湯!」

女 色いろ

2018年03月18日 19時55分02秒 | エッセイ
女 色いろ

 最近は千円15分の床屋ばかりで、50年前よりも床屋代を使っていない。あの顔に熱いタオルをのせることは何年もやっていない。男にペタペタ顔を触られるのは大嫌いだ。オバちゃんでも、女の人ならよい。
 床屋で順番待ちをして、どっちかな、オっちゃんかお姉さんか。どうやらお姉さん、ところが土壇場でバタバタと入れ替わり、オっさんになった時ほど頭にくることはない。ザケンナよ、と3日間は不機嫌が続く。
 あまりいないけど、歯医者さんも女医さんがいいね。「大丈夫ですかー。痛かったら手をあげて下さいねー。」見るのも話すのも、女がいいね。
 別にHは無くてもいいけど、スーパー銭湯貸しきり、自分以外は全員女(年齢制限あり)、というのをやってみたい。銭湯は気持ちがよいけど、男の裸は見たくない。

 でもさ、女もいろいろだよね。女優でも、役によって見るたびに違う人に見えるタイプと、何を演じても同じ人っているよね。近所の奥さんだって、あれっ見たことある人なんだが誰だっけ。会うたびに印象が違う人がいる。うちのカミさんなんざ、いつどこで見ても同じだ。
 一緒に山ツツジか何かを見に行って、カミさんがトイレに行った。ちょっと離れた所で待っていると、ンっ?あれそうかな。後ろ姿だが、小柄で同系色のズボン、姿形はよく似ている。でもそうかな。数歩歩いただけで、彼女は何だか色っぽい。えっ、えーあれがカミさん?
 でも大丈夫、視界の横から「お待たせ‐」ピョコピョコとカミさんが入ってきた。だよなー。何だかちょっぴりホっとした。


あれっ?やっちまった!

2018年03月07日 19時29分11秒 | エッセイ
あれっ?やっちまった!

 若いころの話。真夏の外回りは楽じゃない。なんで暑いのにスーツを着てネクタイを締めなくちゃならないの。香港でも台湾でも、はたまたイギリスでもドイツでも、真夏にスーツの上を着るのは、よほどフォーマルな時だけなのに。日本人、馬鹿じゃないの。

 海外出張に行っても、自分一人の時は着ないが、メーカーのアテンドで行く場合は仕方がない。夏の我慢大会になる。あー、いやだ。日本人辞めたい。

 「あっぢーねー」チームでデパートを通して外商をしていた時、休憩の時に店内の喫茶店によく集まった。そこで、ふー、たまらんなーとテーブルの上にあったお手拭きを取って顔をゴシゴシし始めたら、皆んなあっという顔をする。へっ?
 「北さん、そっそれ------台拭き。」

 先日やっちまった。3月になって急激に暖かい日がやってきた。今年の冬は寒かったから、厚手のジャンパーを着ていたが、この天気じゃあ着られない。といってシャツ一枚じゃ心元ない。朝晩は冷えるけんね。
 という訳で、裏地のない薄手のジャンパーにした。カミさんの嫌がるオレンジ色の奴。フリーマーケットで千円で買った。それを着て職場に向かったのだが、んっ?何か違和感が。こんな色だったかな、もう少し鮮やかな印象だったが。あれ、何でポケットが無いんだろ。
 職場について脱ぐときに気が付いた。これ、ジャンパーじゃない。くすんだオレンジ色のシャツだ。てことは、シャツの上にボタンを外したシャツを羽織っていたのか。ヒエー、電車の中で前に座った女性、よく笑わなかったな。



言語学者

2018年03月07日 19時10分14秒 | エッセイ
言語学者

 この年になって分かったことがある。言語学者って格好いい。子供のころ何になりたかった?俺は野球選手、という選択肢はゼロ。運動音痴だったし、野球は見るのはたまにはいいか程度で、やるのは大っ嫌いだった。
 あれっそうかな?小4までは空き地で、ゴムボール・三角ベースで、日が暮れる迄遊んでいたけどな。まあいい。自分がなりたかったのは、今だから言うけど探検家だ。
 子供向けの本で、リビングストン・スタンレーのアフリカ探検、ツタンカーメン王墓の発掘、クストーのコンチキ号、スコット隊の南極遭難、河口慧海のチベット潜入、ゴビ砂漠での化石発掘隊等々を読んで、一人で興奮した。

 次いで言えば、愛読書は吉川英治の『三国志』以外では断然、『十五少年漂流記』とジューヌ・ベルヌの他の探検小説だった。ちょっと年長になると、井上康の『敦煌』『楼蘭』、ヘディンの『さまよえる湖』、それから『世界の歴史』や戦記物を読むようになった。
 もちろん太宰治やシャーロックホームズにもはまったさ。リアルの世界では、上野にツタンカーメンと黄金の仮面展を見に行き、始皇帝の兵馬俑が発見され、植村直己さんの冒険が始まった。
 でも小6の将来何になりたい?の質問には、“学校の先生”という無難な回答をしている。インディージョーンズだって、普段は学校の先生だろ、っていう深読みはない。つまらない少年だこと。

 で、本心は探検家になりたかった少年は、探検家ならやっぱ考古学者かなーと考えた。地理学者も良いが、地図の空白部分はチベットのごく一部を除いて無くなっていた。それより、自分が相当な方向音痴なのを知っていた。方向音痴の地理学者じゃ、音痴の歌手、不器用な大工、味の分からない料理人だ。
 動植物・昆虫・鳥類・魚類の研究者でも良いのだが、どれも大して好きじゃない。地質学も何だかなー。漠然と海外に行くんなら、医者のいいね(ドクトルマンボー航海記)と思った。そうなんだ。海外のボランティアで大歓迎されるのは断然医者だ。

 長じて民俗学なんてのもあるのを知ったが、言語学は思いつかなかった。そうか、言語学者にならなくても、日本語教師という手があったんだ。探検ではないが、海外に堂々と住める。とはいえ、4-50年前の日本語学習者は、今の1/10以下だったんだろうけど。

 インドやフィリピン、マレーシアを旅すると英語でこと足りちゃうけど、昔のタイやスペインでは英語が全く通じなかった。特にスペインはひどい。英語のえの字も通じない。この10年で行った国の中で、カンボジア・トルコ・ミャンマーは、行く前に結構現地語を勉強した。言葉は武器だよな。高野秀行氏の旅の準備の9割は言葉の習得だもんな。

 言語学者が恰好いいと思うようになったきっかけは、トルコ旅行の前に読んだ本、小島剛一氏の『トルコもう一つの顔』『漂流するトルコ』だ。クルド語方言の研究をする中で、ザザ語・ザザ人の発見、イスラム教とは思えないアレヴィー派のこと。しかし「トルコ国民はすべてトルコ人であり、トルコ人の言語はトルコ語以外にない、トルコ語以外の言葉はトルコ国内に存在しない」というトルコ政府の公式見解により国外追放になってしまう。
 まあ読んでみたら、奇書です。小島氏がネパールの山の中を一人で旅して、峠の茶屋でxx族の〇〇村方言でしゃべり、土地の人が全く疑いを持たない。

 明治開国時に来日した外国人が、日本の商人がお互いにペコリペコリと交互に頭を下げ、ニコニコしながら長々と話をしているのをじっと見ている。彼は思う。「ああ、いったい何を話しているんだろう。話しの中身を知りたいなー」