旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

言語学者

2018年03月07日 19時10分14秒 | エッセイ
言語学者

 この年になって分かったことがある。言語学者って格好いい。子供のころ何になりたかった?俺は野球選手、という選択肢はゼロ。運動音痴だったし、野球は見るのはたまにはいいか程度で、やるのは大っ嫌いだった。
 あれっそうかな?小4までは空き地で、ゴムボール・三角ベースで、日が暮れる迄遊んでいたけどな。まあいい。自分がなりたかったのは、今だから言うけど探検家だ。
 子供向けの本で、リビングストン・スタンレーのアフリカ探検、ツタンカーメン王墓の発掘、クストーのコンチキ号、スコット隊の南極遭難、河口慧海のチベット潜入、ゴビ砂漠での化石発掘隊等々を読んで、一人で興奮した。

 次いで言えば、愛読書は吉川英治の『三国志』以外では断然、『十五少年漂流記』とジューヌ・ベルヌの他の探検小説だった。ちょっと年長になると、井上康の『敦煌』『楼蘭』、ヘディンの『さまよえる湖』、それから『世界の歴史』や戦記物を読むようになった。
 もちろん太宰治やシャーロックホームズにもはまったさ。リアルの世界では、上野にツタンカーメンと黄金の仮面展を見に行き、始皇帝の兵馬俑が発見され、植村直己さんの冒険が始まった。
 でも小6の将来何になりたい?の質問には、“学校の先生”という無難な回答をしている。インディージョーンズだって、普段は学校の先生だろ、っていう深読みはない。つまらない少年だこと。

 で、本心は探検家になりたかった少年は、探検家ならやっぱ考古学者かなーと考えた。地理学者も良いが、地図の空白部分はチベットのごく一部を除いて無くなっていた。それより、自分が相当な方向音痴なのを知っていた。方向音痴の地理学者じゃ、音痴の歌手、不器用な大工、味の分からない料理人だ。
 動植物・昆虫・鳥類・魚類の研究者でも良いのだが、どれも大して好きじゃない。地質学も何だかなー。漠然と海外に行くんなら、医者のいいね(ドクトルマンボー航海記)と思った。そうなんだ。海外のボランティアで大歓迎されるのは断然医者だ。

 長じて民俗学なんてのもあるのを知ったが、言語学は思いつかなかった。そうか、言語学者にならなくても、日本語教師という手があったんだ。探検ではないが、海外に堂々と住める。とはいえ、4-50年前の日本語学習者は、今の1/10以下だったんだろうけど。

 インドやフィリピン、マレーシアを旅すると英語でこと足りちゃうけど、昔のタイやスペインでは英語が全く通じなかった。特にスペインはひどい。英語のえの字も通じない。この10年で行った国の中で、カンボジア・トルコ・ミャンマーは、行く前に結構現地語を勉強した。言葉は武器だよな。高野秀行氏の旅の準備の9割は言葉の習得だもんな。

 言語学者が恰好いいと思うようになったきっかけは、トルコ旅行の前に読んだ本、小島剛一氏の『トルコもう一つの顔』『漂流するトルコ』だ。クルド語方言の研究をする中で、ザザ語・ザザ人の発見、イスラム教とは思えないアレヴィー派のこと。しかし「トルコ国民はすべてトルコ人であり、トルコ人の言語はトルコ語以外にない、トルコ語以外の言葉はトルコ国内に存在しない」というトルコ政府の公式見解により国外追放になってしまう。
 まあ読んでみたら、奇書です。小島氏がネパールの山の中を一人で旅して、峠の茶屋でxx族の〇〇村方言でしゃべり、土地の人が全く疑いを持たない。

 明治開国時に来日した外国人が、日本の商人がお互いにペコリペコリと交互に頭を下げ、ニコニコしながら長々と話をしているのをじっと見ている。彼は思う。「ああ、いったい何を話しているんだろう。話しの中身を知りたいなー」

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