旅とエッセイ 胡蝶の夢

ヤンゴン在住。ミラクルワールド、ミャンマーの魅力を発信します。

今は、横浜で引きこもり。

陸奥嵐

2018年02月19日 20時22分59秒 | エッセイ
陸奥嵐

 お相撲さんで誰が好き?俺は、現役では宇良だな。せっかく幕内に上がってきたのに、怪我をしたのは残念だ。しかしTVで直接宇良の相撲を見たのは、数回しかない。インターネットの動画サイトでは何度も見た。面白い。居反り最高。相撲48手で、これは実際にはないだろうと思う技を次々に繰り出す。考えられない動きだ。

 過去の力士で好きなのは、旭国、富士桜、おっと貴闘力。朝青龍も好きだった。お行儀の良い力士はきらいだ。アウトローや業師がいい。でも一番強烈な印象を持っているのは、半世紀近く前に活躍した陸奥嵐。

 陸奥嵐と聞いて、おっと思う人は、50人に1人か100人に1人くらいかな。彼の初土俵は1961年、入幕が1967年、引退は1976年だ。青森県出身で、愛称は❝東北の暴れん坊❞。177cm、115kg、BMI36.71ってインターネットだな。

 幕内戦歴375勝417敗3休(53場所)、敢闘賞4回、技能賞1回、金星2個(大鵬と柏戸)。1場所だけだが、東関脇まで行っているんだ。自分の見た時は、幕の内の下の方のイメージだった。引退後は親方になるが、健康が悪化し廃業。2002年に59歳で亡くなった。合掌。

 農家の四男坊で、幼少より腕白で気が短い。仕事を転々として、東京と地元を行ったり来たりしていた。上京してトラックの運転手になった時に、宮城野部屋の向かいに配達に通った。部屋の力士の間で「強そうなアンちゃんだ。」と話題になり、勧誘されると即決した。酒が好きなだけ飲めると聞いたことが決め手となったらしい。

 陸奥嵐の得意技は、河津掛けと吊り。大技、河津掛けの印象は残っていない。とにかく陸奥嵐といえば吊り。吊り吊り吊り。ほとんどの力士が自分より重い訳だが、陸奥嵐は委細構わず吊る。あごを上げたまま吊る。普通あごを上げたら力が出ないだろうに。
 力士としては、大きくもない腹にどでかいアンコ型を乗せて、両腕の筋肉をギリギリ言わせて吊る。土俵際まで追い詰められると、腰を落として両まわしをガッチリと掴む。高々と吊り上げて、そのままうっちゃれば勝つ。うっちゃれ!
 ところが陸奥嵐は、反対側の最も遠い土俵目指して吊り出そうとする。馬鹿か。何やってんだ。どうやっても無理だろ。

 案の定3-4歩進んだ土俵中央で、上になった力士が足を外掛けにかけ、進めなくなり力尽きる。その後力を出し切った陸奥嵐は、簡単に寄り切られる。あーあ、また負けた。それでも陸奥嵐は戦法を変えない。自分がどこにいようが、上腕筋を膨れ上がらせて吊る。吊る。

 だからそれが決まり、土俵中央から相手を高々と吊り上げて前へ前へ、土俵の外に吊り出した時には、うおーと拍手喝采。陸奥嵐ファンにはたまらない。吊り馬鹿一代。
 もう試合前の立ち合いからワクワクしたもんだ。今回はどんな試合になるのやら。


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陸奥嵐 (焼きそうせいじ)
2021-01-28 11:46:39
初めてコメントします。昨夜、夢の中に突如、陸奥嵐関が現れました。私が小学生だったころ、青森県三沢市に住んでいましたが、新聞には「郷土力士」の欄があって、青森県出身の力士たちの成績が、序の口から載っていました。そこに東北町出身の陸奥嵐の名前がありました。
目が覚めてから、ネットを探したら、このブログを見つけました。陸奥嵐のことを覚えている人は、結構いるようです。相撲取りは概して短命ですが、もう20年前に亡くなっていたのですね。
昨晩の夢の中でも、陸奥嵐は豪快または強引に吊っていました。で、例によって土俵の中で着地して残されてしまいます。ブログ主さんも書いておられる通りの、あの陸奥嵐でした。
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