旅とエッセイ 胡蝶の夢

ヤンゴン在住。ミラクルワールド、ミャンマーの魅力を発信します。

今は、横浜で引きこもり。

ヤンゴン徒然 ⑥ ニイニイさんとエリ

2020年10月11日 08時21分16秒 | エッセイ
ヤンゴン徒然 

⑥ ニイニイさんとエリ

 カチンのエリを日本昔話に登場させたが、実際のエリザベスは現代っ子だ。受付に先生たちがゴロゴロしている時、エリがニコニコしながらスマホを開き、うーん、カッコいい!

 「ノー、ノー、エリ、これはいかんぜよ。ノー。」そこには、金髪・逆立つ長髪、鼻の脇にピアスを付け化粧をした、たぶんミャンマー人の男性アーチスト。

 この男を紹介されたら、100人中99人の父親が断固反対するに違いない。普通の男なら、こいつに10人中8人は反感を持つだろう。ヤメロ、女の敵だ。

 自分の強いノーに、みんなで笑っていたから、からかわれたのに違いない。

 もっとみんなのこと、ヤンゴン日本語学校の日常を描きたいのだが、許可をもらっていない。ニイニイさんには、日本で有名になるかもよ、と言ったらニターと笑った。

 ボスのスズキ青年。彼は無から一人で、4つの語学学校を立ち上げた。自力で作ったシンガポールの二校は、共に部下にだまし取られた。彼は、コンピューターの知識が半端じゃあない。若いころ、長い間引きこもっていたんですが、その時にパソコン2台潰しました。それも凄いが、いったいどうやったら異国で学校を作れるんだ。

 ナンダー不思議ちゃん。ナンダーのブラックホールに踏み込みたい。この娘は、エピソードの宝庫だ。それからガッツ娘のティダ。かわいい我が生徒たち。

 さてニイニイさんが、受付の脚の長い丸椅子に、体をくにゃっとした胡坐で座り(正面からは、姿勢よく座って見える)、何やらパンフレットを見ている。あっそれ、この前俺が貰ってきたやつ。新幹線のパンフだ。

 「ねえ、キタさん。これ、このご飯の上に載っているのは、小さな魚よね。これはバンブー(筍)で、こっちは卵。これは何?あとそれは?肉よね。何の肉?豚肉?牛肉?どんな味?」ニイニイさんが見ているのは、車内販売の高級弁当の写真だ。ジャコ飯の幕の内風のお弁当だ。ニイニイさん、新幹線や富士山には目もくれず、空想で弁当を食っている。うーん、綺麗なランチボックス。こんな味かな、それとも。

 ハイハイ、ニイニイさん。貴方が来日したら、いろいろとご馳走しますよ。ニイニイさんが日本で美味しそうに食べる姿を想像したら、こっちが楽しくなる。

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ヤンゴン徒然 ⑥ 瞑想センター、ネクストステージ Meditation center next stage

2020年10月08日 20時30分56秒 | エッセイ
ヤンゴン徒然 

⑥ 瞑想センター、ネクストステージ Meditation center next stage

  あの瞑想センターにもう一度行き、セヤデュー(尊師)に会った。一年振りだが、自分はこの一年、ほとんど瞑想をしていない。

 瞑想センターの修行をブログに書いたら、一人だけ連絡をくれた人がいた。センターを紹介してほしいというので、一度待ち合わせて大森で会った。ヨガのインストラクターをしている女性で、30代くらいの感じのよい人だった。

 センターの本を2冊あげて、センターのことを説明した。その後連絡が途絶えたので、行くのを止めたのだろうと思っていた。するとヤンゴンにメールが来て、近いうちに来緬するという。

 彼女は在家の尼さん(有髪)で、行動力に満ちた素敵な人だ。来緬を楽しみにしていたが、またメールは途絶えた。そして或る日、明日ヤンゴンに来るという。一か月だか印度のヨガ道場で修行し、日本へ帰国する前に10日ほど瞑想するという。
 
 一人でセンターに行けるかな。その心配はなかった。俺なんかよりも、ずっと旅慣れた人だったのだ。彼女がセンター入りした翌々日、住所をたよりにバスで出来るだけ北上し、タクシーに乗って瞑想センターを訪ねた。

 尊師、自分のことを覚えていてくれるかな?瞑想センターは全く変わっていなかった。尊師が階段の上で、ニコニコしながら迎えてくれた。

 そこでもらったパンフレットに、一緒に修行した中国娘のアリーが載っていた。彼女は武漢の人だから心配していたのだが、今はアメリカにいる。瞑想の先生になっていた。写真のアリーは、相変らず凛々しくて綺麗だが、自分は彼女がものすごく不器用で心配性なことを知っている。またどうでも良いのだが、自分の記憶より5歳ほど年上だった。良かった。元気そうだ。

 尊師と話していると、〇×子さん(仮にヨギさんと呼ぶ)がやってきた。ヨギさん、会うのは二度目だが実に落ち着いていて、尊師の前でくつろいでいる。自分は、尊師の前では緊張して背中に汗がダラダラ出てくる。

 尊師が言う。「〇×子は凄いぞ!二日目でブッダガヤに行った。」何のこと?「ふふ、師匠ったら無茶言うんですよ。瞑想で集中して光の玉を作り、それを自由に動かしていると、いきなりシュエタゴンパゴタへ飛べ、なんて言うんですよ。」

 ひえー、そんな事やってるの。それでブッダガヤに飛んで行った?兄弟子かと思っていたら、とんでもない。空手3段と茶帯の違いだ。セヤデューは、よほどヨギさんが気に入ったようだ。紹介出来て良かった。才能のある弟子を見出すと、先生はよほど嬉しいものらしい。まるで後継者を見つけた武芸者だな。

 自分は、この瞑想センターのことを日本でネットで文章にした。それを数千人が読んだはずだが、ここに来たいと言ったのはヨギさん一人だけだった、と伝えた。尊師は、うーん、それは興味深い。

 尊師は、自分がヤンゴンで日本語の先生をしている(そうする積りだと以前話した)ことを覚えていてくれた。休みの日にはまた瞑想に来い、という誘いをはぐらかせつつお暇した。

 それから一週間が過ぎ、ヨギさんが帰国する前に、学校に立ち寄ってくれた。ヨギさん、初めてなのにシュークリームを買ってきてくれたから、「私たちに会うのは初めてなのに」と、受付の先生たちも好印象。

 偶々時間があったジョー先生とスズキさん、4人で一時間ほど時ならぬ仏教談義が始まった。これが楽しかった。二階の応接間で、コーヒーを飲みながらジョー先生のお父さんの瞑想話。日本の仏教。ミャンマーの仏教。尊師は70歳を超えていて、40代後半で出家したという。ひえー、そんなお歳には見えない。

 濃い、夢のような時間だった。スズキさんは、もう一度ヨギさんに会いたい。話したい。後々まで言っていた。ジョーさんも強い印象を受けたそうだ。その時のヨギさんの話で、長年の疑問の一端が解けた。

 センターで貰った本の一冊は英語。もう一冊はミャンマー語で、裏に修行のステップと思われる箇条書きの文が書いてある。8段階くらいだ。以前日本でミャンマー語教室に行った時に、先生に何て書いてあるか聞いてみた。すると、「これは読めないよ。パーリ語だよ。お坊さんか学者じゃなきゃ、読めない。」

 自分はそのステップを想像した。①映像を呼び出す。②その映像をコントロールする。③好きな映像を自由に呼び出す。次は?ジョー先生ならパーリ語が読めるのだが、まだ見せていない。

 でもヨギさんの話を聞いて、瞑想の次のステップが少し分かった気がする。三代に渡って、前世を遡るそうだ。ヨギさんの前世は人間で(自分は猿と鹿と、性別不明の蛙)、戦場に行って酷い光景を見たりしたらしい。「もちろん、本当の前世なのか、自分が作り出した幻影なのかは分かりませんけど。」

 それから、野に伏せて死に、自分の遺体が腐って白骨になるまで俯瞰する。美女の死体がガスが溜まって膨張し、腐敗して白骨化するまでの絵があるよね。一部を聞いただけでも凄い修行なのが分かる。俺なんか、荒野の映像を頭の中で見て、バードアイだと急降下。バーっと流れる映像を止め、反対方向へ流れろとかが精一杯だった。

 ヨギさんはダウンタウンに用事があるとかで、一緒に飯を食い近所のパゴタを訪れた。飯屋でヨギさんが言う。「ビールがあるんですね。飲みません?」ミャンマー語が話せないのに、生ビールと黒ビールを一杯づつ注文して、実に美味しそうに飲んだ。

 それだけじゃあない。自分が一服していると、「一本いただいてもよろしいかしら。」「あー、美味しい。一か月振り。」何と自由な人なんだ。カッケー。日本人、やるじゃん。でも恰好良い人の10人のうち8人が女性なんだが。

 ヨギさんは、スマホにダウンロードしたJICAのバスアプリを使いこなし、下町に行く番号のバスに乗って去った。その後、一度メールを貰ってそれきりだ。まるで夢みたいな出会いとサヨナラだった。

 彼女は高野山で修行をしたらしい。自分が日本の仏教のことを批判すると、「確かに日本には、どうしようもないボーズどもがいますよね。」ハハ、ヨギさん、ボーズだって。

 でも、お釈迦様はこう言っています。「自分が見た涅槃の世界の素晴らしさ。それをお前たちに伝えたいと思っても、この密林にある全ての木の、葉っぱ一枚ほども伝えることは出来ない。」元々密教は、涅槃の世界の素晴らしさを、世の中の人たちに少しでも伝えようとしたんですね。

 ヨギさんの話で、印象に残った言葉です。
 
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ヤンゴン徒然 ⑤ カチンのエリ -続-

2020年10月05日 13時14分09秒 | エッセイ
ヤンゴン徒然 

⑤ カチンのエリ -続-

 ミャンマー北部に住む諸族の総称をカチンという。ジンポー(チンポー)族、リス族等々。リス族なら、ラオス国境のタイ難民キャンプにもいた。ミャンマー国内に155万人。中国雲南省に住むジンポー族は漢字で、景颇族と書く。インドのアッサム地方にも住むらしい。

 代表的なジンポー語(カチン語)を共通言語として、ザイワ語・ロンウォー語・ラワン語等がある。言語表記は、アルファベットだ。

 カチンの99%は、キリスト教徒だ。プロテスタントのバブテスト派だと思う。アメリカの宣教師が布教したらしい。ミャンマーでは、カトリック・プロテスタント・アルメニア正教会まである。バブテスト派にしても、一枚岩ではなく、エリはエリザベスという洗礼名を持つが、お母さんは洗礼名を持たない宗派なんだ。

 以前ネットで見たが、今回は見つからなかった。カチンの民話を収集する京都大学の民俗学の先生の話によると、カチンには姥捨て山伝説があるらしい。それが4パターンあって、

① 息子が王の命令で、老いた父親を山に捨てに行くが、どうしても出来ない。密かに連れて帰って、家にかくまった。やがてその国に、苦難が訪れる。老いた親がその難問に対して知恵を出す。息子がそれを王に伝え、次々に解決してゆく。後に真相を知った王が、年寄の知恵の大切さを知り、姥捨てを止める。

② 土地の掟に従って、老いた母をもっこに入れて山奥に捨てに行く息子。背中の母が、所々木の枝を折ってゆく。「お母さん、何をしているんだい。」「これは目印だよ。帰りにお前が道に迷わないように、こうして枝を折っているのさ。」母の深い愛情を知った息子は、母を連れ帰る。

 あと二つ。何だったかな。一つは、悪い嫁にせっつかれて山に母親を捨てに行った息子が、母の知恵を得て嫁を懲らしめる。もう一つは?忘れた。この4パターンの姥捨て伝承が、日本では宇治拾遺物語などに残っている。それらが、全てカチンの民話にあるそうだ。

 凄いだろ。石器時代の日本人の祖先が、大陸から渡ってくる過程で、何処かで別れた兄弟がカチンなのかもしれない。納豆・歌垣・絹・もち米・竹細工にどぶろく。ヒマラヤを超えてチベットから南下したバーマ(ビルマ族)より、カチンに親近感を覚えるのは、こんなところから来ているのかな。

 高野秀行氏の『西南シルクロードは密林に消える』を読み返した。高野さんの旅の過半は、象に乗ってカチン州を通る。高野氏は書いている。『女の子は普通だが、カチンの男は実にハンサムが多い。』

 で、エリちゃんに聞いてみた。「カチンって、ハンサムボーイが多いの?」
「オーそうなのよ。うちのお父さんもすっごいハンサム。でも可笑しいの。親戚中の男が、みんな同じ顔なんだもの。」

 自分は、先生たちに日本語を教えた。でもみんな授業があるから、簡単には進まない。ニイニイさんは、意外と日本語を知っていた。後で知ったのだが、ニイニイさんのお姉さんは日本語の通訳・ガイドをやっている。でもニイニイさんは、直ぐに使える会話には熱意を持つが、本格的に勉強する気はないようだ。

 ショーンは、やる気はあるし頭が良いので覚えも早いが、習っているスペイン語の方がずっと比重が大きい。エリザベスに期待したが、彼女はその頃中国語を習っていた。毎週、漢字の試験があるので日本語に集中しない。

 でもこの漢字の学習が役立った。発音は違っても、漢字とその意味が分かるのは有利だ。今年になってから、エリザベスは本格的に日本語を選んだ。自分が教える初級の日本語の授業に参加し、また個別のレッスンも週3-4回行い、元々頭のよい娘なのでメキメキ上達した。

 ビルマ族はマイペースで社交的な人たちだ。宗教と民族は違っても仲良くするし、チン族もカチン族も仏教を敬う。でも最初の一か月、彼女たちを見ていて、どうもエリが皆に遠慮しているような気がした。

 小柄な体で低い椅子に腰かけるから、受付の正面から見たらどこにいるのか分からない。用があって受付で彼女たちに話しかけても、エリはいつも後ろにいて話さない。

 本来、幹部のはずのナンダーちゃんは、内気で自分からはなかなか話さない。ショーンは気分屋でニコニコして話すかと思うと、うわっまた何か怒っているの?たいていニイニイさんが相手をしてくれる。彼女はすごいおしゃべりで、何にでも好奇心旺盛なんだ。

 ニイニイさんは年長で、スズキさんから指導的な立場を求められているのだが、本人に全くその気がない。他の三人のすることに意見をすることは全然ない。そこがまた彼女の素敵なところなんだが。ボスのスズキさんには歯がゆい。

 ニイニイさんがみんなを代表して発言するのは、予約の入れ忘れなどで、ボスから怒られた時だ。そんな時のスズキさんは、なかなか怖い。ショーンはあさっての方を向いている。今回は、私じゃないわよ。ナンダーは、どうしよう、私を当てないでと下を向く。エリは、困ったことになったと顔を紅潮させて視線を避ける。むっちゃ緊張している。

 そんな時にニイニイさんが口を開いて、みんなを代表して謝り対策を提案する。明らかに彼女のミスじゃあないのに。やっぱ格好いいわ、ニイニイさん。
よっ、アニキ!

 ところで年の若い二人、エリとショーンは仲が良いのか悪いのか。必要に迫られ、お客さん方にお茶を出してくれるよう、二人に頼んだ。いつもは自分で淹れているんだが、その時は手が離せなかった。エリはサっと席を立つが、ショーンは「一人でいいよね。」と聞こえなかった振り。するとエリが、「ほら、ショーン。行くよ!」ショーンがチラっと舌を出して立った。

 変わり者のナンダーちゃんは大切にされている。日本語が出来るのも頼りになる。特に根が優しいショーンは、年上のナンダーをまるで妹のように大切にし、抱きつき化粧しネイルをいれる。ナンダーとエリは、仲が良いようで、よく二人で買い物をする。ニイニイさんは、相変らずマイペースだ。でも、流石のショーンも、ニイニイさんの言うことには直ぐに従う。一目置いているんだろう。

 4人は本当に仲がよい。喧嘩をするところは見たことがないし、お互いの悪口も聞かない。以前の先生たちは、よく喧嘩をし、ナンダーちゃんが疎外されていたようだ。自分はよいタイミングでここに来た。みんな優しくて楽しい。

 さて、エリの遠慮は民族・宗教の違いとは関係が無かった。その頃、エリの受け持ちの授業が少なかったのだ。超人気のジョー先生は、毎日気の毒なほど授業で埋まっている。女性ではニイニイ先生が人気で忙しい。

 ショーンもたいして入っていないのだが、自信満々な彼女は全く気にしていない。空き時間が多いのならラッキー。キッチンで焼豚を調理し、スペイン語の勉強をする。でも特に少ないエリは悩んでいた。

 ボスのスズキさんに、「私は、ここで役にたっていないのかと思うと悲しい。」と涙ぐんで話したそうだ。ああ、分かる。でもこれはミャンマー的じゃあない。日本人ならこの心意気が分かるよ。

 その後、自分のミャンマー語の授業の先生をエリ中心にし、ITの生徒の日本語授業の前にエリの英語授業を入れたりした。またニイニイさん企画で、4人娘が日帰りスーパー銭湯(700円)に行ったりして、エリもだんだん自信と笑顔を取り戻していった。このスーパー銭湯は、よほど楽しかったようだ。自分も行ったが、湯船に入るのにミャンマー人が水着を着るのに驚いた。

 エリの実家の近くでは琥珀が採れる。町、村?にはコハク市場があるそうだ。琥珀よりも年代の若いコーパルを使ってネックレスやペンダントヘッド等を作るのが、エリの実家の家業だ。細かいくずコーパルを一杯に詰めた布製の平べったい枕がある。これを買って寝たら、朝まで気を失ったように爆睡した。

 エリのお母さんは、毎月ヤンゴン下町のボージョー・アウンサン・マーケットに納品に来る。月に4日のバス旅行とはタフなこと。カチン州では、エリの町の東の方では、翡翠が採れる所がある。自分はコーパルを商売しようと思い、旧正月の休みにバスで行く積りだった。新型コロナの影響で行けなくなり、ダウェーに行った。いつかは行きたい。琥珀市場を見てみたい。

 カチンと関わりを持つと、色々気が付いた。近所に大きな教会があり、その周辺等に多くのカチン料理店があるのだ。カチンの米は美味しい。料理は辛い。カチンの人たちは誇り高く、お互いを助け合っている。でも気をつけて。日曜日(安息日)に開いているカチン料理店はないよ。

 自分が日本に帰国して半年。エリの日本語は相当上達し、初級の日本語を教える時もあるそうだ。うれしいな。また会いたいな。エリ、ニイニイさん、ショーン、ナンダーちゃん。自分の可愛い生徒。その他大勢の友達と。

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ヤンゴン徒然 ⑤ カチンのエリ

2020年10月03日 21時08分00秒 | エッセイ
ヤンゴン徒然 

⑤ カチンのエリ

 昨年、学校での初出勤の日に、同僚の先生方を紹介された。全員ミャンマー人で、この学校のNo.2 の立場にあるジョー先生。彼はラカイン州出身(ミャウーの近く)で、日本の愛媛大学で教育学を勉強した。

 まだ若いのに、大変な学識の持ち主で、こちらの高校では何故か生物の先生をしていたそうだ。ラカインの人らしく熱心な仏教徒で、ジョー先生の仏教の話はとても奥が深い。

 ハンサムなうえに穏やかな彼は、日本人の生徒(男性も、特に女性陣から)絶大な人気を得ている。こんな小さな学校(ごめん、スズキさん)にいて宜しいのか?と思う人材だ。

 あと、毎日出勤する女性教師(英語とミャンマー語を教える)が3人、事務・会計の女性が一人。授業の時だけ顔を出す先生が数人いる。ここにも興味深い女性がいるが、ここでは省く。

 事務のナンダーちゃんとは、以前の来緬で2回会っている。この娘は面白い。日本語は相当出来る。彼女はミャンマー人には珍しく、超内気で真っ暗、根暗で、おまけに腐女子だ。

 でもそれだけじゃあない。ナンダーちゃんの事を語りだしたら、数ページでは収まらない。またの機会にしよう。

 3人の女教師(ミャンマー語でセヤーマ)は、半年前から勤めている。一人は、皆さんご存知のニイニイ先生。子犬救出の天然ボケ美人。一人はショーン。

 ショーンが一番若くて21歳。この娘、一見取っ付きにくい。何か怒ってる?それとも機嫌が悪いの?良家のお嬢で、名門外語大卒。パリでフランス語を勉強し、今はスペイン語を習っている秀才。

 見た目は可愛いのだが、メガネをかけてニコリともしない。言いたいことはバシバシ言って、なかなかに説得力がある。でも数か月暮らすうちに、彼女のことがだんだん分かってきた。
 
 料理上手で、溢れんばかりの優しさを持った娘だった。本当に優しい。一見真逆なのだが。笑顔が素敵なのに、なんでもっと出さないのかな。もったいない。

 そしてエリザベス。えっ?エリザベス?で顔を見ると、木綿のハンカチーフ。4人の中で一番、アジアっぽく、また日本人っぽい。都会の娘には見えない。田舎の妹?チャンチャンコを着てもらえば、日本昔話に出てきても違和感はない。

 小柄でちょいポチャ。22歳だが、高校生くらいに見える。でも地元の英語弁論大会で優勝した、頭の良い娘さんだ。彼女は、カチン族でクリスチャンだ。エリザベスは、洗礼名なのだ。

 他の3人(ニイニイ、ナンダー、ショーン)は、お金持ちのお嬢さんだが、エリは毛色が違う。後で親しくなり、色々教えてもらった。彼女の田舎からヤンゴンまで、バスで丸二日かかるそうだ。48時間。ヤンゴンに来てから、2回インフルエンザにかかったというから、よほど空気が綺麗な所で生まれたんだろう。もちろん海を見たことはない。

 お互いにミャンマー語、日本語を教え合ううちに、一番仲良くなった。カチンのことが、少しづつ分かってきた。実は、カチン族という部族がいないことも。

to be continued,
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