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旅とエッセイ 胡蝶の夢

ヤンゴン在住。ミラクルワールド、ミャンマーの魅力を発信します。

今は、横浜で引きこもり。

多謝!

2017年05月15日 20時25分27秒 | エッセイ
多謝!

訪問者の皆さん、ごめんね。しばらくupしていなかった。勤務地が替わりupする余裕が無かったのよ。新しい勤務場所は覚える事が一杯で、普段ほとんど使っていない頭をフル回転するのでフラフラになる。まあ一週間、二週間経つうちにはルーティーンとなって、再び脳細胞は休眠するけどね。

 約2年間続けてきたこのブログもほぼ一巡。前々から疑問に思っていた事はあらかた解消した。今後はupする回数がグンと減ります。この作業を義務と考え縛られる気はない。縛られるより、縛る方が好き。7月から2年と3ヶ月、週一回日本語教師養成の学校に通う。

 なのであと3年、春夏秋冬眠状態になるべー。合間に小説に挑戦するかな。悪党が山ほど出てくる冒険小説。4年後からは、新米教師ミャンマー編が始まる予定だが、先のことは分からない。

 取りあえずここで、ご愛顧に感謝、ありがとうございました。
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ポチの見る夢

2017年05月05日 19時49分32秒 | エッセイ
ポチの見る夢

 三歳まで住んでいたその家の記憶はほとんど無いのだが、庭の前がストンと落ちて視界が開けていて、裏側が切り立った崖になっていたように思う。坂の中腹の小さな一軒家というイメージだが、今となっては両親ともに亡くなり確かめようもない。確かなのは、子犬がいて自分はそれにまたがろうとし、いやがって逃げる子犬を追いかけ、庭をころげ回って遊んでいたこと。その当時TVではよく西部劇をやっていたから、騎兵隊を真似たに違いない。
 三歳の時に自分をかわいがってくれたおじいちゃんが亡くなり、父は勤めを辞めて家業の紳士服のテーラーを継いだ。父は入り婿で母は紳士服店の長女で、その実家にはその後次々にお嫁に行く母の妹達、自分にとっては叔母さんになる、が四人いた。職人達も住む古くて大きな家で、当時市電の通る国道に面していた。新しく住むようになったこの家の記憶は鮮明に残っているが、子犬の記憶はそこで消えた。
 聞いた話しでは、同じ洋服屋をやっている親戚にもらわれていったらしい。名前も忘れていたが、ポチというベタな命名であったそうだ。雑種のポチは中々賢い犬だったらしい。
 小さい時にはあんなに遊んだのに、自分は中学生の頃にはすっかり犬嫌いになっていた。嫌いというより吠えられたりして怖かったのだ。あんなに鋭い歯をした獣が飛びかかってきたらたまらない。鎖が切れたらどうするんだ。
 ある時、母に連れられて本家筋にあたる洋服屋の親戚を訪ねた。中学三年位だったと思うがそれは珍しいことで、その一回だけだったと思う。両側を建物に挟まれた狭くて暗い路地を抜けてその家の玄関に向かうと、大きな犬がいきなりワンワン吠えて飛びかかってきた。繋がれているので自分の所までは届かなかったがびっくりした。しかもその犬、様子が変だ。しっぽをちぎれるほど振っているので敵意は無いようだが、こんな歓迎は真っ平だ。心臓がバクバクした。親戚のおばさんと母が話すには、その犬はポチといい、普段はとてもおとなしくもう老犬なので一日の大半はウツラウツラしているらしい。母は一人で何度もこの家に来ているが、あんなに吠えるのは初めてだと言っていた。
 してみると老犬の興奮の原因は自分にあるようだ。でも三歳の時と十五歳の自分がそんなに一瞬で分かるんだろうか。親戚のおばさんと母はけなげなポチの姿に何故か涙ぐんでいたけれど、自分は幼児の時に遊んだ子犬の事をすっかり忘れていた。その後三歳迄過ごした家の事を少しだけ思い出し、ポチがかけがえの無い友達だったことに気が付くのだが、その日は気味が悪くて帰りも吠える犬を大回りで避けた。
 今思うと本当にかわいそうな事をした。ポチはほどなく老衰で亡くなったそうだから、あの日なでであげれば良かったんだ。ポチは小さい時に主人一家と離れたくはなかったんだろう。あの日当たりの良い小さな庭で自分と一緒に育ちたかったに違いない。老犬は子犬の時の夢を見るのだろうか。その夢は匂いを伴うのか。その思い出は甘美なものだったんだろうか。もしそうなら、昼寝をするポチの頭の中で見る夢は、昭和三十年代のベットタウンの坂の中腹にある小さな家の小さな庭を、幼児と駆け回るものだったんじゃあないだろうか。
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浮遊玉

2017年05月03日 18時52分25秒 | 短編小説
浮遊玉

 俺は「平成の発明王」なんだそうだ。今は発明を事業化する「夢工房」という会社を作り、社員からは工房長と呼ばれる。前職はタクシードライバーだ。その前はサラリーマンだったがドロップアウトした。別に悪い事をした訳ではないが、会社勤めはもううんざりだ。向こうからもお呼びでなくなりタクシーを始めた。運転は苦にならないし気楽な稼業かと思って入ってみたが、しょーもない程儲からない。拘束時間がうんざりするほどに長く、時給にしたら三百円を切る時もある。異様なまでに独身率が高くて、仲間内の話題は競馬とパチンコ一色。
 「あの頃は良かった。」とバブルの時代の夢のような話しばかりを繰り返す管理職。彼の重要な仕事の一つは取り立てに来た借金取りを追い返すことで、給料日になると追いつめる借金取りと逃げるドライバーで通用口は終日大騒ぎとなる。自殺したドライバーにまつわる怪談はどこの営業所にも付き物らしい。ハイヤーの方が良いかな、とも思ったが、それはそれで大変らしいし、安月給は輪をかける。第一タクシーの初心者がハイヤーに移るのは容易でない。
 さて一日、車の中から街の通りを眺めていると、杖をついた老人、自走したり介助者に押してもらう車椅子がかなり目につく。もちろん危ないから特に注意を引くのだろうけれど、足の悪い人は予想外に多いようだ。
 タクシードライバーは良かれ悪しかれ頭の中の自由な時間が有り余る程ある。大抵の運転手は口に出さずとも四六時中、頭の中で悪態をついている。動いている時にあまりに詰まった考えを持つと注意力が削がれるが、自分はしばしばやってしまう。そのため何度か危ない目を見た。もし自分が客だったら二度と乗らないが、常に違う客を拾うことで助かっている。まあ長い待ち時間を空想で潰し、拘束時間を減らす生活の知恵だね。良いドライバーとは言えない。だけどその後の発明の基になったアイデアのほとんどがこの時代に生まれている。乗車客にたどり着く迄の延々と長いタクシーの列、事故渋滞にはまって身動きの取れなくなった首都高。うんざりする退屈な時間がひょんな発想を生む。
 あの時も病院で乗客待ちだった。雨の日で列がなかなか前に進まない。傘を差そうとしてよろける松葉杖の青年。荷物と雨傘を持ち換え、持ち換え老人の乗った車椅子を押す中年女性。「危ないな。何とかからないのかね。」「衣紋かけみたいに上からバネで吊したらどうだろうか。下に車輪をつければ手の力で前に進む工夫が出来そうだが。」「車椅子は座っているから楽そうだが、いつも下から見上げる視線はいやだろうな。」釣り下がり型歩行器、途中に簡易腰掛けをつけたら、上から吊す力を軽減出来る。まあ中身の入った洋服掛けだな。横にしたらどうやってもかさばるから縦向きにして、視線を遮らないように、前方向の支柱を外す。まあ、手帳に画を描いたりして頭の中でいろいろ考えたんだ。
 そんな話を気の合う相棒に、屋外で灰皿を挟んでしていたら奴がこんな事を言い出した。「俺の親父は中学で理科の先生だったんだ。犬を飼っていたんだけれど、その犬がヨボヨボになって足腰が立たなくなった時、かわいそうだからって水素の風船を作り、犬の腰に結びつけて浮かしてやり散歩に連れていったよ。」「へえー、すごいな。水素はどうやって作ったの。」「水を電気分解して酸素を水素に分けたのさ。」「それこそすごいな。そんな事が出来るんだ。」「まあ、理科の先生だからな。」これはいいヒントになった。
 車椅子の人は、宇宙服を着させて浮かせればいいんだ。最も浮力のある気体は水素だが、これは可燃性だから危ない。ドイツの飛行船ヒンデンブルク号になっちまう。第一消防がOKする訳がない。二番目に浮力があるのはヘリウムだ。風船で使うあのガスだ。人体には無害だが粒子が細かく浸透力が強いため中身が抜けやすい欠点を持つ。ヘリウム風船が一日でしぼんでしまうのはそのためだ。また六十キロの人体に相当する浮力を得るためには、ミニ気球を装着しなければならない。それじゃあ電車に乗れないし、気球が一日しか保たないんじゃあしょーがない。
 何とか浮力を上げる方法は無いものか。ガスを圧縮したらどうだろう。強度のある入れ物に十倍詰めて十倍の浮力を得られたら、でもこれは駄目だ。それが出来るならヘリウムガスボンベは次々に宙に舞い上がり、飛行機は危なくって飛べやしない。
 では熱くしたらどうだろう。これは効果があるんじゃないか。ただの空気を熱したって気球は飛ぶんだから。問題はいかに小さな容量で強力な浮力を得られるか。『天空の城ラピュタ』に出てくる飛行石のカケラが欲しい。まあ考えたって考えたって先には進みやしない。試しにヘリウムガスを買ってみた。意外と安くて五千円~二万円。一緒に買ったアルミ風船にガスを入れると、ハハ浮くじゃない。でもこんな頼りないペラみたいのじゃあな。やっぱペットボトルだよ。二リットルのボトルにヘリウムを詰め込んで、天井まで飛んでいく程の強力な浮力が得られれば、人間社会は劇的に変わる。リュックの上に飛んでいかないようにしっかり固定したヘリウムボトルを二本か三本入れれば、リュックの重さがゼロになる。もうちょっとコンパクトにして、一つ五キロの浮力を持つヘリウムボール(何かヘルボーイみたいな語感!)を作る。やはり空中に飛び逃げないように、うまく捕まえて予め作っておいた服の格納スペースにポンポンポンと十個入れてやれば、五十キロの人の体重はゼロになるから、空中にクラゲみたいにユラユラ浮かんだ状態が出来る。トンと押しても倒れないがスーっと後ろに下がるだろう。足の悪い人は両手に杖、スキーのストックのようなものを使って前進すれば良い。後ろ脚の立たない犬は腰に浮遊帯を装着すれば良い。もっと小さなヘリウムボール、浮遊玉を作っていろんな物を浮かせれば面白い。重さの無い靴、超軽い本棚にタンス。浮かぶベットに浮く応接セット。座頭市なら困るかもしれないが、狭い日本家屋にゃ持ってこいの三次元収納。地上で重力に逆らってやる。俺はこのアイディアに取り付かれた。浮かぶペットボトルが欲しい。
 最初はペットボトルにヘリウムガスをギューギューに詰めてみた。けれども何も変わらにゃしない。物理の法則は正しい。比重を増しても浮力は望めない。ところで元々空気が入っているペットボトルにヘリウムガスを入れるのには苦労した。ペットボトルの口にコルクの栓を押し込み、コルクに中が空洞になった細い金属の管を二本突き通した。その内の一本でヘリウムガスを注入すると、もう一本から中の空気が出ていく仕組み。口で言うのは簡単だけど、実際にはなかなかうまくいかない。まずコルクに管を通すのだ一苦労。やっと通した管の中にコルクが詰まる。また管が細くて空気が出ていかない。試行錯誤の末、かなり太い管に逆流防止の弁を取り付け何とか完成。ただ予想以上に重量が増したのは悩ましい。
 次にペットボトルの中のヘリウムガスを暖めるとどうなるか。この化学の法則でも浮力は増すはず。とは言えペットボトルの中で火を出す訳にはいかず、熱風を入れたらヘリウムを充満させた意味が無くなる。外から温める方法は取らない。あくまでも一話完結、ボトルの中で勝負だ。あれあれ、あるじゃない、ホッカイロ。色々な種類を買ってきて栓をする前にボトルに入れ、様々実験を繰り返した。
 中にはろくすっぽ反応しないものもあったが、△×製のカイロは直ぐに熱くなる。ただし徐々に空気を追い出していく訳だからヘリウムで一杯になると酸素が無くなり反応は止まる。熱くなるのが早いか、空気が熱をヘリウムガスに伝えるのが早いか。
 さてこうした実験、言葉で書くとスイスイ運んだように思えるかもしれないが、実際タクシーの休みの日に一つ一つ行っていて、素材を探したり加工したり、途中でいやになって何ヶ月も放っておいたり足かけ五年の歳月と少なからぬ費用もかかった。そして或る日、突然それは浮いた。ペットボトルの底の方が一瞬持ち上がった。
 その時の興奮は一生忘れられない。我が人生最高の一瞬といっても過言ではない。目の前が輝き心臓がバクバクいった。きっと瞳孔が開いて光が25%増しに入ってきたんだろうね。
 そこからは実験に熱が入り、頭の中もヘリウムで充填され車を何度もぶつけそうになった。使用するカイロの種類は決まったので、カイロの中身の粉の量を調整し、空気とヘリウムの交換の速度を変えた。実験を繰り返しペットボトルがテーブルから完全に離れて宙に浮くようになるまでに、さらに半年かかった。
 よし特許だ。パテントだ。これでオイラも大金持ち、のはずだったんだが、実はここからが大変だったんだ。この強力な浮力の発生がいかなる原理によるものなのか、そこんとこを解明していつでもその原理、法則に従えば強力な浮力を持つ気体を生み出せなければいけない。偶然やったらこんなものが出来た。フローティングボトルを作れるよ、では特許は取れない。特許を取るには、この現象が普遍的なものであることの証明が必要だ。金がかかるが、ここまで来たら引き返せない。
 まずインターネットで見て適当に選んだ弁理士事務所に行ってみたが、何だか話しがかみ合わない。次に化学に強そうな弁理士をと、またいい加減に選び、いくつか電話してみて最終的に三社選んだ。その三社の内、一番反応の良くんかったのがY特許事務所だ。
 とにかく強力な浮力を持つ気体は手に入れた。ある条件の基にその気体はいつでも作れる。しかしその原理は分からない。何故普通のヘリウムガスが、特定の携帯カイロの鉄錆作用(酸化作用)を媒介として強力な浮力を持ついわばハイパーヘリウムガスになるのか分からない。理屈を原理を見つけるには実験が必要だろう。金がかかる。
 特許申請にかかる三~四十万円は何としても自分で出すが、それ以上は厳しい。そこんとこをふまえて協力してくれる事務所を探した。Yは一度見ただけでは直ぐに忘れてしまいそうな中年男で、どこにでもいそうな小太り、小柄な人物で頭頂部の髪は透けていた。無口で人の話しをつまらなそうに聞いていたから、興味が無いなら別の事務所に行こうと思った。ところが事務所の狭い応接セットの上でペットボトルを浮かす実験を行い、それが揺れながら浮き事務所の低い天井に張り付くのを見たら、顔が紅くなりかん高い早口でしゃべり出した。見かけによらず、頭の回転の早い男だ。この現象の重大なことに直ぐに気づき奴も人生をかけてみる気になったらしい。Yは頭が良くて度胸がある。だけど結構悪だった。
 結局、実験もその費用もYが出した。正確にはYが契約して実験を行った、合成樹脂成形のB社が負担した。俺は最終的に発明者の名誉の半分、利益の半分をB社と折半し、国内の独占販売権はB社に与えざるを得なかった。Yは最終的に弁理士事務所をたたみ、B社の副社長に収まった。でも俺はYにもB社にも恨みは無い。むしろ感謝している。あの時点で、自分ではどうしようも無い壁にぶち当たっていたのだから。名誉も金も半分で良し、と思う。また半分にしろ、見たこともない程の特許料が舞い込んできた。ルビコン川は渡った。タクシーは向こう岸に置いてきた。
 ところでスーパーヘリウムになる原理は何だって?実は何度説明を受けても俺には良く分からん。B社に移ってからもYはやり手だった。ヘリウムガスは粒子が細かく、ゴムでも金属でも容易にすり抜けていく。薄いアルミで作ったヘリウム風船が一日たつとしぼんでしまう、あれである。スーパーヘリウムガスもこの問題は同じだ。
 そこでYは、NASAに宇宙服を納めてた実績のある特殊繊維のC社に働きかけて、薄くて、軽くて漏れの少ない(ゼロにすることは出来なかった)素材を短期間で開発させ、大中小、特大、極小の六種類の浮遊玉を作った。球でもよいのだが、玉の名称を選んだ。玉の素材はその後も改良を加え、その度に浮遊玉の寿命は延びた。最終的にスーパーヘリウムで一番儲けたのはこのC社かもしれない。Yは相当な額のリベートを取ったはずだが詳細は知らない。
 さてこの浮遊玉、フローティングボールはどんな物かと言うと、プヨプヨの球体やら細長い楕円形、大きさもまちまちで大はマスクメロン、汎用サイズはソフトボール、小はピンポン玉くらいだ。軽量化を計るため、極限まで素材を薄くしてあるので、強く握るとプシュンと潰れる。そこで浮遊玉を扱う時は、専用の風船掴みのような器具を用いる。極小、小は靴やらカバンやらに入れ、重量ゼロ、どころか放っておいたら天井に張り付く靴にしたり、自転車のフレームに詰めて、小指で運べる自転車にしたり。ペンの頭に玉を付けて鉛筆立ていらず。中型のボールは、専用の服に差し込み車椅子いらず。足腰の弱った老犬も腰に装着したら散歩が出来る。家具に取り付けたら、フローティング下駄箱、空中本棚、タンス、魔法浮きベットに浮遊椅子。家ごと浮かせちゃえば、住宅問題も解決するが、大量のガス使用はコストが掛かりすぎる。
 狭い家屋も天井迄の3D使用。天井に張り付いた下駄箱をひもをたぐり寄せて、靴を取ったら手を離す。暗いと家の中に家具やら何やらプカプカ浮いていて物騒でしょうがない。プカプカフワフワ、宇宙酔いする人が出てきた。
 家の外に出てみると、あらま大変、空を飛んでいる奴がいる。身障者用の浮きスーツに浮遊玉を目一杯詰め込み、背中に大きな送風器をくくり付けると見事に宙に浮く。浮くもんだねえ。移動も出来るんだ。浮遊材を入れて浮かした特大送風器付きバイクにまたがり、スターウォーズきどりで空中レースを始める奴がいる。浮遊玉を入れすぎて空中に上がってしまったバイクは数限りない。空中から女風呂を覗き見する奴も出た。事件の時に浮遊バイクでブンブン集まってきて、新聞社のヘリにぶつかる事故も起きた。
 スポーツも3D化し、3Dサッカー、3Dバスケ・バレーに3Dプロレスなどが出現しては消えていった。派手な跳躍、新しい大技、奇想天外な動きが人気を呼びスターが次々に生まれたが、やがて廃れていった。地に足がついていない動きは力が入らず、見ていてその内に飽きてしまうようだ。
 社会が浮遊熱に浮かされ、新しい利用法が次々に考案され、ベンチャー企業が生まれて大きくなった。同時に弊害も目立ってきた。新聞に浮遊玉を巡る事故・事件の載らない日は無い。いわく、浮力の調整を間違えて赤ちゃんを乗せたまま宙に舞い上がった乳母車。空中寝台からの落下。飛行場の近くで宙の浮いたまま制御不能に陥り、飛行機にぶつかった男。軽くし過ぎて地面との摩擦を半分失い失速して、衝突する車。etc 相次ぐ事故に、また野党からの突き上げを受け、政府が規制に乗り出した。
 浮遊玉は当初はスーパーやDo it yourselfのような店の特設コーナーで売られていたが、普及が拡大してガソリンスタンド、コンビニが取り扱うようになり、一気に販売量が膨れ上がった。最初は日本で新製品、新しい使用法が次々に開発されたが、その動きは一気に世界中に広がり、アメリカ、欧州、中国を始めとするアジア諸国から新興国にまで広がった。インターネットには、浮遊玉のこんな使い方もあるよ、といった書き込みや動画があふれ、同時に何故か猫や鶏、蛙の背に浮遊玉をつけて宙高く飛ばすいたずらや、空港建設反対派がデモンストレーションとして、金属片を一斉に飛ばして問題になったこともあった。
 スーパーヘリウムの基となるヘリウムガスの大量消費は、資源国アメリカに莫大な利益をもたらしtが、備蓄されていたガスはみるみる内に消費され、価格は倍々で上がっていった。ロシア、オーストラリアやカザフスタン、アルジェリアで新たにヘリウムのガス田開発がされたが、急激に広まった需要には追いつかない。南沙諸島近海で海底ガス田が発見された時は、フィリピンとインドネシアが領有権を主張し、出動していたベトナム海軍の小艦に中国軍が威嚇攻撃を仕掛け、艦艇は大破し海兵が三人死んだ。あわや中越戦争かと世界が震撼するほどベトナムの怒りは激しかった。大国アメリカは断トツのヘリウムガス埋蔵量を保っていたが、1970年代からの在庫が一掃された後も、資源に限りがあることを見越して生産をさほど拡大しない。細く長くうり続ける方が得であることを知っているし、またそうするだけの余裕もあったのだ。アメリカは需要の急拡大と価格の高騰でずいぶん潤ったはずだが、俺は米国大統領からのお礼の電話は受けていない。
 初めて特許料が入金した時はうれしかった。人生がパッと花開いた気分がしたものだ。タクシー会社はその日に退職した。世紀の大発見としてマスコミに取り上げられ、断り切れずにいくつかTV出演をし、雑誌の取材を受けた。週刊誌は極力断ったが、勝手に写真を撮られある事ない事記事にされ、一躍有名人になった。そうなると、便利な点も困ったことも起きてくる。宗教団体、投資会社、よく覚えていない昔の知人たちからの勧誘、寄付金・借金の申し込みは激しく、固定電話を外し携帯番号を何度も変えた。それでも止まらず、カミさんはノイローゼ気味になり、結局数ヶ月後にセキュリティーの厳重なマンションに引っ越すはめになった。
 浮遊玉によって、足の悪いのを苦にしないで出かけられるようになりました、といった類いの礼状は良く受け取っていた。ある時、子供の字で送られてきた手紙を開封し、何気なく読み始めたら、浮遊玉によってお父さんの勤めていた老舗の車椅子会社が倒産した、という内容で、暗い気持ちになったよ。
 良い事と言えば、俺の仕事に関係する特許料は数年間上がり続け、相当な金額になったが、一生遊び暮らすという程ではない。金持ちになって初めて日本の税務署が情け容赦なくガッポガッポと税金を取っていくことが分かったし、弁理士、税理士、弁護士への支払いはでかかった。最初の内、海外特許の申請、翻訳に関する費用が莫大で赤字になり銀行から借り入れたほどだ。税対策から『夢工房』という会社を作り、特許関連の事務と新しい発明を始めた。その仕事で俺の知名度が生きた。自分から売り込まなくても、「あー、あの人」ということで、企業担当者から面会を断られた事はない。これは計り知れないメリットだ。入ってくる情報量も違う。逆に先方から売り込んでくるケースも多い。大きな会社から個人の発明家、企業家に至るまで、最初の一年はひきも切らずに訪問者があった。そこでタクシー時代に犬の腰風船の話しをしてくれた友人を引き入れ、面会者の取捨選択をしてもらった。彼は実に有能だった。自称発明家の98%は使いものにならないのだ。
 もっともそんな体制が整ってきたのは、特許料が入り始めて一年以上が過ぎてからである。当初の一年、忙しい合間をみては海外旅行に行っていた。大好きな東南アジア、中国、東欧はじめヨーロッパ諸国、南米、まだまだ行きたい所だらけだったが、仕事が忙しくまた面白くなってきた。『夢工房』は当初は相棒と二人、事務の女性数人で立ち上げたがたちまち忙しくなり、十人、二十人と社員が増えていき、事務所を半年ごとに引っ越し、また郊外に倉庫と研究所を作った。特許の管理、売り込み、持ち込み情報の整理と検討、取材の調整、それから新しい発明。俺としては人様の人生を預かるのは気が重くて、始めのうちは年輩者や学生アルバイトでやりくりしていたが、どうしても入社したいという熱心な若者が現れ、結局三十人規模の会社になっていった。
 これ以上は増やしたくない。俺は研究所に寝泊まりすることが多くなり、しばしば議論が白熱して深夜に及ぶため、倉庫を改造してかなり豪華な仮眠室、ジャグジー付きの風呂、大きな冷蔵庫と調理場を設けた。ここで発明された品々については後で述べることにする。
 世の中が浮遊熱に浮かれる中、ヘリウムガスの埋蔵量の限界が見えてきた。そして浮遊玉の値段はジリジリと上がり続け、気楽に使えるようなものでは無くなっていった。最大の産出国アメリカは地下資源の枯渇を理由に出荷制限を始め、香港辺りからは、不純な気体が混合した浮遊力が弱い、紛い品が出回った。政府はアメリカの出荷制限に対応して、福祉・養護といった人道目的以外の用途での輸入を許可制にする法案を制定し、浮遊熱は鎮静化していった。そして、そのころあの羽振りの良かった元弁理士のYが消えた。
 実は自分は、発明が大々的に騒がれ始めマスコミに追われていた頃、以前には考えられないような高級クラブに十数万円もするスーツを着て出入りしていた。その後は性に合わないのか、足が遠のいたがあの当時は舞い上がっていたんだろうな。またやたらと人に会う機会が多かったんだ。まあTVに出たし、一躍時の人、という訳ね。それはそれで結構面白かったんだけれど、高級クラブから足が遠のく原因の一つにちょっといやな思い出がある。
 当時新宿の中国人バーに行き、頭が良くて「凛々しい」とでも形容出来るような美女と意気投合し、しばらく逆上せあがっちまったんだ。上海出身の彼女と中国へお忍び旅行に出かけた時は、人生最良の日々かなと思ったものだが、帰りの飛行機は一人で最低の気分だった。その旅の最初の一日は、彼女の案内で上海の街を散策して最高に楽しかった。その日の夜も大いに歓をつくしたことは言う迄もない。そして次の日、是非知人を紹介すると言って、半ば強引に連れられていった先は市内の高層ビル最上階にある広々としたオフィスで、いかつい中年男が高そうなスーツを軍服のように身に付けて現れた。話しの内容はこうだ。
 我が祖国、中華人民共和国では197x年、xx大学研究所において王(ワン)某博士がスーパーヘリウムの原理を発見していた。ここにその証拠となる論文の写しがある。当時文化大革命の混乱の中で、研究は打ち切られ博士は強制労働によって衰弱し命を落とした。
 ついては先生の特許について、どうこう言う積もりはないが、どこかでこの論文を見て参考としたのではありませんか。その事を認め、王博士の名誉を回復し祖国人民の面子の立つようにしていただきたい。もし認めていただけるのなら、莫大な額の報酬、中国国内での特権的な待遇を用意している。手始めに敦煌への旅行を手配している。二人で楽しんできてくれ。場合によっては、楼欄への学術調査に同行してもらっても良い。何で自分が楼欄に興味がある事を知っているんだ。ぐぐっと心が動いたが、ちょっと待て。そんな論文は知らないぞ。王博士なんて俺にはなんの関係もない。その上彼女が最初からこの目的で近づいてきたことが分かり、俺も意固地になった。
 半日に渡って、この男と彼女が俺の説得に当たったが、断固として拒否した。ふざけんな!最後は無事に帰れると思うなよ、お前がここに居ることは誰も知らないそ、といった恫喝になり、女は顔を思い切り歪めてヒステリックにののしり、顔まで引っかかれた。あの顔を見たら百年の恋も氷のように冷める。あーいやだいやだ。こんな女だったのかよ。興奮して中国語でわめき散らす女は、声までが汚い。下品の極みだ。言葉は理解出来ないが、とんでもない内容であることは間違いない。トンヤンキ(東洋鬼)というえらく古くさい悪態だけが印象に残った。ヒリヒリする顔を抱えてその日の内に帰国した。別段妨害は無かった。
 そー、元弁理士のYも周辺の権利を持っていたし開発は奴がしたようなものだから、同じような罠をかけられ、奴はOKしたんだろうな。Yのことだから、報酬の交渉は相当したことだろう。そしてしばらくはいい思いをしてフっと消えた。中国の王博士の論文は一時話題となり、その事で取材も受けうっとーしかったが、数ヶ月もすると人の記憶から消えていった。上海でのことは一切しゃべらなかった。スーパーヘリウムガスの値段は高騰し続け、介護・医療関係を除いて個人が浮遊玉を買うレベルでは無くなり、店からそのコーナーは消えていった。宙に浮いていた家具は床に戻ったのだ。
 俺は夢工房の工房長としてチマチマした発明を世に送り出した。例えば、骨伝導目覚まし、屋内に虹を作る装置、家庭用小型風力発電、ダイエットバンド、風水理想郷フィギュア等々、ジャンルに関わらず次々と開発した。
 まあ当たった品もあり、損した物もあり、大儲けとはいかないが、皆んなで知恵を出し合ってあーだ、こーだと討論するのは実に楽しい。それぞれに得意分野を持っているから様々なアイディアが出る。製品化する行程も回を追うごとにスムーズになっていった。外部からも色々なアイディアが持ち込まれたが、その98%は使いものにならなかった。ただ企業から、こんなハンパな素材がある、余っているといった情報はうれしい。それからは、積極的に素材メーカーに当たって半端物探しをし、皆んなで何かに使えないか、夜を徹して話しあった。俺の名前、夢工房の知名度はそういったコンタクトをスムーズにした。工房内にロボットが好きな奴がいて、室内も水槽内も変なロボットが動き廻っている。これも近い内に物になりそうだ。
 隕石からエネルギーを取り出す話しを聞いて、世界の隕石を探してみた。メキシコ、グアテマラ、フィリピン、インドネシア、地獄の沙汰も金次第。ついでに趣味の化石も併せて随分世界中を買って歩いた。最初はボラレ、偽物を掴まされたが、場数を踏んで成功率が高くなってきた。掘り出し物を手に入れると天にも登る気持ちで、踊り出したくなる。調子に乗って宝石、骨董、香木等にも手を出した。危うく当局に捕まりそうになり、間一髪逃げ出したりもした。そんな国へは当分行けない。隕石はともかく化石のコレクションは相当にたまったが、金も相当に使ってしまったので、こちらは商売にして転売することにした。コレクションは麻薬中毒のようなものだ。集めていけばいくほどあれもこれも欲しくなる。俺がもう少し凝り性だったら、破産していただろう。
 さて流石に隕石となると、そうは集まらない。そんな時にアルジェリアの資源副大臣のハッサン君が訪ねてきた。三十代の彼は家柄が良いのだろう、とても素直で楽しい青年だ。以前スーパーヘリウムガスの採掘の援助を打診されたが、そんな大がかりな事業にはとても乗れない。その代わりに浮遊玉のパテント料を思い切って無料にしてあげたら、とても感謝された。アルジェリアのパテント料なんて、しれた額だろうが、彼はその功績で本国の副大臣に抜擢されたそうだ。
 彼の英語はとても分かりやすい。その日も意気投合して工房で飲み明かしたが、「隕石、えーっと何だ。天から降ってくる石、サハラ砂漠には無いかな?」という話しになり、ハッサン君は「帰国したら探してみます。」と約束してくれた。俺はそれですっかり忘れていたのだが、一年近くたって彼がひょっこり現れた。怪我をしたのか頭に包帯を巻いている。「どーしたんだい?」「あー、苦労しました。だけど苦労した甲斐はありました。見て下さい。」と鞄から取り出したのが、拳大の隕石。石と言うより金属の固まりでずっしりと重くて冷たく黒光りしている。隕鉄、これはいい。すごいね。良く見つけてくれた。
 ハッサンの冒険談はすごい。まず半年かけて情報を集め、学者と軍隊を連れて砂漠に乗り込み、排他的な部族の襲撃を五回に渡って受け、戦闘と車の事故で三人の兵士を失い、彼は頭に銃弾がかすり負傷しながらも全部で数十kgに及ぶ隕石を収集した。まだまだ石はあるが、部隊の燃料・食料・銃弾と士気がつきたので撤退した、と言う。すさまじいな。これは彼の努力に報いなければ。
 この隕石を調べたところ、鉄分を40%含んでいる。これで量が多ければ、伝説の日本刀(流星刀とでも言おうか)が作れるそうだ。ハッサンには大いに報いたいが、いったいいくらにすればいいんだ。確かに大変な価値はあるけれども先の見通しもなく、買い取ってどうする。また化石の二の舞かよ。結局苦労してアメリカの博物館と、数人の個人収集家に大き目の石を売ることが出来、ハッサン君、というかアルジェリア政府には多額の支払いをする事が出来た。日本の博物館への売り込みでは、不快な思いをした。文科省が隕石の個人の売買は違法だとして、石を取り上げようとし、未だにやっかいな裁判になっている。
 ハッサン君から代金は後払いで良い、と言ってもう一回約五十kgの隕石片を送ってきた。これは細かいものばかりだ。三回目も送ってきたが、税関で差し押さえられそうになり、何とか送り返した。ハッサン、いったいどの位の量を集めたんだ。この話しを聞いてアルジェリアに乗り込むトレジャーハンターが現れ、隕石の武装集団と小競り合いになっているらしい。気の毒なことをした。砂漠の石ころに価値を見つけなければ何も起きなかったのに。もっともその隕石の連中も石の価値に気づき、ひそかにヤミで売り始めたらしく、隕石の市場価格は下落した。の連中としては、早く売りさばいて何もない砂漠に戻れないと、政府軍が本格的に介入でもしたらたまらない。
 溜まった隕石は売却先も利用方もなく、木箱に入れて倉庫に保管していた。たまたまサンプルとして5-6ヶ使おうと思い、倉庫を訪ねてそこの警備員と話しをしていたら、耳寄りなことを聞いた。年輩の彼はずっと腰痛に苦しめられていたのだが、最近その痛みがすっかり消えた、と言うのだ。他の警備員も体調が良くなった。頭がすっきりする。鬱状態の隊員が元気になった、と言う。良く聞いてみると、隕石の保管が始まった頃からの現象らしい。木箱に近づくと体がポカポカしてくる隊員もいるという。どうやら木箱を削って隕石のカケラを取り出し、知人に配ったり財布に入れたりしているようだ。
 まあこれまでの不正は水に流し、木箱は重くて頑丈な金庫に移しかえ工房に運んだ。そこで細かい砂つぶのような隕石を含め、時間をかけて慎重に仕分けをした。小さなつぶをきれいなカプセルに入れペンダントヘッドとして売り出した。これでまたお役人ににらまれるに違いない。これはしばらくたって火がつき、良い商売になった。ハッサンから追加で細かい石を仕入れたが、一年保たずに売り切れた。大儲けだ。しかも大半の大きな隕石は手つかずで残っている。
 この頃俺は思うようになった。結局俺がなりたかったのは、トレジャーハンターだったんだな。浮遊玉はすっかり売れなくなり、今では医療と介護の用途でしか使われなくなった。車椅子も復活して売れ始めたことだろう。夢工房では、今一億個の歩く水力発電、靴に仕込み歩く度に水圧を利用したミニ発電・蓄電装置の開発に取り組んでいる。夢は未だ見果てない。世界は輝いている。






 
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