旅とエッセイ 胡蝶の夢

ヤンゴン在住。ミラクルワールド、ミャンマーの魅力を発信します。

今は、横浜で引きこもり。

四国遍路 ー 遍路ってこんなの?

2023年11月14日 01時25分39秒 | 旅日記
四国遍路 ー 遍路ってこんなの?

 9月の終わり、猛暑の残る中、夜行バスで横浜から徳島に行った。

遍路の旅は誤算の連続。

 あっその前に、俺は歩き遍路ではない。残念ながら。電車、バス、市電を使う、言ってみれば準歩き遍路だ。これで、岩波新書になる資格を失った。岩波編集部に面倒をかけることもないなら、ハジケちゃえ。

 自分の遍路旅は、ちょうど一か月かかったが、オール歩きならあと3週間は必要だった。またオール歩きでも、ロープウェイやケーブルカーを使うか使わないかによって違ってくる。歩くのが大変で、急斜面な所にあるのをわざわざ使わずに登ろうというのは阿呆だ。マゾだ。だけどもその覚悟には敬服するよ。本当に。一気に高低差650mは、66番・雲辺寺。下は残暑で上は紅葉が始まっていた。85番の八栗寺も、ケーブルカーを使わなかったら相当きつい。

 四国は、ほとんど初めてだったが、その山野の美しさには圧倒された。どこを歩いても山が遠くに近くに見え、その山系は重なり合い、木々に覆われていた。南を歩けば太平洋、北を歩けば瀬戸内海。歩き始めは、曼殊沙華。後にはコスモス。柿とミカンの鈴なり、ボンタン、栗。ススキとセイタカアワダチソウの群生。まあ、見てよ。
















 誤算は、悪い方ばかりではない。

・コロナが明けて遍路は復活し、多くの遍路が歩いているのかと思った。
確かに徳島では、そこそこの遍路さんがいた。高知にもまだいた。でも愛媛、香川と進んでゆくと、ほとんどいなくなった。お寺を独占状態だったのも、遍路道を歩いて数時間の間、誰にも会わないことが度々だった。しかも、歩き遍路の60%は外国人、主としてヨーロッパ人でした。

・6番・安楽寺には宿坊がある。自分も、初日に善根宿に泊まらなかったら、ここにした。なにしろ、ここのお風呂は温泉だからね。他にも2-3、宿坊があるらしき寺はあったが、12番・焼山寺、24番・室戸岬の最御崎寺、38番・足摺岬の金剛福寺と宿泊は止めていた。最新版の『四国八十八ヶ所詳細地図帖』によると、宿坊のある寺は21ヶ所となっているが、実際は壊滅状態だ。
 コロナで、3年間お客が来なかったからね。他にも、遍路路の旅館、ゲストハウスの3軒に一つ、4軒に一つは廃業していた。本やネットの情報がup dateされていないのだ。経営者の高齢化も原因の一つだ。

・バス路線は、もっと悲惨だ。バス?去年、廃線になったよ。バス?昔はあったんだけどね。あっても一日2便とかじゃあ、しゃあない。バスが駄目なら鉄道。これがまた一筋縄ではいかない。一時間に一本づつ出てる。ヤッターと思いきや、ほとんどの電車は2つ先の駅まで。目的地に行くのは、一日3-4便。次は?2時間半後かよ。
 テレビのローカルニュースで見たのだが、どこからか道後温泉に行くバスが一日15便から3便になるそうだ。ずいぶんと急な減便だが、深刻な運転手不足が原因だそうだ。補助金とかでは解決しない。運転手がいなけりゃ、バスは動かない。

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・野生動物は、ほとんど見なかった。バッタやトンボ、蝶はいたさ。トカゲは良く見たが、蛇はミミズの親分くらいのしか見なかった。一度、あぜ道を横切る、多分イタチを見たが、何せ0.5秒の早業だから確かではない。熊は、四国では剣山にいるとかいないとか。
 猪はたくさんいるそうだが、最近ネズミが媒介する豚コレラで、めっきり減ったと、猟をする宿の親父が嘆いていた。
 四国の街は、側溝にきれいな水が流れている所が多い。田舎道でもそうだ。ここには小さな魚がいるし、近づくと水に飛び込む蛙がいる。何故か、カマキリが道に出てくる。産卵の季節なんだろうか。車にペシャっとかも多い。










・実は出発の前に、Pasmoを失くした。以前京都・奈良を旅行した時、Suikaが使えなかった。Suikaじゃ駄目だとメルカリでPasmoを入手した。今、駅でPasmoが買えないのよ。半導体の不足によるらしい。これの郵送が遅かったので、出発を2日遅らせた。
 バスや鉄道、全部現金じゃあ大変だもんね。全部現金になった。1万5千円入金したPasmoは、四国では一度も使えなかった。財布と小銭入れは、コインでパンパンになった。88ヶ所のお寺で、賽銭2回と納経料が300円かかる。
 しからば、四国では電子カードは無いんか?使っている人を発見し、運転手さんに聞いてみた。そのカードは、四国全部で使えるんですか?いや、高知だけなんだよねって、駄目じゃん。

・旅の出だしでスマホが壊れた。画面が真っ黒で立ち上がらない。落としたりぶつけた記憶はない。2日目の鴨島でスマホショップを見つけ、シムカードの出し入れで直してもらった。その後も二回調子が悪くなった。
 自分で修理しようと、シムカードを出したらはまらなくなった。観光局のおじさんと話し、数駅前のauの店を目指して逆戻りした。
 焼山寺の登山中と翌日の渓谷の所では、スマホは直っていたが、焦点を合わすジーっという音をシャッター音と間違え写真を撮りそこなった。だから最初の3日間は、何も写していない。焼山寺への登り道、見晴らしのよい所を撮り損ねた。
 また一度は、電話と写真しか出来なくなった。K's電気で見てもらうと、Wifiがoffになっていた。そして最後の数日、動作が超スローになったが、これは容量が0.00になっていたことが、後で分かった。
 電話が出来ないと、宿の予約が出来ない。公衆電話など、駅とコンビニくらいしかない。そのコンビニがなかなか無いのだ。一度スマホが使えず、駅の公衆電話に入ったら、何とコインは使えません。テレフォンカードをお使い下さいって、どこでカードが買えるの?その時は、途中一度話しをした、区切り遍路の人にスマホを貸していただいた。予約はしていたが、駅までの出迎えを宿に連絡する必要があったのだ。

・遍路路の表示だが、徳島県は結構あった。高知以降は少なくなり、あっても消えかかっていたりする。またよほど寺の近くまで行かないと無かったりする。地元の人に聞いても、若い人は知らないことが多い。10分圏内にあるはずの寺を知らないことに驚く。よほど関心が無いんだろう。
 あと『四国の道』。立派な表示物だが、ただ四国の道。あった。あそこに看板があると近づく。四国の道。蹴っ飛ばしたろか!あれ、後で右はxx寺xxkm、左はxxとか付け加える積りなんだろうか。
 四国にある道路なら、四国の道だろうよ。意味がない。腹立つ。
 グーグルのMapには助けてもらった。特に街中に散在している寺には有効だ。だが、長距離で後xkm、1時間25分とか出て、その方向に1時間以上進み、スマホを見ると、後1時間35分となっていて、逆上することもあった。




・外国人は本当に多かった。大半はヨーロッパ人と台湾人でした。アメリカ人は、初日にバージニア出身の42歳のおっちゃんだけ。彼は、リュックと服のポケットに水のペットボトルを何本も突っ込み、早くもバテていた。イギリス人もいないなあ、と思っていたら、いた。もっとも彼は、スコッチ、スコットランド人と名乗ったのだが。スコッチウィスキーには初めて会った、と言ったら、じゃあ君のコレクションが増えたね。シャレた答えが返ってきた。
 フランス人が多い。これはベトナムやラオスと一緒だ。70歳、白いひげのおじいさんは2度目の遍路で、泊まるのは民宿だそうだ。日本語が達者な、お人形のように綺麗なフランス娘。自己主張の強い、嫌われフランスおばさん。
 他にデンマーク人(TVで、遍路のドキュメンタリーをやったらしい)、スイス、オーストリア、スペイン、ドイツ、チェコ、etc。イスラエルのアリ青年とは、その後山の中で再会した。彼は、他の多くの外国人と違って、懸命に日本語を覚えようとしていた。いいかい。アリは日本語では蟻だぜ。えー、antですか!24歳のアリは、6年兵隊をやっていたそうだ。映画みたいなことは無いよ。でも一度撃ち合ったことがあります。
 屋根のある簡易休憩所で、寝袋から出たばかりのアリと30分も話したのが、ハマスによるガザ侵攻の前日だった。予備役の彼は、速攻帰国したのではないかな。元気でいてくれよ、アリ君。

・12番の登山は、死ぬかというほどきつかった。ここは、遍路で最初の遍路転がし。バスで行こうと思っていたが、廃線になっていた。前日泊のゲストハウスと、12番を過ぎた所のゲストハウスが提携して、荷物を運んでくれたので助かった。この登山には、2つの中継地点がある。長戸庵と柳水庵だ。長戸庵には、お堂があるだけだが、柳水庵には水場と休憩所がある。立派な一軒家の休憩所だ。原則、宿泊は禁止と書いてある。でもここで一夜を過ごしたら、頂上までは一息だな。
 でもそのあと一息が曲者だった。柳水庵を出てしばらく行くと、道は何故か下りになった。えっ下り?それも半端じゃあない。岩の急斜面を下る。下る。まだ下る。980円の運動靴は、靴の中で足が固定されていないから、指先に負担がもろにかかって痛い。下りなので息は切れないが、指先、特に親指の痛みは一歩ごとにジンジンとくる。
 痛い。痛い。まだか。まだ下るんか。やっと開けた所に出た。おっ到着か?家があって、畑がある。人もいるし、ここにお寺が?違った。そこから最後の登りは、頭が白くなるほどで、下った分を全部取り戻してお釣りがあった。
 自分は、当日登った20人ほどの中で、ビリに近かった。俺の後ろにいた10人ほどは、最初の長戸庵までで諦め、引き返したようだ。年配の台湾人のご夫婦は頑張って、自分より早く完登した。
 そして着いた焼山寺。何と100人からの、汗もかいていない連中がワラワラいるじゃん。え~、ズルじゃん。車で来た連中でした。

・焼山寺の遍路転がしを制覇して数日、左足の親指が痛い。見ると、心なしか黒ずんでいる。押さえると、爪の間からドロっとピンクの液体が出た。膿に血が混じったような。テープを貼り、様子を見ることにした。幸い、遍路路の8割は平たんな道で、山に差し掛かっても、舗装されている所が多いので、痛くはない。
 その後も小指に小さなマメが出来た程度で、ダメージは意外に少なかった。学生の時に、コンクリートの上で空手の練習をしていたし、ミャンマーでは、靴を履いたことがない。足の裏には自信があるのさ。
 ところが、帰宅して10日経つ昨日、左足の親指の爪が浮いているのを見つけた。ヤバいかも、これは。テープで固定し、気付かなかったことにした。

ps. 医者に行った。化膿止めの薬を3日分ほど飲み、後は放っておいてよい、とのこと。いずれ浮いている親指の爪は、剥がれ落ちるらしい。その下に、カニの脱皮のように新しい爪が出てくるそうだ。問題ない。ぶつけたりしなければ、痛くないものね。結局、剥がれ落ちた。けど、新しい爪は、まだフニャなので、落ちた爪をカバーに残してテーピングしている。

〇 さて、ここらで一息入れようか。旅の誤算編は置いといて、遍路/巡礼について。巡礼といえば、昔のエルサレム巡礼。今は世界遺産になったスペイン、サンチャゴ・コンポステーラの巡礼。マッカ(メッカ)巡礼とチベットの霊峰カイラス山巡礼。カイラスは、仏教徒、ヒンズー教徒、ボン教徒、ジャイナ教徒にとっての聖なる山 だ。
 中世の巡礼は命がけ。エルサレムを目指すキリスト教徒と、メッカを目指す回教徒は、盗賊・海賊の格好の獲物だった。回教徒の巡礼船を襲うのは、ロードス島の聖ヨハネ騎士団の快速ガレー船だ。
 今回出会った外国人の2人に1人はサンチャゴ巡礼に行っている。目的地の聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラを目指す900kmの旅だ。途中にピレネー山脈が立ちはだかる。コースは、7-8通りあり、約20kmごとに安い宿泊所があるそうだ。
 スペインの大半が回教徒の支配下にあった中世とは違い、現代の巡礼は、案外快適らしい。ちなみに、オスマン・トルコもその前も、イスラムの人たちはキリスト教徒の巡礼を黙認していた。エルサレムには、聖ヨハネ騎士団の医療スタッフによる病院があり、巡礼者の治療にあたっていた。
 日本人でサンチャゴ巡礼に行く人は少ないが、クリスチャンの多い韓国人は目立つそうだ。日数に限りがあるのだろう。若い韓国人の中には、一日で40km、倍の行程を行く猛者もいるらしい。
 上にあげた3つの巡礼は、目的地が一つだ。普通はそうだ。ゴールに近づくにつれ、興奮が高まるだろうな。88ヶ所の目的地がある、巡廻式の巡礼は珍しい。四国遍路は、いつ世界遺産になるんだろう。早くしないと、日本人の遍路は、団体旅行以外はいなくなってしまう。

〇 私見だが、巡礼の達成感、その後の人生に及ぼす影響、ご利益(そんなものが、あるのかどうか)に於いて、all 歩きの遍路を100とする。自分のような公共交通を使う、準歩き遍路は50~55。自転車は、電動無しで70。電動付きで55。バイクは30。車は5。
 何しろ、車は楽すぎるし、人との触れ合いもゼロ。宿に泊まれば別だが、車に寝て節約するメリットを捨てることになる。4-50分かけ、急な山道を登ってたどり着くと、頂上に自動車3分と書いてある。
 車遍路の人たちの中に、上下白に輪袈裟、編み笠といった完ぺきな装束で、杖の鈴をシャナリ、シャナリとついて駐車場から出てくる人がいる。こっちは、ここまで5時間かけてたどり着き、ヨレヨレの汗だくだ。これで納経所の人に、本当に歩いてきたの?車じゃない?と疑われたら腹がたつ。大ていの寺で駐車料金を回収しているのだ。
 電動バイクは、バッテリーがいつ切れるかが日々の葛藤らしい。バイクも、やっとたどり着いた農協のスタンドが、日曜休業とかで、ガビーンとなったりするそうだ。自転車やバイクの遍路は、土地の人からよく話しかけられている。だから、点数はそこそこなんだ。
 車で遍路、500回。実際にそんな人がいた。納札がギンギラギンだ。でも自分の中では、歩き遍路5回の人の方が、断然上だ。

ps. これは、自分がこの旅を、巡礼として考えているからだ。修行と考えず、88ヶ所のお寺で礼拝、供養、祈願をするのが目的の人もいるだろう。足が悪くて、長く歩けない人もいるだろう。途中経過を考えなければ、車の遍路は効率がよい。

〇 遍路の日々
・雨の日が、一か月の遍路で3日あった。一日は朝だけの土砂降り。一日は、午後から強い雨に降られた。そして一日は、終日シトシト降る雨。その日は道に迷い、雨の中をあっちこっちと歩き通した割に、実に効率の悪い日になった。編み笠は、ビニールカバーを付けるとしっかり機能する。
 ポンチョは駄目だ。全く役に立たなかったが、ビニールカバーをつけたリュックは、水が中まで浸透して、何もかもが濡れた。悪いことに、ビニール袋に入れてなかった洗濯物は全滅だ。ノートも般若心経も何もかも。その日、寒くて震えながらたどり着いた民宿で、風呂に飛び込むと15分は浸かっていた。
 その時自分は、荷物を買い物カートで転がしていた。ポンチョの中に入れていたら、もう少しよかったかもしれないな。でもかさ張ってビショビショになるポンチョは捨てた。バス停で、年寄りっぽいが頑丈で大きな傘を拾い、クモの巣を払って使うことにした。この方がポンチョより、ずっと良い。靴と足首が濡れるが、それはポンチョも一緒だ。
 その後トイレで折り畳み傘を拾い、ジジババ傘をゲストハウスに置いてきた。でももう雨は降らなかった。

・靴もだが、靴下は消耗する。薄くなり、穴があく。五指靴下を買いたくても店がない。あっても、宿に着いて洗濯をしていると店は閉まっている。終盤、やっと3足組みを買い、だましだまし、薄いのと2枚重ねで履いていた穴あきを捨てた時にはスッキリした。
 結局、風呂には毎日入った。初日の善根宿では、2km先の銭湯に行った。洗濯は、洗濯機は2日に一度か、3日に二度。後は手洗いをした。どの宿にも洗濯機はあるが、乾燥機はあったり無かったり。料金は、かかったりサービスだったりする。洗剤は持って行った方がよい。100円とかかかる所もあるからね。夜干しでもハンカチと靴下以外は、案外乾くものだ。だから着替えは、ほとんど要らない。もし次に行く時は、自分は作務衣にする。
 ある宿で、エアコンの真下に金網で洗濯物を置く工夫がしてあった。これなら数時間でカラカラだ。

・ここらで、遍路路を見てみようか。
 遍路の七割は、国道・県道と市街地の道路だが、中には遍路路もある。また寺に近づくと長い階段や参道、山道になるが、その道は様々だ。着くまでが相当大変な寺は、いくつもある。大変ベスト3、ベスト5を教えることは出来るが、止めておく。自分で体験するが良い。もっとも、どれほどきつくても車でならチャッチャと行ける。







































〇 毎日歩いた。4日目の午後、何だか歩くのが楽しくなってきた。
 足の親指の爪で皮膚科に行き、こうなった経緯を話したら、先生(女医)がこう言った。ああ、歩くのが好きな人なのね。その時、黙って否定しなかったが、それは違います。自分は、歩くのもましてや走るのも大嫌いな人です。少々遠回りでも、階段を避けてEVやエスカレーターに乗ります。
 遍路では、街中でも田舎道でも、歩いていれば刻々と景色が変わる。河川敷や田んぼのあぜ道、ミカン畑が連なる山の路を歩くのは楽しい。秋の空は晴れ渡り、イワシ雲が空高く浮かんでいる。そよ風が吹いて心地よい。
 時には犬に吠えられるが、一歩一歩進んで、次のカーブの向こうへ進むのは、確かな歩みだ。雨の日に傘を斜めに差すと、視界が足元に集中する。思考はあちらこちらに飛び、普段は思い出さないような記憶がフっと出てくる。これは、この状態は歩き瞑想、Walking Meditation だな。

 こう思った。人は死ぬと、こんな風に旅に出るのかな。晴れた空、深い青空に真っ白い雲が浮かぶ。そよ風の吹く遍路路。緩やかな登り道。遠くに緑の山が重なり、道端にはコスモスの花が咲く。小鳥が鳴いている。
 さあ、今日も一人で歩こう。あの曲がり角の先、さらにその先に。急ぐことはない。ゆっくり歩こう。死が、そんな旅路なら悪くない。また新しい旅に出るだけだ。

 自分のように、電車・バスを使うと、2日がかりの長い道や延々と続く車道、街中や住宅街といった所を飛ばすことが出来る。一見つまらなくて退屈でうんざりする道をオミットでき、宿代を節約出来るならいいじゃん。
 でもね、その無駄なような歩きが巡礼なんだ、修行なんだと、俺は思う。やはり遍路の王道はオール歩き。ロープウェイくらいは使っても良いと思うけどね。

☆ 旅のエピソード

 高知の室戸岬にある最御崎寺までは、前の寺から歩いて2泊3日といったところ。ずっと海岸線で、天気が良けりゃ太平洋を日の出から日没まで見て歩く。商店もコンビニも無い。だいたいここを歩くのは遍路だけだ。自販機も数十キロ無かったりする。でも民宿はある。夏の海水浴、釣り客と遍路向けだろう。 
 名著、『四国遍路を歩く』の中で、佐藤孝子さんが、一番印象深いのはこの道、と書かれている。自分は、バスの乗り継ぎがよくて、3-4時間で通ってしまった。バスの窓から見た限りでは、歩いている人はいなかった。
 ある宿の主人(ミカン農家)は、遍路に2回行っているが、この道で台風並みの豪雨と強風にあい、全く逃げ場のない所を、軽トラックが止まってくれて助かったそうだ。このままでは、お前は死ぬから拾ったと言われたそうだ。地図を見ても、道の山側には見事に何も書かれていない。緑と等高線のみ。
 さてその long road の一部を自分も歩いた。バスは万能ではなく、途中までしか行かない。その日は、トレーラーハウスを貸し切り(¥3,000)で泊まったが、なかなかに快適だった。でも歩いている途中に、店は一軒も無かった。饅頭の製造所があったので、一箱6ケ入り300円を買ったら、出来損ないといってもうひと箱サービスしてくれた。
 結局その日の晩飯は、一口饅頭12ケ。翌朝食べるものは何もなく、タバコも切れた。


*エピソード1
 翌朝、 国道56号線を室戸岬目指して、荷物をガラガラと引き、歩き始めた。他に歩いている人などいない。車も大して通らない。タバコが切れていたので、ホテルの看板を見つけて近づいたら、何年も前だろう。廃業していた。
 ずっと先、道の反対側に赤いものが見えた。もしかして、ひょっとするとあれは、コカ・コーラの赤!ヤッタ、自動販売機!おい、飲み物より飯、orタバコだろ。何にしろ、何かが手に入るのはうれしい。
 ところが近づくと、確かに自販機だが、その後ろの建物の屋根にボコっと穴が開いてるじゃん。ここは、廃墟のゲストハウスか?でも自販機は動いた。冷たいコーヒーを飲み、座り込んでコーラも買った。
 気が付くと、自販機の横に大きな水槽がある。藻で曇っているが、メダカのような小魚がいて、ブクブクと空気が送られている。建物、廃墟の横には、たくさんの植木鉢が置かれている。道の前も後ろも、他の建物は何もない。
 しばらくボーとしていたら、いつの間に、どこから?おばさん、メガネで小太りの、普通のおばさんがいて、水差し片手に立っている。目が合って、お互いかすかな会釈をした。でも話しかけるキッカケがない。おばさんは、植木に水をやりに行ってしまった。唐突に現れ、行ってしまったおばさんは、この廃墟の住人?それとも山の方に家があるのか?あるようには見えないけど。
 
☆ 愛媛ミカン
 遍路の一か月で、ミカン箱一箱分ほどのミカンを食べた。四国のミカンは、甘くて美味い。スーパーで買ってはいけない。路傍の無人販売なら、100円で多い時には10個ほど入っている。10月の初めは、青いのが多かったが、だんだん黄色くて甘みが増した。
 すごく小さいのを、ジュースにしているスタンドが寺の門前にあった。ベビーミカンとか赤ちゃんミカンとか呼んでいた。そのまま食べても美味しい。小さいけど、甘いでしょう。自分は、これより小さいのをミャンマーでよく食べていた。
 無人販売は路傍だけでなく、お寺やウドン屋でもよく見かけた。愛媛から香川にかけては、ミカン畑の横を歩くことが多かった。何枚も写真を撮ったはずだが、不思議なことに一枚も残っていない。柿の木もたわわに実をつけていた。アケビを拾って食べたが、これは大して美味くはなかった。山道で、立派な栗を拾ったが、これはお寺に置いてきた。栗は生では食えない。ミカンは、よく飯屋や宿でもらった。ミカン農家は、雨が降らないのを心配していたよ。
 路の両側に並ぶミカン畑。手を伸ばせば、取れちゃうよ。土の上にも落ちている。道路にまで転がったのはOKにして、拾って食った。よい水分補給だ。一度、大きな青いのを拾った。まだ早いかな、と思ったが、これが口の中を柑橘類のジュースで満たした。ドヒャー、旨い!それからは、青いのを買うことにした。




☆ 四国の景気
 豊かな自然と対比して、町は寂しい。大きな街でも商店街は、シャッターが閉まっている店が多い。スーパーの廃墟は迫力があった。ここは地図に載っていたから、当てにしていたのだが、もう10年ほど前に閉じたそうだ。夜街に出ても飯屋がないので、居酒屋でラーメンを食ったり、おにぎりを頼んだりした。もちろん、高知とか活気のある街もあった。









☆ 四国のうどん
 四国で食べた、旨いもんベスト3はこうだ。順位は問わない。まずは、JR牟岐線きき駅近くの民宿、樹園さん。ここは遍路路からは外れている。宿の宿泊客も、工事で来ている作業員さんだけだった。
 22番・平等寺近くにある宿3軒が満杯で、仕方なく泊まったのだが、これが大正解だった。夕食は、鯛の刺身に小鯛の塩焼き。魚と野菜の小鍋、茶碗蒸しに伊勢海老半身が入ったお味噌汁。その他諸々と、これが何とハモの天ぷら。天ぷらは野菜やキス?もあったが、絶品だったな。ハモの天ぷら。
 36番・青龍寺近くの、りり庵さん。この宿は、基本素泊まりなので、自分はラッキーだった。逆打ち(反対廻り)のベテランさん2人と一緒に食べた夕食は、目にも鮮やか。大きな絵皿に、ぐい飲みのような器がたくさん並んでいて、それぞれに楽しいおかずが盛り付けてあるじゃあ、ありませんか。
 どれから食べよう。食べちゃうのが勿体ないな。この宿は、朝食がまたビックリ仕掛けなのだが、言わない。自分で体験するが良い。
 徳島県で道に迷った。また、物言わぬ『四国の道』に出くわし、逆上していると、車が停まって、どうしました?この人は、近くのビジネスホテルの経営者の息子だった。¥5,500はちと高いが、その日の宿を決めていなかったので、ここに泊まることにした。
 ホテルの隣にレストランがあり、フロントの人がここで給仕をしている。同じ経営なのだ。天ぷら・うどん定食、¥1,260 は、自分の基準では高いが、これが正解でした。20cmを超えるほどの海老、カニの爪が2本づつ、イカが1本、しし唐やイモなどの野菜の天ぷら。カニの脚だよ。こりゃ、絶品。
 これらベスト3は、食べるのに夢中で写真を撮り損ねた。映像と味の記憶は、自分の頭の中さ。
 うどんは、あちこちで食べた。10時ちょっと前に店に入ると、開店は10時です。外でお待ち下さい。って客、いないじゃん。ところが、10時3分前に車がワラワラと駐車場に入ってきて、あっと言う間に行列が出来た。家族連れやら、おっちゃん、お兄さん。
 昼過ぎにフラっと入った、うどん屋で食べた、冷やしうどん、300円が一番美味かったかな。氷水の中に、うどんがブっこんである。これは写真がある。





生ハムうどん
これは、あんまし
これは豚肉丼。美味かった。
これは、ラーメンとチキンの定食。美味い。
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