旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

ここらで一服

2015年11月29日 09時26分46秒 | コメント
ここらで一服

 最近どう、このブログ。ちょっと内容が変わってきたでしょ。いくら俺が変わり者で転職を繰り返してきたと言っても、もう自分ネタは尽きてきた。もうアカンよ、書くことが無い。と思うとヒョイヒョイと2つばかり思いつく。
 でも読んで面白いのかなー。一方通行なので反応が見えない。これが好き、あれはちょっとね、とかいったコメントをちょこっと書いてくれたらうれしいなー。「辞世」を書いていて思った。今日車にはねられて死んだら何が残るのかってね。
 残るのはこの文章なんだろうな。まっ3ヶ月更新しなければ削除されちゃうんだろうけれど。

次は「万年集落~資源の減らない社会」だす。書きあげたのだけれど、入力の時間が取れない。ご期待あれ!

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辞世

2015年11月29日 09時23分52秒 | エッセイ
辞世

 辞世の句、又は歌。この世にオサラバする時の捨てゼリフ。最高傑作は文句なしに松尾芭蕉の作。ただこれは辞世の句ではなく、芭蕉最後の作品なのだそうだ。まだ死ぬとは思っていなかったのね。
 『旅に病んで、夢は枯野をかけ廻る。』凄い。最初に目にした、耳にした、頭にインプットした瞬間にゾクゾクした。旅に病んで、夢は枯野をかけ廻る。日の差さないボロ旅籠の薄汚い夜具に身を横たえ、ふるえながら死を待つ老人。意識が朦朧として、永の年月旅してきたあちらこちらの風景が、何の脈絡もなく浮かんでは消える。彼方まで続く広大な枯れススキの原、風が吹き過ぎる。風の動きに従って海の波のように草がなびく。繰り返し繰り返して風は吹き過ぎる。一度聞いたら一生忘れない。何か自分までこの句に魅入られてしまいそうだ。
 実際には芭蕉は後援者の富豪の家で寝かされ、弟子たちが付き添っていたのだとしても、そんな事は関係ない。死は万人に共通し孤独なものだ。なお自分は最後の部分を「かけ廻る」ではなく「かけめぐる」と覚えていた。かけ廻る、でも良いね。
 次は豊臣秀吉、これだ。『露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪花のことは 夢のまた夢』いい歌だ。特に下の句が良い。しかし現実の秀吉は、この歌のようには達観してはいなかった。我が子秀頼はまだ小さく、朝鮮には明と朝鮮の大軍の反撃によって、釜山周辺に追い詰められた日本の遠征軍が数十万人、股肱の家臣達は大半海の向こうだ。死の床を見舞うのは、有り余る権勢欲を厚い面の皮に隠した家康。嗚呼俺が死んだらこの子は、豊臣家はどうなる。頼みは刎頸の友、前田利家ただ一人、それにしても----- 弟、秀長が生きていてくれたなら。
哀れな老人だ。あれだけの権力を手にしても絶望的なまでに孤独で、この世に未練と執着をありったけ残して今まさに死なんとしている。これでは百姓家の土間で孫達に囲まれて、静かに息を引き取るジイの方が幸せだな。しかし歌は良い。秀吉が言うからなお良い。「浪花のことは 夢のまた夢」これ本当に自分で作ったのかな。
 辞世の歌といえば、もう一つの傑作は西行。『願わくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃』歌の中に〝死〟の文字を入れているのにも係わらず、甘美で柔らかく美しい。この人は最期まで恰好いい。現実には妻も子も捨てて、エリートサラリーマン(北面の武士)から出奔したのにね。お坊さんになっても女性にもてただろうな。
これもいいよ。素直な気持ちが良く出ていて好感が持てる。在原業平『つひに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを』辞世の歌と知らなければ、別の意味に取ってしまうかも。つひに行く先はあの世なのだ。さすがは業平、辞世の歌は変な技巧に走らないのが良い。

戦国屈指の美女、細川ガラシャ(珠)の歌は、『散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』
関ヶ原の合戦を前にして、西軍の将、石田光成が東軍に加担した武将の妻子を大阪で人質に取った。その際部下に命じて胸を突かせ、館に火を放って消えていった。結果的には光成は集めた人質に手を出さなかったから、おとなしく捕まっていたら命は永らえただろう。しかしガラシャはこの世に一点の未練もない。散りぬべき時知りてこそ----なのだ。天下分け目の大合戦、戦国最大の大戦を前にして、目を血張らし口から唾を吐き散らす雑兵どもが、館を取り囲む阿鼻叫喚の最中、自らの死と館の炎上を指示しながら、何と静かで澄み切った歌なんだろう。
夫、細川忠興は妻を深く愛していた。天下の謀反人となったガラシャの父、明智光秀の親族の取り締まりが厳しくなった時には、命がけで彼女を守った。しかしその愛、独占欲は常軌を逸していた。館の屋根を修理していた職人が、隙間からガラシャの姿を見た、と言って職人を切り捨てその生首を食事中の彼女の前に据えた。ガラシャは平然と食事を続けたという。忠興の異常な怒りを静める方法などはない。抗議したら火に油を注ぐだけなのだ。ガラシャにキリシタンへの入信を勧め、その手引きをした侍女は忠興の命で鼻と耳をそぎ落とされ館から追放された。その侍女は明智家から付いてきた、主従の垣根を越えた友だった。ガラシャはかごの鳥のような生活を送り、信仰を深めていった。キリシタンになったのち、気位が高く怒りやすい彼女の性格は、謙虚でおだやかなものに変わっていったという。
 父を殺した秀吉の手下に捕われるなど誇り高い彼女には、耐えられなかった。忠興も妻が人目に晒された事が分かったら激怒するに違いない。自分に執着し過ぎる夫を解放してあげようという優しさがあったのかもしれない。いずれにしても一片の曇りも感じさせない澄んだ覚悟が伺える。そして切なく美しい。花も花なれ、人も人なれ。

 戦国武将の辞世の歌は数多くあるが、意外だったのは武田勝頼。これだ。『おぼろなる 月もほのかに雲かすみ 晴れて行くへの 西の山のは』きれいな歌でしょう。しかし勝頼の最期は悲惨なものだった。
 設楽が原の合戦の敗退で、信玄以来の家臣団の大半を失った。7年後、死肉にたかる禿鷹のように武田の領地は侵略された。西からは織田、南からは徳川、東からは上杉が侵攻してくるが、反撃しようにも兵隊が逃亡して半数も集まらない。有力な武将が次々に武田を見限り敵方に寝返る。折あしく浅間山が噴火し、人心は動揺する。残った兵もこれでは士気が落ちる一方で、更に兵が逃げ去る。ついに兵が100人を切り、最後に頼ろうとした小山田にも裏切られ、妻子や侍女達足弱を抱え天目山で進退がきわまり妻子と共に自決する。そんな最期の歌としては、とても透明感のある美しい歌だ。実際には修羅場の死でも、歌会で一首作ってみましたといった風情がある。勝頼、享年37歳。
 時代は下って幕末。この動乱の時代に生きた男達の平均寿命は短い。高杉晋作、享年29(満27歳没)。長州の傑物、吉田松陰の一番弟子で奇兵隊の創設者。数十人の奇兵隊を率いてクーデターを起こし、数千の藩兵を破り、四境戦争で長州討伐に来た十万を越す幕府軍を引きつけて、勝利を目前にして病死した。『おもしろき こともなき世に おもしろく』上の句だけ。
 高杉晋作、国を憂える直情型の生真面目な青年?とんでもない。この男に金を持たせたらアウト。どんな大金でも、有り金全部遊郭で使い果たす。蒸気船が買えるほどの藩の公金を何度遊びで使い果たしたことか。ハチャメチャな高杉が言うから味がある。『おもしろき こともなき世に おもしろく』
 岡田以蔵、百姓とどこが違うのか分からない土佐の最下層の郷士出身。幕末に脱藩して京で尊王攘夷の浪士となる。通称「人斬り以蔵」。学問は無いので、幹部の言うがままに人を斬る。幕末のテロリストだ。この男の刀はいつも血を求める。剣術は達者だがそれよりも呵責のない残虐性と、捨て身の積極性で勝ち残った。最後は幕府に捕えられ、凄惨な拷問を加えられ悲鳴を上げ続けた。或る時同志に「以蔵、見苦しいぞ。声をあげるな。」と言われ、以後歯を食いしばって声を出さなかったが、ついに拷問に屈して仲間を売った。切腹どころか無宿者として打ち首、獄門。享年28歳。
『死んでまた 地獄の鬼と ひといくさ』別の歌もある。『君が為 尽くす心は水の泡 消えにし後は 澄み渡る空』ずいぶんな違いだ。どちらが本当なんだ。
 最後は江戸の大盗賊、鬼坊主清吉、享年30歳。体が大きく風体が異様だったという。安永5年(1776年)~文化2年6月27日(1805年7月23日)。数ある江戸の悪党の中でも有数の大物。ついに火付盗賊改方に捕えられ獄門。引き廻しの時は、一目見ようと江戸の民衆が群がったという。雑司ヶ谷に墓がある。『武蔵野に はびこるほどの鬼アザミ 今日の暑さに 枝葉しほるる』又は『武蔵野に 名もはびこりし鬼薊 今日の暑さに及(やが)菱(しお)るる』 昔は悪人でも教養があったのね。口ずさむとしみじみ味のある歌だ。
 盗賊の辞世としては、釜ゆでにされた大盗、石川五右衛門の『石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ』が有名だが、自分は鬼アザミの方が好きだな。

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干し柿

2015年11月23日 14時18分14秒 | エッセイ
干し柿

 これはエッセーではありません。歯切れの悪いレシピだす。2015年は柿の当たり年だったんじゃないかな。例年2年に一度しか多くの実をつけない我が家の貧弱な柿の木が、気張って昨年に続いてたくさんの実をつけた。それから友達の家に行き、二本の大きな柿の木から百個位取って貰ってきた。大きな脚立に乗って取り放題、それでもまだ半分以上残っている。持参したトランクとリュックに一杯に詰め、ヒーヒー言って持ち帰った。せっかくの大漁、たくさんの獲物を持ち帰ったのに、カミさんはブーブー怒る。こんなに持ってきてどーすんの。魚を釣り過ぎた時もそうだ。もう冷蔵庫に入んないからね。茨城の海で40cmほどの高級魚ホウボウを30匹ほど釣って持ち帰った時も怒られた。ホウボウだぞ、ソーダガツオや夏のサバとは訳が違う、といっても泣く子とカミさんには勝てぬ。
 それはさておき、百個の柿を食いきれないから、最初から半分は干し柿にする積りだ。かん違いしている人が多いのだが、干し柿はシブ柿からだけ作るのではない。普通の甘い柿からでも干し柿は作れる。干し柿にすると甘さは倍増する。すこぶる甘いが、不快な甘さではない。
 干し柿はひもで吊るすのだから、縛り付けるヘタがあると便利だ。ヘタを残すには、柿の実を採る時にくるくる回して取るのではなく、ハサミでカットする必要がある。それでもヘタが取れちゃった柿があるよね。自分はヘタの近くに爪ヨージを2本斜めに差して、それにひもを結びつけた。ヨージは干し柿が完成して取り込む時に外せば良い。半分以上刺しておけば、途中でヨージが外れる事は無い。
 干し柿作りはひたすら皮むき、後で食べる時の事を考え出来るだけ皮を残さない。皮をむいてオレンジ色の裸になった柿ちゃんを、熱湯をわかした大なべに入れる。イヤーン、熱いわ。表面がちょっと白ちゃける。これは熱湯消毒だから少しの間だけで良いのだ。
 その後はひもに縛る。ヤメテと逃げる柿子を捕まえ、縛って吊るしあげる。どうだ、痛いか?おっと興奮して目が釣り上がってしまった。この縛る作業は結構面倒なものだ。気をつけないとひもが絡まり、柿がくっついて柿団子になってしまう。柿同士は離して吊るさないとカビが生える原因となりかねない。後は風に当てて干して完成を待つだけだ。
 最短10日位、2週間も吊るせば大丈夫。固くて日持ちが良いのを望むなら、もっと長く吊るしてもよい。途中で1,2回吊るした柿子をモミモミすると、食べる時に柔らかくなってよろしい。セクハラではありません。自分は潔白です。あと焼酎かウィスキーを消毒として、霧吹きに入れて柿子たちに吹きかけるのも良い。まあやらなくても大丈夫だが。自分は10月中旬~下旬にかけて9日間干した。時期的にはまだちょっと早い。寒くなってからの方が良いのだが、11月上旬は秋の長雨で外に干せなかったね。タイミングが難しいんだ。取り込んだ干し柿は、一個づつラップで包み、たくさん出来たら冷凍庫で保管すると良い。自然解凍すれば風味は変わらないし、長期に保存出来る。
 自分は9日間しか干さなかったので中はジュクジュク、甘くてとても美味しい。50個位作ったが、直ぐに食べてしまいそうだ。



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しょーもないペット

2015年11月23日 14時15分00秒 | エッセイ
しょーもないペット

 子供のころ、縁日のアセチレンランプに照らされた生き物に魅せられ、たちまち欲しくなったものだ。時に緑色とかに塗られたヒヨコ、クワガタ、カブト虫、ヤドカリ、ハムスター、ウサギそして亀。ミドリガメが縁日に出てきたのはずっと後になってからで、その前は銭亀の大小を売っていた。
 金魚すくいは定番だから必ずやるね。でも金魚すくいで採る金魚は弱くて大てい直ぐに死んでしまう。特に出目金はすくい易いが、弱くて滅多に育たない。だけど時々育つのがいて、そういう金魚はだいたいひれとかが派手ではないオーソドックスな体型だ。金魚というよりは色のついたフナといった魚体が多いのだが、2年ほど生きて大きくなったりする。
 メダカは繊細な生き物で、目を凝らしてやっと見えるほどの小メダカが生まれたりする。しかし金魚と一緒の水槽に入れておくと食われてしまう。メダカの一群がしだいに数を減らし、藻の陰に固まっていたりする。二匹の金魚の動きを四六時中見ているんだ。気づくのが遅かった。いやーかわいそうな事をした。さぞかし恐ろしかっただろうに。
 小さい時の思い出に、伊豆の清流で浅い川に入ってメダカを手ぬぐいで捕まえたことがあった。4-5匹捕まえビニール袋に川の水を入れ、車の中に吊るしておいたのだが、海水浴に行き車に戻ると水がぬるま湯になって、メダカは腹を上にして浮いていた。こんなことなら捕まえなければ良かった、と子供ながらに思ったものだ。
 金魚はだいたいいつも飼っていたが、ある時ドジョーを数匹買ってきて水槽に入れたら、水槽の水が黒く濁って何だか分からなくなった。そしてある朝、自分を起こしに来た母親がドジョーを踏みつけて悲鳴をあげた。夜のうちに水槽から飛び出していたんだ。ドジョーはキューと鳴いて絶命した。母親はよほどゾッとしたらしく、「もうドジョーは止めて。」と言うのでそれからドジョーを飼ったことはない。
 しかし水槽にはそれからも、ザリガニやらカマキリやらマリモやらオタマジャクシ、沢ガニと年中何かしら入っていた。そう、カマキリで思い出した。こいつは風呂で使うヘチマの切れ端のような卵を産んで死んだ。卵はそのまま放っておいたのだが、年を越して或る日、超小型カマキリが突然ワラワラと卵から出てきたのには驚きゾッとした。小さいのがワラワラワラっていやなもんだ。おまけに部屋の中だぜ。あっあっと言う間に四方に消えた。
 亀は生命力が強い。縁日で買った銭亀は数年育てて倍位に大きくなったが、飼育が面倒になり神社の亀池に放した。ミドリガメは最初は面白かったが、何しろ食べる姿に品がない。金魚水槽に突っ込んでおいたら、お気に入りの金魚(亀よりデカイ)を食い殺した。またどうやって乗り越えたのか水槽から脱走し、探したが見つからない。まあいいか、と諦めたら一週間ほど経ってベットの下からホコリにまみれて現れた。こいつカミツキガメの子供だったんだ。好きになれなかったペットだな。
 縁日で買ったヒヨコは何度試しても育たない。よくニワトリまで育てたという話しを聞いていたのだが。ヒヨコのピー子でも死んだらいやなものだ。そうそう近所の空き地で見つけた大きなウシガエルを二匹、これは大きすぎるので庭にブロックをして飼ったが、夜中に鳴いてうるさいということで空き地に戻した。自分は子供で早く寝るので、どんな声なのか分からなかった。
 今は何も飼っていない。そういえばサボテンとかも何度も買って何度も枯らした。親もよく買ってくれたな。本当に懲りない奴。最後に痛恨の思い出。ごめんなさい、アゲハ蝶。毛虫のくせにオレンジ色の角を出すアゲハの幼虫を捕まえ、大き目のジャムのビンにエサの葉っぱと一緒に入れておいた。そのままその事をケロッと忘れてしまった。取り散らかした部屋からそのビンが出てきた時、ビンの中に半分翅を開いたアゲハ蝶が死んでいたんだ。子供心に怖ろしいことをしてしまった、と悔やんだ。今でも思い出すと心がチクっと痛む。

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蟹、蟹、蟹、蟹、カニ放題

2015年11月23日 14時14分47秒 | エッセイ
蟹、蟹、蟹、蟹、カニ放題

 カニが好きだ。自分にとってカニは一番の御馳走の一つだ。カニにも色々な種類があるが、定番はズワイガニ。松葉ガニ、越前がにはズワイガニの別称、同じものだ。ズワイガニは一匹丸ごとか、脚ばかりのセットを買う。たまにタラバガニ、小型一匹で特価千円なら買ってみるか。小型のタラバガニもどきでロシア産アブラガニというのもたまに売っているが、名前は悪いが味にそん色はない。タラバの脚は高いから滅多に買わない。
 ガザミ(ワタリガニ)は美味しいが、いかんせん小さい。味噌汁やナベに入れると良いダシを出すが、俺は殻ごとしゃぶっちゃうね。ワタリガニの殻は柔らかいんだ。そうワタリガニなら、海岸のテトラポットの隙間を探って網で捕ることも出来る。でもやってみると分かるけれど、岩から岩に渡る時を狙って網で追ってもなかなか捕まらない。カニ網といって、モジャモジャの針金か金ダワシをほぐしたようなものにサンマの頭かなんかを結びつけて海に放りこんでおき、しばらくして引き揚げる方法がある。エサにつられて寄ってきたワタリガニの脚がモジャモジャに絡まるんだ。釣り具屋で売っている。
 カニを買う時は、茹で終わって冷凍したものを買う。一度生のカニを買って帰り、カミさんに怒られた。(だいたいいつも怒られる。)蒸し器で何回かに分けて蒸すと真っ赤になり(いつまで蒸すのか判断が難しい。)、大変美味しかった。茹で終わった奴は、水に浸かった所からうま味が逃げちゃうんだ。
分かっているけど面倒だからね。それに生のズワイガニはあまり売っていない。
 毛ガニ、こいつはまず買わない。脚やハサミに身が少なく、カニ味噌(本体部分にある灰色のグチョグチョ)が美味いとはいえ。ズワイの脚の方がずっと良い。上海ガニも同じだ。脚に身がない。これは卵や白子が美味いそうだが、俺はカニの脚を割ってむしゃぶりつきたい。どんだけ美味いのかと思って、一度中華街で食った(旬は秋~冬)が、値段の割に感心しなかった。酔ガニというのも高級中華で食ったことがある。生きた上海ガニ(淡水に住むモズクガニの仲間)を老酒に漬けて料理するのだが、強烈な酒の味しか覚えていない。酔拳はいいけど、酔ガニはね。
 カニ食い放題、何度か行った。5-6回は行っているね。ズワイの脚専門だ。たまにハサミや半身付き。ハサミがまた美味いんだな。でもこれは、しばらく会っていない友達とは一緒に行かない方が良い。話しをしているヒマが無い。だけど後で計算したら、スーパーの特価で買ってきて家で食っても値段は同じ位だった。正月に一万円でカニ脚30本とかも買ってみたが、意外と大したことはない。止めた方が良いよ。
 日帰り温泉、昼食バイキング付きで3,500円とかで、カミさんと2-3度行った。ズワイの脚が山積みだ。そこで貸してくれたハサミ(下は長くて上の刃が半分しか無い。)は使いやすかったな。この温泉のバイキングは、他の料理が大したことは無いので、必然的にカニ脚ばかりを食うのだが、カニは食い終わった後も殻が同じ位残る。他の団体客等は、時間もあまり無いのだろう、カニを2-3本食ったら他に移る。俺たちのテーブルばかりカニの殻の山が大皿の大盛りになり、しだいにそれが2皿、3皿と溜まる。テーブル一杯にカニの残骸が積み上がる。隣のテーブルからひそひそ声が聞こえてくるので、10ヶ位片身の脚セットを食ったら止めてしまう。
 うちの娘もカニ大好きで食べるのがうまいよ。一度ゴツゴツのタラバの小型をあげたら、トゲトゲの殻を割って器用に食っていた。外国では、フィリピンでカニを食ったが感心しなかった。温かい海でボヨヨンと大きくなるより、冷たい海水の中でケナゲに生きてきた奴の方がやはり美味いようだ。以前B級映画で、巨大生物の島とかいうのをやっていた。巨大化したカニに襲われるが、何とかゴボゴボ湧きたつ熱湯の池に沈めて、茹であがったのを食っていた。いいなー、2mもあるズワイの脚を食ってみたい。あー、書いているうちにカニが食いたくなってきた。明日の朝、魚スーパーに行ってみよ。
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