旅とエッセイ 胡蝶の夢

ヤンゴン在住。ミラクルワールド、ミャンマーの魅力を発信します。

今は、横浜で引きこもり。

ミャンマーに住む

2018年08月15日 13時06分50秒 | エッセイ
ミャンマーに住む

 皆んな外国に行くならどこにする?うん、この質問ではいかんな。長期なのか短期なのか、はたまた住むのか分からん。
自分は数年後にミャンマーに住んで、日本語教師になるべく学校に通っている。週一回で2年間、半分終わった。でも本当は住むならラオスの方が良かったな。

 イラワジ(エーヤワディー)川よりメコン川だ。母なる豊饒のメコンだ。でもラオスには日本語学校がない。まあミャンマーのビザ更新の時に(ビジネスビザなら70日)行けばいいか。カンボジアにも行くでね。カリマンタン(ボルネオ)もいいな。

 ミャンマーでは日本人教師は引っ張りだこだ。経済発展していて、日本の企業も続々と進出している。アジア最後のフロンティアなどと言われている。ラオスには日本人観光客がほとんどいない。いいことだ、欧米では人気なのにね。日本の企業も出てこない。日本語の需要がない。

 カンボジアでは、日本語学校はガイドさん向けに特化されている。授業で乳海撹拌やシヴァ神の乗り物、奥さんを教えるのは楽しそうだ。日本人観光客が訪れるのは、首都プノンペンではなくアンコール遺跡群のあるシェムリ・アップだ。シェムリ・アップの空港は小さいが、テーマパークのように整備されていて綺麗だ。

 ミャンマーの日本語教師は、日本人で資格がある人ならUS$700で、資格なしならUS$500/月。この資格とは大学・大学院の専門コースは知らないが、一般的にいって420時間の講習を専門学校で受けた人か、日本語教育能力検定試験に合格した人をいう。このテストは年に一回誰でも無条件で受けられるが、難しくて合格率は20%を割る。

 自分がコンタクトしているヤンゴンの学校は、日本の病院が運営していて日本での看護師を目指す学生向けだ。他に英語と外国人向けにミャンマー語を教えている。宿舎は用意されている。日本語学校があるのは大半が首都ヤンゴンで、第二の都市マンダレーにもあるが、他の地方都市にはごく少ない。

 ミャンマーで日本語はそんなにブームなのか。違うだろ。断トツに多い専門学校は、英語とコンピューターだろうな。英語の次は中国語、日本語は良くて3番手かと思われる。しかし日本人の教師が不足しているのは間違いない。急激な経済解放・発展に追いつかないのだ。卒業したばかりの、成績のよい生徒がそのまま生徒を教えていたりする。$700ではなかなか日本から先生が来ない。

 でも$700はヤンゴンでは大変な高給だ。ミャンマーでは、月に5,000~7,000円を稼げばたいした高給だ。外国語に堪能で外国企業に勤めれば、月給3万にはなる。月7万円は超のつく高給だ。軍事政権のころ、首都ネピドーの建設をしている労働者の日給は、なんと15円だったぜ。俺も耳を疑った。150円じゃない、15円じゃ。食事は屋台や食堂で食べれば、100~150円、タクシーで200円出せば市内のそこにでも行ける。ミネラルウォーターは500mlで15~20円。

 ところが輸入品のカップ緬やチョコレートが高い。果実も案外高い。流通がまだうまく機能していないんじゃないかな。あと外国人と見るとやたらに金を取る。地元の人が無料で入るパゴタで、入り口が別になっていて7$とか取る。フェリー代も5$とかふんだくる。

 自分はミャンマーに住みたいから日本語教師になる。日本語教師になりたくてミャンマーを選んだのではない。日本で暮らすのは窮屈で金がかかる。少ない年金では耐久生活が強いられる。年がいって金のためにつまらない仕事を続けるのは嫌だし、無職では時間を持て余す。平日昼間のスポーツセンター、図書館には元気なお年寄りが溢れている。山に行っても植物園に行っても、スーパー銭湯に行っても平日は年寄りだらけ。自分が年寄りになったからといって、お年寄りが好きになるわけもない。

 一円パチンコで4時間も5時間も過ごして一喜一憂するのは空しい。口うるさいカミさんと四六時中一緒に過ごすのは息が詰まる。彼女はミャンマー大好きだから、遊びに来るだろう。てか日本で滅茶忙しくしている。山だ、カヌーだ、マラソンだ。ミャンマーはいいよ。人々が生き生きしていて面白い。今は治安が大変よい。そして物が安い。日本を一歩出ると、アドレナリンがビンビンと出て元気になる。

 でもだからといって生活の基盤を持たずに長期滞在していると、最初は良いが段々腐って来る。何をしているんだ。自分は何の価値もないのか。仕事(duty & やりがい)が忙しくて遊びに行けやしない。そのくらいでちょうど良い。ミャンマーに住んだら、やりたいことがたくさんある。ミャンマー語を覚えて友達を作る。国内を旅行する。近隣国を旅行する。瞑想の修行をする。デジタル一眼レフで古木の撮影をする。行けばやりたいことがもっと増えるだろう。

 あと数年、刑期が開けるのを待つ囚人のようなものだが、自由はきく。時間をかけて移住の準備をコツコツと進めることにしよう。準備もする事はたくさんあるし、釣りやら旅行やらの準備は楽しい。最後に一つ。年金をもらう年になってミャンマーに行くからといって、何ら悲壮感はないんじゃ。別にミャンマーに骨を埋めよう、とかは思っていない。そうなったところで一向にかまわないが。70を超えて油っ気が抜け、無職でも人が何とも思わなくなったら、何もしないでラオスに長期滞在もよし。沖縄の離島に住むのもよし。日本の田舎に古家を借りて住むのも良いなー。野菜を植えて桟橋で釣り放題。食費の半分は自給自足ってのは面白いぜ。



























オバQな世界 - 続

2018年08月09日 11時49分47秒 | エッセイ
オバQな世界 - 続

 サウジ、ジェッダの下町に出ると市場や食堂が並んでいる。ひげ男たちは東洋人の自分に結構優しい。一緒に茶を飲まんか、と誘われた。リヤドには世界有数の規模のショッピングモールがあるそうだが、行ったところで自分には縁がない。

 下町の市場には商品が溢れている。しかも安い。子供がよほど大切にされているらしい。こじゃれたデザインの子供服が沢山売られている。200円とかで買える。息子に何枚か買って帰ったが、どれも小さすぎて一度も着られなかった。イメージよりも子供の成長は早い。しっかしどの商品も歯ブラシからティッシュ、菓子からスプーンまでが外国製品。国産は石油と羊の肉だけか。棗椰子の実は?これも輸入か?

 飯はどれも羊肉料理で、まあたいして美味くはない。ビールちょーだいって、あるわけないか。何日か滞在すると、自動車部品の商売の相手が5割以上イエメン人であることが分かる。たまにヨルダン人やイラク人の店主がいる。サウジの純潔種は、部品のような油臭い仕事はやらない。石油関連やトヨタの代理店とかは、サウジ(アラブ)人が社長だ。

 彼らは背が高くてノーブルな顔つきだ。しかし鼻血ブーの哲学青年の例があるから、外見に騙されてはいかん。内心Hなことを考えているかも。ちょっと前まで駱駝に乗って半月刀を振り回していた連中だ。と、首狩り族(戦国時代)の子孫の自分は思う。

 イエメン、これは中世のアランビアナイトの国だ。また内戦が始まったのか。自分が行った時は、内戦は収まっていたが、道端に焼け焦げた戦車の残骸が残っていた。首都攻防戦の名残りか。なんでそうまで戦いたがる。イエメン人に較べると一律に背が低い。しかし小柄だが太った奴はほとんどいない。いかにも血の気が多そうだ。

 全員首からぶっとい短剣をぶら下げ、街にはひげ男達がライフルを担いでのっしと歩いている。サヌア郊外オールドサヌアは、日干しレンガの平屋根の建物が丘の上に絶妙に連なり、いきなり14世紀にタイムスリップしたようだ。衝撃だ。今はいつ、私はだれ?

 ★★★ 「ちょ、ちょっと カーット!」「駄目だろ、ターバン巻いて短剣ぶら下げたエキストラが街中に溢れているのに。」「えっ何がですか。」「バカ、あの車、何とかしろっての。あっそれからアリババ呼んできて。」 ★★★

 イエメンの男達は、一日中カートを噛んでいる。照りのない榊か椿のような葉っぱだ。しょうーもない何の変哲もないただの葉っぱ。それをちぎって噛み噛み、片方のほっぺをハムスターのように膨らませて、葉のエキスをチューチュー吸う。夕方からは20人も車座になって、真ん中にカートの葉のついた枝を積み上げカート宴会が始まる。365日やっているんじゃないかな。品質に差があるそうだが分からん。静かな宴会だこと。

 カートで食欲が抑えられるから太らないんだな。イエメンの男の平均寿命が短いのがよく分かる。カートの覚醒効果が出てくるには時間がかかる。2時間も3時間も付き合うのは退屈なので途中で退散した。でもその事を後悔している。カートの効果が出てくるとどうなるのか?高野秀明氏の『謎の独立国家、ソマリランド』を読めば分かる。

 あとトレジャーハンターの人が書いた本に、サヌアの市場が出てくる。彼は乳香で一攫千金を求めてイエメンに来たが、今では養殖ものが出回っていることが分かる。しかし彼は香料市場で匂いを頼りに伽羅を見つけ、それを全部出してもらって買い占めた。一言で書いてしまえばこうだが、迷路のような市場の一画で繰り広げられる迫真のやり取りが面白かった。イエメンの商人は米ドルの数字が読めない。アラビア数字なのに。彼らはドル札を絵柄の顔で判別している。

 何かこの話、止まらなくなりそうだ。何回かに分けて書いた方が良かったかな。ここまでがイエメン編ね。俺がプロのエッセイストならそうしているね。ああ、これで後3回はネタに困らない、ウッシッシ。でも原稿料が入るわけではないから、ここはサラっと続けよう。

 サウジの首都は内陸のリヤド。ジェッダは港町だ。ジェッダの客の店先にいると面白い。ここに買い付けに来る連中の中にはアフリカ人が実に多い。ソマリア、エチオピア、チュニジアといった北アフリカだけでなく、ウガンダ、ケニア、コンゴ、マラウィといった中央・南アフリアの黒人商人がひっきりなしに買いに来る。そういった国々にも日本車はたくさん走っている。そしてその中にはハイラックス、ランドクルーザーの割合が多いのだ。

 だったら彼らの国に直接部品を売りに行ったらどうだろうな。歓迎されるのは間違いない。値段は1.5倍くらいにはなり、利益率は激増する。但しTotalの金額は小さく、支払いと運送のリスクは神がかり的に膨らむ。個人で商売をやっていたら、心配で眠れなくなりそうだ。うまくいったらおなぐさみ。一回一回が賭けみたいなものだ。それに比べるとサウジの商人は信用できる。

 サウジは外国人には住みにくい国だ。観光目的では入国出来ない。入国にはスポンサーとなる人物が必要だ。気温は乾燥しているとはいえ、45℃にもなるし観光するようなものはない。あるとしたら石投げの公開処刑か?街の広場で行うらしい。ちなみに刑罰が厳しいので治安は大変よい。泥棒をして捕まったら、腕一本が無くなる。

 宗教警察が見回っているから、お祈りの時間は一斉に店を閉める。このお祈りの時間に店主の事務所に入って、他社のインボイスを盗み見て捕まった商社の男がいた。もちろん彼は2度と会ってもらえなくなり、サウジに戻ることはなかった。

 飛蝗、イナゴが街を覆いつくすことがあるそうだ。ノン、イナゴの大群ではないのね。あれはトノサマバッタの一種だ。何でイナゴになったのかな。漢字を輸入するときに取り違えたのかな。イナゴ、ごめんな。鯰と鮎、よりは間違えやすいし差が少ない。

 石油プラントとかで駐在する日本人の間では、都市伝説的な話がある。粉末の日本酒があるらしい。水に溶いて飲めば結構酔える。ところがサウジには莫大な人数の外国人が毎年訪れる。勿論ハッジだ。メッカ(マッカ)を訪れるイスラム教徒は終生尊敬されるから、アフリカ、中国、旧ロシア衛星国、インドネシア、マレーシア、ブルネイ等から大変な数の信者が集まる。その数250万人。京都の府民が一斉に出かける計算だ。

 アラビア半島に住むイスラム教徒を一言では言えない。UAEとサウジでは劇的に違う。UAEはヨーロッパだ。オバQもいるが、ビジネスマンがスーツ、ネクタイで歩いている。会社勤めの女性も多い。普通だ。オマーンがまた凄い。マジカルカントリーだ。イラク人はハンサムが多く、イタリア人?って感じだ。でもイラク人なんていないんだろう。×△族になるはずだ。自称フェニキア(レバノン)人、アッシリア人もいるし、エジプト人もいる。出稼ぎのインド人、パキスタン人もたくさん来ていてお手伝いさんや自動車整備士はフィリピン人の独壇場だ。バングラデシュ、インドネシア、スリランカからも出稼ぎに来ていて混沌としている。

 ディズニーランドのシンデレラ城のような豪邸に住む者もいるが、一般の人は結構質素だ。一見女の地位が低いように思えるが、案外恐妻家もいて、その影響力は小さくはない。家の中で華麗な女の世界が展開されているようだ。ちょっと覗いただけでもイスラム世界は面白い。まだまだエピソードや聞いた話は山ほど残っているが、キリがないのでこの辺で。おっと、最後に一つ。

 彼らは世俗の権威を認めない。学歴、肩書に価値を置かない。ワシは日本電装の常務取締役じゃ、とかは無意味。(電装さん、ごめん。適当に名前を出した)でも、ここに来るのは初めてでしょ。駆け出しの青年が売り込みに来ても、トヨタの部長が来ても基本的(心情的)には全く対等。世俗の権力を前面に出したら嫌われる。軽蔑される。何回も会ったら親しまれる。人を見る基準は厳しいから気が抜けない。

 だから中東で商売をする日本人の個人商社の若者には、無一文からチャンスがある。オバQのこういう割り切りは清々しい。ウェットで窮屈な権威主義の管理社会、日本に住み辛ければ、青年よ。砂漠を目指せ。

                                  インシャ・アッラー



 

オバQな世界

2018年08月03日 00時02分07秒 | エッセイ
オバQな世界

 ボックはお化けのQ~太郎~。藤子不二雄氏の人気マンガも、今では忘れ去られた。オバQを知っている人はよほどのマニアか、或いは相当年がいっている。自分は別にオバQが特に好きなわけではない。ただあの貫頭衣のようなダボダボの白服を、中東の男性が着ている服に例えた奴がいた。「あのオバQ達は----」

オバケのQ太郎をくっきりとイメージ出来る自分は、何のことを言っているのか直ぐに分かった。自分は彼らの服を着たことはない。ターバンは、高校生の時に親父が従兄弟?の新聞記者から貰い、それを譲り受けた。それが気に入った自分は、大学に入って発掘のアルバイトの時に被った。

 夏場の日よけによい。砂ぼこりも、口を覆って避けられる。発掘現場(弥生後期の集落)は、関東ローム層の表土を取り去り、地べたすれすれで作業するので、砂ぼこりがすごいのだ。目は大きめの樹脂製のゴーグルでプロテクトするとよい。話しがずれた。

 ずれついでにもう少し。中東のダボダボ服を着たことはないが、印度では白いダボダボ服、ピジャマを買って着た。着てみると実に快適だ。ズボンにベルト、アンダーシャツにボタンのシャツ、そして靴下に靴。それをゴムサンダルとピジャマに代えると、ズーンと解放される。暑さが違う。締め付けが一切なくて超ー楽になる。それで何とかしんどい印度の旅を続けられるぜ。

 カルカッタ(現コルカタ)では、まとわりつく乞食が15人から7-8人に減った。金を持っていなそうに見えるのかな。服を代えるとカモがスズメに見えるらしい。人が3人は入りそうなダボダボズボン。上もゆったりした長そで。風を受けてユラユラするピジャマは、暑さを溜めない。

 あっターバンで思い出したが、彼ら(印度人ではない中東の人)はたいてい短髪で、ターバンの長い布地をかぶる前に、頭にピッタリとはまるナイトキャップか水泳帽のようなものをギュッとかぶる。色は白い。そのキャップの上にターバンを巻き、輪っかできっちりと留めるから少々の振動や風では揺るがない。

 では、印度のシーク教徒のターバンの中は?これは凄いことになっている。でも今回は省略。中世を通してアラブ人、トルコ人、ベルベル人等はゆったりした服にターバン姿。湾曲した半月刀で戦っていた。ヨーロッパの騎士が鎧兜、或いは鎖帷子を身に付けているのと好対照だ。かなり不利なように思えるが、実戦では10中7-8回は欧州勢が負けている。
 
 数で勝ったのか、機動性が良かったのか。ただ攻城戦では服やターバンに火がつきやすく、苦戦を強いられた。守る側は、城壁に取りつくムスリム勢に、ドーナツ型に編んだ枯れ草に火を点けて投げおろすだけで効果を上げていた。

 ここまで服装のことばかり書いてきたが、オバQな世界は、服よりもその中身にある。
アッサラーム・アライクム(あなたの上に平安を)
アライクム・アッサラーム(あなたの上にこそ平安を)
この言葉はイスラム社会の挨拶だが、意外なことにユダヤ人のイエス・キリストが使っていたそうだ。

 同じムスリムでも、ペルシャ人(イラン人)とトルコ人はアラブとは人種が違う。エジプトも随分異色だ。第一エジプトにはキリスト教徒(コプト教)が多い。エジプト人は人なつっこくて陽気だ。中東のフィリピンて感じ?
 
 まあアラビア半島に限っても良いけれど、典型的なムスリム、象徴的なアラブって何?砂漠の青い民、ベドウィン族のこと?石油が出る以前は、アラビア半島など、つけ根と南端の港以外は見向きもされなかった。メッカのカーバ神殿には異教徒は入れない。地中海に面した部分を除いては、見るべき遺跡はない。

 戦略的にかなめの位置にあるイスタンブールを都にして、豊饒なるナイルのたまもの、エジプトを持つオスマン・トルコが中世~近代におけるイスラム世界の中心であった。それではオバQな世界、覗いてみよう。といっても自分は、たいした中東通ではない。延べで2~3週間サウジアラビアを中心にUAE、オマーン、イエメン等を商売で訪れただけだ。

 タイ人、ベトナム人、ベンガル人、クメール人、華人、フィリピン人、ビルマ人、朝鮮人ほど深い付き合いはない。それでも中東には、ラテン・アメリカと並んで強烈な印象を抱いた。うつろいゆく四季を持ち、雨がしとしと降る極東の緑の島国、日本とはおよそかけ離れた生き方、考えを持った人たちがいる。

 今、人達と言ったが、男限定だ。サウジで見る女は、全身を黒いチャドルで覆っていて、若いのかババアなのかさっぱり分からん。顔を見るのは、7つ位以下の子供、ホテルで働く清掃のフィリピン女性だけだ。あっあと一つ。空港に行けば、各国のCAが歩いている。

 ジェッダの空港で出発便を待っていた。周りはひげもじゃのオバQ達。ちらほら混じる黒いオバQ、頭からすっぽり布で覆われた女性はじっと座って、真昼のヤモリのように動かない。

 ひげの青年(パリっとしたオバQ服に、シャレた赤いチェックのターバン)が唐突に通路で止まった。固まっている。んっ何?何かあった?彼の視線の先は通常の空港の風景。乗客だけがちょい変。ひげ青年はなかなかハンサム、哲学的な風貌をしている。

 彼は青い目を見開き、瞬きを忘れている。おい、おい、呼吸忘れてるよ、兄ちゃん。と突然、哲学青年の鼻から血が噴き出した。ドッ、バ~~と言いたくなる勢いだ。実際にはそんなに大量ではないのだろうが、2回噴射されたそれは、通路と洗い晒しの白服に真っ赤な点々。

 ハっと我に返った青年の先を、マレーシア航空のCAたちが髪を結いあげ、背筋を伸ばして颯爽と歩き去った。その服装は?スカートは?短くないじゃん。膝下でしょ。げっ青年、ふくらはぎに欲情したのか。
お前、久米仙人なのか。

 まあ分からないでもない。サウジにはエロビデオ、エロ写真、エロ本が一切ない。どらえもんのしずかちゃんの入浴シーンは削られる。あの鼻血ドッバーは無理もない。俺自身、オマーンの空港で子供の土産に買ったディズニーの❝ダンボ❞のテープを取り上げられ、出発まで預かられた。

to be continued,