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旅とエッセイ 胡蝶の夢

ヤンゴン在住。ミラクルワールド、ミャンマーの魅力を発信します。

今は、横浜で引きこもり。

小さな友達、小さな裏切り

2015年04月29日 18時43分25秒 | エッセイ
小さな友達、小さな裏切り

 小学校の時の親友はカンジ君と王君。王君はお父さんが中国人のハーフで、その後田中君と名前を変えた。「カーンジ君、遊びましょ。」昭和30年代後半から40年代前半に小学生だった僕らは、友達の家を訪ねる時に節をつけて呼びかけた。
 小学校高学年になってから、この呼びかけはちょっとおかしいんじゃないか、と思い始めたけれど、「ごめんください。」とか言ったら、もっと変だろ。カンジ君は一人っ子で、船乗りで普段はいない年取ったお父さん(一度だけ会った)と、僕らにおやつをくれるやさしいお母さんと暮らしていた。小さな家だが変な間取りで、子供にはちょうど良い4畳半位の箱船のような子供部屋が、土間・玄関・台所兼用スペースを挟んで母屋から独立していた。その部屋の壁には棚が作ってあり、そこは何年分もの『少年マガジン』で埋めつくされていた。その棚はお父さんが作ったのか、ちょうど合う大きさの板で何段にも壁を取り巻くようにして設置されていて、ずらっと『少年マガジン』が立て並べられていた。
 昭和30年代の『少年マガジン』、保管状態は良好で何年分も継続して、今残っていたらいったいいくらになるんだろ。カンジ君の部屋は『少年マガジン』で埋めつくされ、お母さんは古いものを捨てるようにいつも言っていたから、捨てられんだろうね、きっと。そして捨ててしまったことを大人になってから悔やんでいるだろうな。
 カンジ君は親友だった。毎日一緒に帰ったし毎日のように遊びに行った。不良にからまれて、僕だけやられた時もいっしょだったし、当時はいくつもあった空き地で、しょっちゅうゴムボール、三角ベースの野球もどきをした。ドキドキしながら川縁の朝鮮を覗いたり、『オバケダンダン』を探検したり、牛ガエルをつかまえて家で飼ったりもした。学校から帰る途中、寺の参道でカンジ君が自生しているクコの木を発見して、クコの葉や実をもいだこともあったな。
 カンジ君とはよく空想ゴッコをした記憶がある。たわいもないが、子供らしく残酷な空想も多かった。内容までは覚えていないが、何やら後ろめたい気分は残っている。そんなこともあって、あの日、僕が除け者にされたことはショックだったんだ。小学校5年生か、放課後いつものようにカンジ君の家に遊びに行った。そのときはもう、あの「カーンジ君」という呼びかけを外からするのは止めていた。「今日は」とか言って玄関を開けると、同級生が2-3人いてみんなでカンジ君の持っている大きな本をのぞき込んでいる。お母さんは留守のようだ。
 「何、それ」と言って僕も見ようとしたら、みんなは微妙に目をそらし、カンジ君はそそくさと本を隠してしまった。「何でもないよ。」「xxにはまだ早い。」でも僕は一瞬見たんだ、女のハダカ。友達のウスラ笑いに腹がたったが、みんなもてれくさいし後ろめたかったんだろうな、今思うと。それに実際僕が女の裸に猛烈に反応するには、後一年位かかったものね。今ではそう思えるけれど、あの日少年だった僕の心はズキンと傷ついた。
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死ぬかと思った朝の高速

2015年04月28日 12時25分03秒 | エッセイ
死ぬかと思った朝の高速

 25-6歳の時、会社の車で早朝の高速道路を走っていた。あの当時は毎晩遅くまで会社に残っていたから、家に帰る時は車を使った。入社した年の除夜の鐘は会社で聞いたものだ。運転は未熟だったから、一年で会社の車を三台は潰したが、幸い大きな事故は起こさなかった。
 最初に行った出張先で、その日のうちに自損事故を起こし車はボコボコ。しばらくして運転の慣れてきたころ、信号待ちのバスに追突。この時は同乗していた女の子達の悲鳴にこっちがびっくりした。しかし何だね。バスの頑丈なこと。「ガッシャーン」という大きな音がして、こちらの車の前はグシャグシャになっているのに、バスはバンパーがほんのちょっと、ちょっと見分からない程度の傷が出来ただけ。この時は一升ビンを持って、バスのたまり場のような営業所にあやまりに行き、見逃してもらった。交通違反も多々あり、車にまつわる余り大っぴらには書けないようなことも色々あったがここは割愛、時効成立だ。
 先輩が高速を走っていて、前を走るトラックの幌が風にあおられて何度もめくれあがり、『危ないな。』と思っていると、幌がついに荷台から離れて、あっという間にフロントガラスに貼りつき真っ暗になったそうだ。前が全く見えない状態が1秒2秒、ドックンドックン心臓が高鳴り汗が吹き出してきたそうな。ハンドルを切ったら死ぬ、急ブレーキをかけたら死ぬと思い、両手でハンドルを固定し直進した。直後にシートは後方に吹き飛び、視界が戻った。そんな話しを「へー」と笑いながら聞き流していた。数週間後に自分がそんな場面に遭遇するとは、お釈迦様でも知るまいに。
 ある日の朝早く、第三京浜はすいていたから、多分120km位で走っていたのだと思う。あの頃はとにかく飛ばした。前を走る乗用車は屋根の上にサーフボードを載せていた。小さな車に大きなボード。そのサーフボードが突然、車から外れて舞い上がり目前に落ちた。ブレーキを踏む間もない。目をつぶってボードの上を突っ走った。幸い、本当に幸いなことにボードが縦に落ちたせいで、タイヤとタイヤの間にかろうじて収まった。しかし「ガン」という衝撃が車に走り、車が一瞬浮いた。「助かった!」タイヤがボードに、乗り上げていたら車がすっ飛んだことだろう。バックミラーを見ると、車の下面のどこかにぶつかった衝撃でボードが飛び上がり、中央分離帯を越えて反対車線に吹っ飛んでいった。
 ボードを落とした車は、そんな危機一髪の大迷惑を起こした事をつゆ知らず、そのまま走り去った。海に着いて車を降りたらザマーミロ。ボードが飛んでいった反対車線で何が起きたのか?今でも多少気になるが、その日の夕刊に事故は載っていなかった、と思う。多分。



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添乗員の話

2015年04月28日 12時19分14秒 | エッセイ
添乗員の話

 友達が旅行の添乗員をやっていたんだ。彼は今は別の仕事をしているが、彼が添乗員だった頃、当時自分がいた会社の社員旅行を一度だけ頼んだ。その時の旅行の幹事が自分だったんだ。バス一台で間に合っちゃう人数だったが、自分もその時初めて準添乗員のような気分を味わい、いやーこの道も楽じゃあないな、と思った。
 まあ旅行の中身は割愛するが、バスの中だけでも大変だった。酒につまみ、マイクが飛び交い宴会場と化したバスは喧しく、後ろの連中は寒い、前の方は暑い(その逆だったっけ)暖房を入れろ、切ってくれ、女の子はトイレが我慢出来ないバスを止めてくれ、だの大騒ぎ。ところが添乗員の友達は、じっと座って動かない。『こいつ冷たいんじゃないか。』とその時は思った。バスの暖房は一度切ってもらい、また入れた頃から運転手はへそを曲げ、女の子のトイレ要求はとても伝えられない。気が気じゃなくてやきもきしているうちにバスがホテルに着いた。やれやれ。あ、そーか、お客の反応に一々過敏に反応してちゃいけないんだ。
 彼から聞いた仕事のエピソードは多々あるが、いつも彼はまゆをちょっと寄せて、ボソボソと困ったちゃん顔をして話していた。一番笑えたのが猿山の話で、ツアーの旗を猿に取られ、取り返そうと追い回したこと。比叡山には何度も行って若い坊さんと友達になったのは良いが、部屋で迫られたこと。イイナーと思ったのが、旅先でバスガイドさんとうまくやっちゃったこと。それとドライブイン、お土産屋のキックバックで、良いのが伊勢志摩の旅行。真珠のネックレスを買うお客さんが何人かいると、例えば10%のバックで数万になるそうな。あと何回かに分けてバスで四国のお遍路を廻る旅に添乗し、半年かけて一周すると御朱印帳が完成する。これを掛け軸にすると、結構な市場価値になるそうだ。添乗のおまけだね。
 でもいい事ばかりじゃあ無い。大変だなーと同情したのは、夜中に宿の人に起こされて風呂場に連れていかれると、裸のじいさんが洗い場に仰向けに寝かされて死んでいる。「おたくの団体の人じゃないかね。」と聞かれたが、違っていたのでホッとした、という話し。
 それと極めつけが旅の幽霊話。自分もタイとインドで経験したが、旅先ではよくあることなのかも。だけど彼の話は妙にリアルで怖かった。だいたい添乗員は旅館が満員だと普段使っていない、布団部屋のような所をあてがわれるらしい。その時は場所も青森、下北半島の恐山、死者の口寄せをするイタコで有名なところ。薄暗い部屋に入ったとたんゾクッとしたそうだ。畳も何やらジトッと湿っている。いつもの勘が働き押入を開け、奥を覗くと案の定、魔除けの般若図が貼ってあった。しかもそれが二つに裂けているじゃないか。これは何とかしてもらおう、と思っていたが宿は夕食時でてんてこ舞い。夜遅くまで客の世話をしているうちに部屋の事などすっかり忘れてしまった。
 疲れていたので旅先の冷たい布団にくるまり、いったんは寝たようだが、上からのし掛かる重さにうなされ目が覚めた。ところが金縛り状態で動けない。小さな部屋の中は幽霊がひしめき合い、特に小さな婆さんが正座をしたまま、布団の上を飛び回り、その婆さんと目力で対抗している内にやっと夜が明け、金縛りが解けたが寝る前よりもぐったりしていたそうだ。翌朝宿の人にその出来事を告げたが、「アア出ました。申し訳ないです。護符は貼り代えます。」とアッサリかわされたらしい。くわばらくわばら。



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空を覆う鳥の群れ

2015年04月26日 10時53分23秒 | エッセイ
空を覆う鳥の群
 
 ヒッチコック監督の『鳥』という古い映画を知っていますか?年輩の人でこの映画を一度でも見たことがある人なら、「ああ、あれか」と思い出すことでしょう。とてもインパクトのある映画です。身近にいる鳥、あらゆる種類の鳥が原因は分からないが突然、群をなして人間を襲い始める。主演の女優さんが大変な美人で、金髪をきちんと結いスーツを身につけた彼女が、スズメのような小鳥の群に襲われて血だらけになっていくシーンは恐い。恐いがとてもエロチックだ。トンビやカラスと1対1で対決する訳じゃあない。何百何千何万という小鳥の群にいわれなく襲われたらたまらない。
 そんな恐怖を実際に一瞬味わった経験があります。所はタイの首都バンコク、時刻は夕暮れ時でした。街を歩く人が雨でもないのにボツボツ傘を広げ出したのが、その出来事の始まりだった。車や街の喧噪の他に、何にやらうるさく感じながら歩いていると、服にボトッと白い物が落ちてきた。んっ上を見ると、薄暗くなった空に飛び交う無数の影。さっきからこれが鳴いていてうるさかったのか、昼間はいなかったのに。ウハ、ミニ爆弾が頭に直撃した。それから先は一方的にやられっぱなしで、避けることも反撃することも出来ない。早くに当たった爆弾は乾いてきて固まり始め、その上に水分をたっぷり含んだ奴が次々に重なる。早く歩いても、ゆっくりしてもベチャベチャ又ベチャ。道路が瞬く間に白くなり始めた。
 陽は急激に傾き、夕方から夜に移行するにつれ鳥の数は増し、空は埋め尽くされた。ギャーギャーいう鳴き声は益々大きくなり、滑空場所が地面に近くなっているようだ。いやあすごかった。避けようもなくホテルに着くころには、全身頭から靴まで真っ白、道も車も真っ白になっていた。恐怖を覚えたよ。
 聞いたところではツバメの一種で、渡りの季節に毎年、二日間程こうなるそうだ。今でもそうなのかは分からない。何しろこれは四十年も前の話なのだから。

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ミノカサゴ

2015年04月16日 20時12分37秒 | エッセイ
ミノカサゴ

 梅雨が開けようかという時分、三浦半島の金田湾でボートを出した。平日なので釣りのボートは少なかった。ここは水深が浅くて、海底が砂地の所が多い。軽い重りをテンビンに付け、キス用2本針のきゃしゃな仕掛けにエサのジャリメを刺し、竿を振って仕掛けを遠くにビュっと飛ばし、着底したらゆっくり巻く探り釣りがよい。
 だいたいその日の好不調は最初の1,2投で分かる。いい日は最初からガツガツ当たりがあるもんだ。その日は良くなかった。投げた竿にはほとんど当たりがなく、置き竿に小さなメゴチがちらほら。10cm位の本当に小さい奴だ。
 以前ここで友人と2人で釣った時、20cm位のメゴチが立て続けに釣れた日があったが、それに比べて今日のメゴチは赤ちゃんか。メゴチは不細工で体がヌメヌメしていて、おまけに針を体の奥深くに飲みこんでしまうことが多く、引きもとろい。けれどもテンプラ、唐揚げにすると身が引き締まっていてキスよりもうまいから、これが釣れるのはいやではない。でもこうも小さくてはしょうがない。
 錘を引き上げてボートを移動し、右左様々な方向に仕掛けを投げるが、小メゴチ、小ギス、小ダコ、小ベラ、今日の獲物は何でも小さくて数が出ない。こんな時は一発逆転大物狙いだ、というわけで仕掛けを大きな1本針と太いハリスにした。ハリスを相当長めにして、針にバケツで生かしておいた小メゴチの口を、下から上に縫い刺しにしてボートの真下に下ろした。でっかいマゴチ狙いである。片手で扱う網も、釣りボート屋で借りてきたから使ってみたいものだ。
 その後大きなメゴチやキスが数匹釣れたり、小さなタコ(親指くらいのちっちゃな奴)が何匹か釣れたが、置き竿には変化がない。この作戦はよくやるのだが、実は当たったためしがないんだ。生き餌は移動の度に交換し、口の上下に穴の開いたメゴチは、海に放り込むとパッと身をひるがえして潜っていく。今度は5cmほどの一口サイズのダボハゼをつけてブっこんだ。このチビハゼが釣れた時は、笑って逃がそうかと思ったが、待てよこれは使える。ハゼは生命力が強い魚だ。
 しばらく釣って当たりが遠のき、サア場所代えだと置き竿を巻き始めると重いじゃないか。間違いなく何かが掛かって竿がしなっている。ヒトデじゃないだろうね。いや、ちょっと引いた。これは魚だ。おい、魚が掛かった。ハゼのエサに食いついたんだ。重い、引いた。けれどさほどの大物ではないな。この巻き上げてくる瞬間が釣りの醍醐味である。
 水面に魚の姿が見えてきた。えっ何てカラフル、なんだこれは!あっミノカサゴじゃないか。海の中からミノタウルスが出てきた位にビックリした。初めての獲物はうれしい。しかしこれは毒魚じゃないか。
 たぶん体長は17cmくらいだと思うが、背びれ胸びれを満艦飾のように広げているので、相当な迫力な上に色が何とも生々しい。オレンジをベースに虎縞模様の厚化粧。目がギョロっとしている。
 エサのダボハゼ君は深く飲み込まれて見えない。道糸が真っ直ぐ大きな口の奥から延びている。どないしよう。逃がすにしてもハリは外してやりたいな。それにこれはカサゴなんだからヒレを切って調理すれば食えるかも。小さいけどね。この迷いが命取りになった。
 魚をおさえようとつい手を近づけた途端、右手の人指し指の先に激痛が走った。背ビレの先が予想外の高さにあって、一瞬触れたらしい。指先の爪と皮膚の間辺りだ。ウオー、半端じゃない痛さに全身が縮こまった。その場で糸をかなり上で切り、魚を海に放り込んだ。
 こんな痛さは前代未聞。手を振り押さえ、海に浸けてもたまらない。ジンジンと痛さが脈を打って手から腕に、全身に広がる。その後とても続けられずに釣りを切り上げた。帰りの車を運転する最中も痛くて仕方がない。この痛みは翌日、翌々日と少しづつ弱まりながら続き、ペンをちゃんと持てるようになるまで一週間、押すと痛い状態は一ヶ月、皮膚が固くなった状態は三ヶ月はかかった。四ヶ月目に指先の皮膚が5mm径ほどむけて、やっと元通りになった。恐るべし、ミノカサゴ。今度会ったら即逃げる。
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