オマーンとイエメン
オマーン、イエメン、行ったことある人、手を上げて。おっ、今手を上げた人すごいな。サウジアラビアもそうだが、あまり観光で行くような国じゃあないもんな。イエメンの首都はサヌア、高原にある町だ。オマーンの首都はマスカットで、港はサルタン・カブース(またはミナカ・ブース)という。どちらも仕事で二十年以上前に行ったことがある。オマーンは1-2泊、イエメンは一週間弱いたが、どちらも一泊100ドルはする最高級ホテルに宿泊するビジネスの旅だ。自動車の部品を売る商売だが、オマーンは駄目(そもそも日本車が少ない。人も車も少ない。)で、イエメンでは直ぐにではないが、湾岸戦争でサウジに輸出出来なくなった時に、20フィートのコンテナ1本分の貴重な注文をくれた。イエメンではまた内戦が始まったね。自分が訪れた時は、内戦が終わって統一イエメンが出来ていたが、首都郊外の路上には戦車(ソ連製T54だろう。)の残骸が残っていた。
この国の男達は見るからにケンカ(戦争)が好きそうだ。社会主義だ、民主主義だ、イスラム原理主義だ、主義主張は武器弾薬を手に入れるための方便であって、本質的には部族間闘争なのではないかな。アフリカ諸国、ソマリアなんかはそうだよね。意識は戦国時代なのね。なにしろ平時でもイエメンの男達は、守り刀を胸にぶら下げライフルを肩に担いで街を歩いている。いいのかよ。最初見た時はたまげたぜ。またイエメンはシバの女王の国だと言われている。一説にはエチオピアだとも言うが。
中東には多様な民族が暮らしている。慣れてくるとアラブ人、イラク人、イエメン人と見分けがついてくる。あとインド、パキスタンからの移民労働者が多い。フィリピンからも男性は修理工、女性はお手伝いさんやホテルの従業員としてたくさん来ている。国によっては人口の半分以上が移民だったりする。インドはヒンズー教徒かシーク教徒、フィリピンはほとんどがカトリック教徒だ。アラブの富豪のイメージは強くて、確かに半端でない金持ちがクエート、UAE、サウジにはいるが、それはほんの一握りで産油国ではない中東の国は貧しい。神様も不公平なことをする。油田が国境線の内にあるかないかで、天と地の差が出てしまう。他に産業といっても元々遊牧と交易と略奪で暮らしてきた土地だからね。
話しは変わるが40年前のタイは、隣国で産油国のマレーシアに比較するとたいそう貧しかった。列車で国境を越えると、人々の服装や家屋で差が目についた。しかし現在のタイは目覚しい経済発展をして、マレーシアを国力で上回り、タイの通貨のバーツはマレーシアのリンギットよりもずっと強い。タイは人口が多くて国土が広く、農業が基幹産業として国の基盤を支えている上に工業化に成功した。平和が続き子供たちの教育に力を注いだのだろう。ところが中東では土地は広大だが、雨が降らないため一部のコーヒー栽培等を除いて、農業が成り立つ場所が限られ人口が少ない。サウジのような大きな国でも衣料品から歯ブラシのような日用品まで、ほとんど全てが輸入品である。メード・イン・サウジアラビアは石油と羊肉の他に何があるんだろう。
さてオマーン、わずか数日首都にいただけで何が分かるの?自分でもそう思うけれど、まあこの国の入門編、見たことを書くね。まずオマーン人、これがね、どんな人達なのかよく分からない。訪問した客(当時勤めていた外資系の兄弟支社、イギリス系)で会った連中は全員Yシャツを着たインド人だったんだ。オマーンの入国審査は厳しいもので、自分は空港でつかまった。違法な物を持っていたからなんだけど、何だと思う?それは子供のお土産として買ったディズニーの『ダンボ』のビデオテープだ。へっ?何でダンボが駄目なの?偶像崇拝?ダンボはガネーシャじゃあないよ。と言っても始まらず、別室に連れていかれ預かり証と引き換えに出国まで空港預けとなった。
あの時、お客さんに迎えに来てもらったのか、自分でタクシーに乗ってホテルまで行ったのかは忘れたが、街に近づくにつれ変な物が見えてきた。最初は丘の上に立つ数匹のヤギ、と言っても立派な内側に湾曲した角を持つ野性のヤギのリアルなオブジェだった。これはいいね。道は舗装されたしっかりしたものだが、通行する車がほとんどいない。ここは北朝鮮か。ヤギの次は人口の滝だった。車がカーブを曲がるとそれは突然現れた。視覚効果をよく考えている。横15m、高さ20m位のザバザバ流れる滝で、つたのような装飾を施されていた。まあ滝というよりは、壁噴水とでも言おうか。水量は半端なく、落ちた水はまたポンプで上へと持ち上げるらしい。しっかし何これ、今見ているのは運転手と自分だけじゃん。
街に入ると更に奇妙なオブジェが次々に現れた。例えば太った小男ほどもあるアラビア風の壺が宙に浮き、そこから水が出て下の大瓶に流れ込む様を形作った、原色ギトギトの作り物。素材は不明、その水は実際に流れている訳ではない。そんな奇怪な創作物が次々に現れ、まるで白昼夢を見ているようだ。うっ悪酔いしてきた。何しろ街には人が少ないので、つぶれたテーマパークだな、こりゃ。極めつけは街の中心にある広場で、一万人は集まれるようなスペースの一方に宙高くモニュメントが立ち、その前にはとてつもなく大きなモニターが置かれ、何故かサッカーの中継が流れている。広場には2-3人の子供がモニターを見るでもなく石段に腰掛けている。まあ表は日中40℃はあるから、用がなけりや出ないわな。
この広場には夜になって涼しくなってからも行ってみたが、相変わらず閑散としていた。観客のいない大広場ではモニターから流れるサッカー中継のアナウンサーの声が夜空に吸い込まれていた。この国の人は、サルタンがこんな訳の分からないものに金をつぎ込むのを、どう思っているんだろう。と思ったら近年、政権こそ変わらないが国民の民主化の声に押されて議会制に移行している。今行っても変な作り物なんて無いじゃん、と言われても困る。撤去されちゃったんじゃないかな。そんな気がする。さてオマーンはこれ位にして次、イエメンへ行こう。なおオマーンの南部では、フラミンゴの群生する湿潤な地方があるそうだ。
イエメン、一言で云ってアラビアンナイトの世界だね。首都のサヌアは近代的な街と、道を隔ててオールドタウン(旧市街)に分かれている。オールドタウン(街全体が世界遺産)を歩けば、旅人は数百年前に簡単にタイムスリップする。土で造った窓の少ない角ばった家屋が、丘の上に立ち並び、ひげをたくわえ頭にターバンを巻いた男達はみな、胸に湾曲した守り刀をぶら下げている。美しい鞘に納まった太い刀だ。弾丸帯を肩から斜にかけライフルを持つ男が歩いているが、表情はおだやかだ。これでハイラックス、ランドクルーザーがラクダに代われば完璧なのだが。誇り高い男達は、異国人の自分を見ても特別な興味は示さない。
皆、口の中で何かをクチャクチャ噛んでいる。ビンローか?違うな、葉っぱだぜ。これはカートという、見たところありふれた緑の小さな葉で、例えて言えば、ツバキの葉の色を薄くして柔らかくしたようなもの。小枝についたのを一枚づつむしって噛む。ひたすら噛んで、葉のエキスを飲む。その繰り返しだ。客の店でも午後からターバン男達が、車座になって広い部屋にオーナー以下二十人ほど座り込み、黙々とカートを噛む。ほっぺたの片方がカートのカスで膨れている。最後はたまったカートの残骸を吐き出して捨てる。全部は飲み込まない。ソマリアでは飲み込むようだが、ここでは吐き出す。自分も何度かこのカート宴会に加わったが、静かなものだ。
この青臭い葉っぱをいくら噛んでも何の変化も起きない。イエメンは当然イスラム国で酒は一滴も飲まず、タバコも意外と嫌われることがある。でも何が良くてカートなんだ。二回ほど参加して止めてしまったが、男共は仕事を放り出して何時間も席を立たない。カートも品質がピンからキリまであるそうだが、毎日あれだけ口にして体は大丈夫なのか。この国の男の平均寿命はかなり短い。ずっと後になり、高野秀行氏の『謎の独立国家 ソマリランド』を読んで始めて分かったのだが、カートは噛み続けて2時間3時間とたたないと効いてこないそうだ。効き始めると気持ちがpeacefulになり高揚してくるようだ。高野氏は止められなくなった。それじゃあ惜しいことをした。もっと粘ればよかった。
さてイエメン、この国の街は面白い。男は皆ひげを蓄え、頭にターバン、片足に胴体が入りそうなダボダボズボン。サイズが2つ違うだろ、というゆったりした上着、暑いのにチョッキを身につけている者が多い。そして刀にライフル、服装は完全に中世だ。女はあまり歩いていないが、黒ダボ服に包まれ、顔を覆っているので、若いのか婆さんなのかも分からない。アリババと40人の盗賊、という絵本があれば、アリババを除く40人の盗賊が、てんでんばらばら街を歩いているようなものだ。イエメン人は一般的に小柄な人が多いから、小粒の盗賊団だ。魔法のランプの大男は歩いていない。市場がまた楽しい。東南アジアでは主役の女どもがいなくて、売り手も買い手も男ばっかり。それにしても何でも安い。しっかりとした中国製の子供服が、三百円とか四百円で売っているので、子供達のお土産に数枚買ったが、帰国したらどれもサイズが小さくて着られなかった。まさか2週間の出張で子供がみるみる大きくなった訳でもあるまい。自分の頭の中の子供が実際より小さかったんだろう。
食事も安かった。街の食堂の中も男ばっかりで、羊肉のハーブ煮込みといったような物だが、たいしてうまくはない。男達はとても親切で、言葉の通じない異国人の自分に微笑みかけ紅茶をおごってくれた。マーケットはもっと良く見たら面白い売り物が色々とありそうだが、遊びに行っている訳ではないので、そんなに時間をかけられなかった。彼らはアラビアにいるのに、アラビア数字を知らない者が多く、米ドルは絵柄の顔で額を覚えている、という話を読んだ。
ただ2015年現在、イエメンは内戦が再発したようだから、大変危険なので行かないほうが良いよ。だけどインド洋に浮かぶソコトラ島には、世にも奇妙な木が生えている。引っくり返して木を土に埋め、根っこを上に突き出したように見える。他にもこりゃ地球じゃないな、というような奇抜な植物が生えている。一度インターネットで見てごらん。
イエメンは砂漠を3ヶ月かけて超え、エルサレムのソロモン王を訪ねたシバの女王の国。乳香やコーヒーの故郷。人々は三千年も前から、ラクダの隊商とダウ船によって、荷を東西に運び商う有名な商人の末裔。今でこそ石油が出ず貧しいが、古代では北方のアラブ諸族などは砂漠の盗賊団くらいにしか見ていなかった誇り高い人々なのだ。
オマーン、イエメン、行ったことある人、手を上げて。おっ、今手を上げた人すごいな。サウジアラビアもそうだが、あまり観光で行くような国じゃあないもんな。イエメンの首都はサヌア、高原にある町だ。オマーンの首都はマスカットで、港はサルタン・カブース(またはミナカ・ブース)という。どちらも仕事で二十年以上前に行ったことがある。オマーンは1-2泊、イエメンは一週間弱いたが、どちらも一泊100ドルはする最高級ホテルに宿泊するビジネスの旅だ。自動車の部品を売る商売だが、オマーンは駄目(そもそも日本車が少ない。人も車も少ない。)で、イエメンでは直ぐにではないが、湾岸戦争でサウジに輸出出来なくなった時に、20フィートのコンテナ1本分の貴重な注文をくれた。イエメンではまた内戦が始まったね。自分が訪れた時は、内戦が終わって統一イエメンが出来ていたが、首都郊外の路上には戦車(ソ連製T54だろう。)の残骸が残っていた。
この国の男達は見るからにケンカ(戦争)が好きそうだ。社会主義だ、民主主義だ、イスラム原理主義だ、主義主張は武器弾薬を手に入れるための方便であって、本質的には部族間闘争なのではないかな。アフリカ諸国、ソマリアなんかはそうだよね。意識は戦国時代なのね。なにしろ平時でもイエメンの男達は、守り刀を胸にぶら下げライフルを肩に担いで街を歩いている。いいのかよ。最初見た時はたまげたぜ。またイエメンはシバの女王の国だと言われている。一説にはエチオピアだとも言うが。
中東には多様な民族が暮らしている。慣れてくるとアラブ人、イラク人、イエメン人と見分けがついてくる。あとインド、パキスタンからの移民労働者が多い。フィリピンからも男性は修理工、女性はお手伝いさんやホテルの従業員としてたくさん来ている。国によっては人口の半分以上が移民だったりする。インドはヒンズー教徒かシーク教徒、フィリピンはほとんどがカトリック教徒だ。アラブの富豪のイメージは強くて、確かに半端でない金持ちがクエート、UAE、サウジにはいるが、それはほんの一握りで産油国ではない中東の国は貧しい。神様も不公平なことをする。油田が国境線の内にあるかないかで、天と地の差が出てしまう。他に産業といっても元々遊牧と交易と略奪で暮らしてきた土地だからね。
話しは変わるが40年前のタイは、隣国で産油国のマレーシアに比較するとたいそう貧しかった。列車で国境を越えると、人々の服装や家屋で差が目についた。しかし現在のタイは目覚しい経済発展をして、マレーシアを国力で上回り、タイの通貨のバーツはマレーシアのリンギットよりもずっと強い。タイは人口が多くて国土が広く、農業が基幹産業として国の基盤を支えている上に工業化に成功した。平和が続き子供たちの教育に力を注いだのだろう。ところが中東では土地は広大だが、雨が降らないため一部のコーヒー栽培等を除いて、農業が成り立つ場所が限られ人口が少ない。サウジのような大きな国でも衣料品から歯ブラシのような日用品まで、ほとんど全てが輸入品である。メード・イン・サウジアラビアは石油と羊肉の他に何があるんだろう。
さてオマーン、わずか数日首都にいただけで何が分かるの?自分でもそう思うけれど、まあこの国の入門編、見たことを書くね。まずオマーン人、これがね、どんな人達なのかよく分からない。訪問した客(当時勤めていた外資系の兄弟支社、イギリス系)で会った連中は全員Yシャツを着たインド人だったんだ。オマーンの入国審査は厳しいもので、自分は空港でつかまった。違法な物を持っていたからなんだけど、何だと思う?それは子供のお土産として買ったディズニーの『ダンボ』のビデオテープだ。へっ?何でダンボが駄目なの?偶像崇拝?ダンボはガネーシャじゃあないよ。と言っても始まらず、別室に連れていかれ預かり証と引き換えに出国まで空港預けとなった。
あの時、お客さんに迎えに来てもらったのか、自分でタクシーに乗ってホテルまで行ったのかは忘れたが、街に近づくにつれ変な物が見えてきた。最初は丘の上に立つ数匹のヤギ、と言っても立派な内側に湾曲した角を持つ野性のヤギのリアルなオブジェだった。これはいいね。道は舗装されたしっかりしたものだが、通行する車がほとんどいない。ここは北朝鮮か。ヤギの次は人口の滝だった。車がカーブを曲がるとそれは突然現れた。視覚効果をよく考えている。横15m、高さ20m位のザバザバ流れる滝で、つたのような装飾を施されていた。まあ滝というよりは、壁噴水とでも言おうか。水量は半端なく、落ちた水はまたポンプで上へと持ち上げるらしい。しっかし何これ、今見ているのは運転手と自分だけじゃん。
街に入ると更に奇妙なオブジェが次々に現れた。例えば太った小男ほどもあるアラビア風の壺が宙に浮き、そこから水が出て下の大瓶に流れ込む様を形作った、原色ギトギトの作り物。素材は不明、その水は実際に流れている訳ではない。そんな奇怪な創作物が次々に現れ、まるで白昼夢を見ているようだ。うっ悪酔いしてきた。何しろ街には人が少ないので、つぶれたテーマパークだな、こりゃ。極めつけは街の中心にある広場で、一万人は集まれるようなスペースの一方に宙高くモニュメントが立ち、その前にはとてつもなく大きなモニターが置かれ、何故かサッカーの中継が流れている。広場には2-3人の子供がモニターを見るでもなく石段に腰掛けている。まあ表は日中40℃はあるから、用がなけりや出ないわな。
この広場には夜になって涼しくなってからも行ってみたが、相変わらず閑散としていた。観客のいない大広場ではモニターから流れるサッカー中継のアナウンサーの声が夜空に吸い込まれていた。この国の人は、サルタンがこんな訳の分からないものに金をつぎ込むのを、どう思っているんだろう。と思ったら近年、政権こそ変わらないが国民の民主化の声に押されて議会制に移行している。今行っても変な作り物なんて無いじゃん、と言われても困る。撤去されちゃったんじゃないかな。そんな気がする。さてオマーンはこれ位にして次、イエメンへ行こう。なおオマーンの南部では、フラミンゴの群生する湿潤な地方があるそうだ。
イエメン、一言で云ってアラビアンナイトの世界だね。首都のサヌアは近代的な街と、道を隔ててオールドタウン(旧市街)に分かれている。オールドタウン(街全体が世界遺産)を歩けば、旅人は数百年前に簡単にタイムスリップする。土で造った窓の少ない角ばった家屋が、丘の上に立ち並び、ひげをたくわえ頭にターバンを巻いた男達はみな、胸に湾曲した守り刀をぶら下げている。美しい鞘に納まった太い刀だ。弾丸帯を肩から斜にかけライフルを持つ男が歩いているが、表情はおだやかだ。これでハイラックス、ランドクルーザーがラクダに代われば完璧なのだが。誇り高い男達は、異国人の自分を見ても特別な興味は示さない。
皆、口の中で何かをクチャクチャ噛んでいる。ビンローか?違うな、葉っぱだぜ。これはカートという、見たところありふれた緑の小さな葉で、例えて言えば、ツバキの葉の色を薄くして柔らかくしたようなもの。小枝についたのを一枚づつむしって噛む。ひたすら噛んで、葉のエキスを飲む。その繰り返しだ。客の店でも午後からターバン男達が、車座になって広い部屋にオーナー以下二十人ほど座り込み、黙々とカートを噛む。ほっぺたの片方がカートのカスで膨れている。最後はたまったカートの残骸を吐き出して捨てる。全部は飲み込まない。ソマリアでは飲み込むようだが、ここでは吐き出す。自分も何度かこのカート宴会に加わったが、静かなものだ。
この青臭い葉っぱをいくら噛んでも何の変化も起きない。イエメンは当然イスラム国で酒は一滴も飲まず、タバコも意外と嫌われることがある。でも何が良くてカートなんだ。二回ほど参加して止めてしまったが、男共は仕事を放り出して何時間も席を立たない。カートも品質がピンからキリまであるそうだが、毎日あれだけ口にして体は大丈夫なのか。この国の男の平均寿命はかなり短い。ずっと後になり、高野秀行氏の『謎の独立国家 ソマリランド』を読んで始めて分かったのだが、カートは噛み続けて2時間3時間とたたないと効いてこないそうだ。効き始めると気持ちがpeacefulになり高揚してくるようだ。高野氏は止められなくなった。それじゃあ惜しいことをした。もっと粘ればよかった。
さてイエメン、この国の街は面白い。男は皆ひげを蓄え、頭にターバン、片足に胴体が入りそうなダボダボズボン。サイズが2つ違うだろ、というゆったりした上着、暑いのにチョッキを身につけている者が多い。そして刀にライフル、服装は完全に中世だ。女はあまり歩いていないが、黒ダボ服に包まれ、顔を覆っているので、若いのか婆さんなのかも分からない。アリババと40人の盗賊、という絵本があれば、アリババを除く40人の盗賊が、てんでんばらばら街を歩いているようなものだ。イエメン人は一般的に小柄な人が多いから、小粒の盗賊団だ。魔法のランプの大男は歩いていない。市場がまた楽しい。東南アジアでは主役の女どもがいなくて、売り手も買い手も男ばっかり。それにしても何でも安い。しっかりとした中国製の子供服が、三百円とか四百円で売っているので、子供達のお土産に数枚買ったが、帰国したらどれもサイズが小さくて着られなかった。まさか2週間の出張で子供がみるみる大きくなった訳でもあるまい。自分の頭の中の子供が実際より小さかったんだろう。
食事も安かった。街の食堂の中も男ばっかりで、羊肉のハーブ煮込みといったような物だが、たいしてうまくはない。男達はとても親切で、言葉の通じない異国人の自分に微笑みかけ紅茶をおごってくれた。マーケットはもっと良く見たら面白い売り物が色々とありそうだが、遊びに行っている訳ではないので、そんなに時間をかけられなかった。彼らはアラビアにいるのに、アラビア数字を知らない者が多く、米ドルは絵柄の顔で額を覚えている、という話を読んだ。
ただ2015年現在、イエメンは内戦が再発したようだから、大変危険なので行かないほうが良いよ。だけどインド洋に浮かぶソコトラ島には、世にも奇妙な木が生えている。引っくり返して木を土に埋め、根っこを上に突き出したように見える。他にもこりゃ地球じゃないな、というような奇抜な植物が生えている。一度インターネットで見てごらん。
イエメンは砂漠を3ヶ月かけて超え、エルサレムのソロモン王を訪ねたシバの女王の国。乳香やコーヒーの故郷。人々は三千年も前から、ラクダの隊商とダウ船によって、荷を東西に運び商う有名な商人の末裔。今でこそ石油が出ず貧しいが、古代では北方のアラブ諸族などは砂漠の盗賊団くらいにしか見ていなかった誇り高い人々なのだ。