旅とエッセイ 胡蝶の夢

ヤンゴン在住。ミラクルワールド、ミャンマーの魅力を発信します。

今は、横浜で引きこもり。

瞑想センター、その後の後

2020年02月29日 18時14分12秒 | 写真館
瞑想センター、その後の後

 セヤデュー(尊師)べた褒めのxx子さんが、学校に来てくれた。彼女は、明日の早朝帰国する。印度でヨガの修行を一か月半、ヤンゴンの空港から直行で瞑想センターに入り、娑婆に出るのは本日半日だけだ。
 瞑想センターからバスで来たというから驚きだ。ミンガラーバーしか話せないのに、住所だけでよく学校の場所が分かったな。折よくジョー先生の授業が終わり、スズキさんと三人で時ならぬ仏教・瞑想談義が始まった。

 彼女の話は、最初からぶっ飛んでいた。「今、どんな修行をしているんですか?」「セヤデューが、三代前世を遡れって言うんです。」えっ?最初、何を言っているのか分からなかった。サンダイゼンセをサカノボレ?
 エ、エーそれで出来たんですか?そも、人間だったんですか?そうなの、人間だったの。でも男の時は、戦争で悲惨なシーンをたくさん見ました。あっ、もちろんこれは、自分が頭の中で作り上げた幻想なのかもしれません。前世が蝶々だった方もいます。捕虫網で捕まえられたそうですが。
 いいなー、蝶々に人間。俺は、歯をむき出して威嚇するボス猿と、野原を疾走する鹿。それからカエルだった。月夜に輝く広大な田んぼ。そこにちょこっと顔を出すカエル。雄か雌かも分からない。セヤデューは、最初の猿の時に、それはお前の前世だな。ところで喧嘩には勝ったのか?と言っていた。

 でも思い出した。あれが前世なら、思い当たる。自分はその時、そんなに若くはない男で、ずっと向こうにある小さな一軒家を目指していた。心は懐かしさと切なさに満たされて泣きたい気分、嬉しい気持ち。もう少しだ。もう直ぐ会える、あの人に。
 場所も時代も分からないが、ずいぶんと変わった形の分厚い服を着ていたから、寒い所なんだろう。小さな小さな家の中。これも若いとはいえない女性がお湯を沸かし、お茶の用意をしている。何だか楽しそうな後ろ姿だ。あー、この人はよく知っている。片時も忘れたことはない。懐かしい。愛しい。でも名前は?出てこない。顔もはっきり見えない。じれったい。これほど愛しい人なのに。
 男の自分は、懐かしいドアを開けて、静かに小さな家に入る。「お待ちしていました。貴方とお茶を飲むのが夢でした。」微笑む女は、輝くほどに美しい。そして二人はテーブルにお茶を置き、午前の陽だまりが午後に代わって窓から差し込み薄れるまで、話し続ける。体中のこわばりと長年の疲れが、ゆっくりと溶けてゆくのが心地よい。
 このイメージは、たぶん数秒の間に形成された。夢ってそんなもんでしょ。瞑想中のイメージも同じだ。それが前世であろうと、なかろうとどうでもよい。

 彼女は、高野山で修行して尼の資格を取ったらしい。修行の好きな人だ。「日本の仏教は、何とか如来とか菩薩とか絢爛豪華だけど、創始者の仏陀をないがしろにしすぎでは?」「確かに仏陀は、最初の覚醒者として大切にされ尊敬されていますが、ご本人の仏陀が言っています。アーナンダよ、私の手のひらの上にある葉が見えるか?私が悟りを得て見た世界は、この森の全ての木々の葉の数ほどに広大だ。私が教えているのは、この葉っぱほどの世界に過ぎない。密教では、その森の木の葉を衆生に教えようとしています。」

 ジョー先生の祖父は晩年、瞑想三昧の生活を送り、2階の部屋に籠って3時間瞑想を続け、1時間散歩や食事をする。それを3回、一日9時間の瞑想をしていたそうだ。そんな話が次々に出てきた。とても全ては書けない。

 あの瞑想センターのセヤデューは、一体いくつなんだろう。彼女が教えてくれた。セヤデューは現在73歳で、66歳の時に出家したそうだ。へー、驚いた。生まれた時からお坊さんのようなイメージで、年も自分よりちょっと若いのかと思っていた。
瞑想する人の中には、年を取らないような人がいるらしい。

  でもある意味過激なビジュアル系の瞑想も、深化すると人の内面に向かい、映像を必要としなくなるようだ。セヤデューは彼女に体験記を書くように言い、英語の得意でない彼女が書いた文を二倍ほどに増やしたそうだ。後継者の一人にしたいのかな。

 彼女を送りがてら、市場とパゴタを訪れた。市場近くのレストランで彼女が言った。ここって、生ビールが飲めるのかしら。ひえー、ビール飲む?結局、彼女が生ビール一杯と黒ビール一杯。自分が生ビール一杯。つまみを2品。
 さらにびっくり!遠慮して吸っていたタバコを、一本頂いてもよろしいかしら?どうぞ、どうぞ。ふー美味しい。一か月半ぶりのタバコ。

 いやー、面白い女性だこと。こんな人なら、いつでも大歓迎。楽しいもの。受付の先生たちにも、プリンを買ってきてくれた。実に素敵な人でした。また会いましょう。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニイニイ先生の子犬救出劇

2020年02月25日 11時42分30秒 | 写真館
ニイニイ先生の子犬救出劇

 ニイニイさんは、我校の英語の先生である。誰が見ても美人さんだ。でも、のんびり屋の多いビルマ族の中でも、これほどマイページな人も珍しい。
 自分と先生たちは、お互いに先生であり生徒だ。ミャンマー語と日本語を相互に教えあう。ニイニイさんが生徒の時、大きな欠伸、次にあろうことか居眠りを始めた。スー、カックン。くそ、そんなにつまらなかったかよ。闘志を燃やして、マンガを教材にしたりした。
  ニイニイさんは、いつも変な座り方。どんなに小さい椅子でも器用にあぐらをかく。
 ニイニイさんは、兄弟姉妹も多い(お姉さんがまた美人。スースーとかピューピュー:仮名。とか二文字が多い)が、いとこも多い。22人いるそうだ。だからたいていの探し物や調べ事は、いとこに聞いてみるね、で事足りる。
 一緒に外出した時、電車に乗ったことが無いという。これ、どうやって乗るの?あなた、ミャンマー人でしょうが。外国人の自分が乗り方教えてどうするの。お嬢さんなんだから。
 今まで行ったイベントは、全てニイニイさんに助けてもらった。ニイニイさんは、おもてなし好きで、楽しいことが大好き。特に食べ物関連のイベントは、彼女に任せるに限る。近所の食べ物屋情報に詳しい。あの麺ならどこ。ケーキは、チーズケーキならあそこ、デコレーションならどこそこ。
 ニイニイさんは、占いイベントの用意をほとんど一人でこなした。安い仏具にテーブルクロス。金の立派な仏像。控室のお茶セットとお菓子。仏像は、占い師さんから借りたのだと思っていたら、あれ、彼氏に持ってきてもらった。そう、残念でした。彼女には格好良い彼氏がいる。
 凄いなニイニイさん。でも二階の階段上を仕切るカーテンが、ツンツルテンでした。ニイニイさん、メジャーで測っていたのに何故?ここいらへんがご愛敬。
 信じられないのだが、一番痩せているニイニイさんが一番大食いなんだ。彼女の弁当はとにかくでかい。よく食うわ食うわ。おしゃべりしながら、次々と平らげる。見ていて壮観。他の先生は、ダイエットとかいって小さい弁当箱だが(結局おかずを分け合うので一緒)、ニイニイさんのはでかい。
 ニイニイさんの笑い声が好きだ。まず両の眉毛がグインと動き、両端が思いっきり下がる。口がすぼまり、ニーっと開く。ケヘヘヘヘ、のような声。いーなー、ニイニイさんの笑い声。この笑い声はそう簡単には出ない。普段は、エヘヘ程度だ。
 自分の漢字のレッスン。ニイニイさんが、「えっと、これは"れ"でしょ。これは"ね"。」「あのねニイニイさん、これは漢字のレッスン。ひらがなのレッスンではないの。」するとでた。ケヘヘヘヘ。


 本題に入るよ。スズキさんが、朝言っていた。「昨夜は、眠れませんでした。出産なのか、犬が一晩中騒いでうるさくて。」昼頃、キッチンの外が喧しい。子犬がキャンキャンと鳴き止まない。何だ、何? キッチンの窓を開けるが、身を乗り出しても分からない。っていうか、窓を開けると、こんなに明るかったの。
 子犬が集まっているのだが、何が起きているのかは見えない。母犬もウロウロしている。キッチンからは鉄枠がはめられていて、表に出られないのだ。するとニイニイさんが動いた。学校の脇の狭い通路を塞いでいる薄い扉によじ登り、スルスルと向こう側に降りてゆく。えー、ここを通るの?
 わっ、でも学校の内側からは出られない。自分もやっと乗り越えた。扉の内側に枠があって助かった。サンダル履きじゃあきついよ、これ。
 行ってみて状況は直ぐに分かった。排水溝の向こうの小さな隙間、その向こうに子犬が取り残されている。この小さな出入り口は子犬でしか通れない。でもその先の通路は塞がっている。出るに出られず、か。
 手を伸ばして子犬を抱き上げようとすると、子犬は後ずさる。母犬が近づいてきて唸り声を出す。ニイニイさんは、中にいる先生たちに声を掛けた。するとゴミ箱をあさったりして、食べ物がビニール袋で渡された。
 何をするの、ニイニイさん。彼女は食べ物を地面に置いた。警戒して行ったり来たりする母犬が、その匂いに釣られて近づき食べ始めた。もっと、もっと食べ物を。食べ物は追加される。そこに子犬の集団が来た。5-6匹のコロコロした子犬軍団だ。するとニイニイさんの目じりがキューと下がる。お顔に笑顔が浮かぶが、ニイニイさん今はそれどころでは。
 おっぱいの張った母犬は、なかなか警戒を解かない。もっと何か食べ物はない?
ついにとうもろこしの半分が投げ込まれた。それ、自分が今朝圧力炊飯器で調理したやつじゃん。結局、犬はとうもろこしを食べなかった。もったいない。
 これで思い出した。七人の侍の最初のころにこんなシーンがあったな。子供を人質に立てこもった盗賊がいた。志村喬が頭を丸めてお坊さんに扮し、お握りを持って近づく。お握りを受け取って意識が散ったすきに、子どもを引っ張り出してグサっ。
 でもニイニイさん、これ何で子犬の出入り口の近くに置くの?もっと離れた所にすれば良いのに。結局、腹を満たしてちょっと落ち着いた母犬を自分が見張り、ニイニイさんが、出入り口の壁を乗り越えて子犬を救出した。その間、約20分。



この隙間の向こうに行ってしまった。



ニイニイさんは、ここを乗り越えた。


  格好良かったなー、ニイニイさん。若い先生たちの間では、一番年長なのに全然威張らない。主導権を取ろうとしない。
 ニイニイさんは生徒に人気があるから、いつもレッスンは一杯。でも人一倍レッスンの準備とシュミレーションをするニイニイさん。
 この文を書いてもいい?って聞いたら、何で?当たり前でしょ。日本人は子犬を助けないの?でもOKしてくれました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街角散歩

2020年02月23日 11時24分54秒 | 写真館
街角散歩











 街の一坪店舗の撮影をしたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瞑想センター その後

2020年02月19日 17時37分32秒 | エッセイ
瞑想センター その後

 昨日、瞑想センターに行ってきた。やっぱ遠いや。空港よりも北にある。バスで出来るだけ北上し、そこからタクシーに乗ったのだが、それでもずいぶん高かった。時間もダウンタウンの学校からたっぷり1時間半かかった。
 しかもタクシーの運転手が場所が分からなくて、20分くらいウロウロした。やっと見つけたセンターは、何も変わっていなかった。セヤデュー(尊師)が階段の上で待っていらっしゃった。お元気そうだ。ニコニコしていらっしゃる。

 そも、何故ここに来たのか?話は遡るが、自分のブログの中の記事、ミャンマー、瞑想センターの一週間(Seven days in meditation center)を読んでくれたのは、多分全員日本人で延べ3~5千人くらいか。いいなあ、俺も(私も)やってみたい、瞑想。こんな感想を漏らしたのは、5~10人くらいか。でもそれを行動に移したのはたった一人の女性だった。
 ヨガのインストラクターをしている方で、有髪だが尼さんとのこと。この方が、ブログにコンタクトしてこられたので、大森で一度会いセンターの本を渡して話しをした。
 その後、時々メールのやり取りをしたが連絡が切れたので、Give up したかと思った。たまたまメールを送るとすぐ返信がきて、明日インドから来緬して、空港から直接センター入りする、という。
 ぶっ魂消たなー、もし。凄いな、この人は。ちょっと前に、日本から来たお嬢さんをアテンドした。このお嬢は、英語が駄目で、これが食べられない、水シャワーなどとんでもないと手間がかかった。
 でもこの人は手間が掛からなすぎる。そこで自分は彼女に会いにいったわけ。
セヤデュー(尊師)は、自分のことをよく覚えていてくれた。11月からこちらに住んで、日本語教師をやると言っていたな。その通りです。
 いつまでいるんだ?まあ、最低3年は。ほー。いつが休みだ。木曜日です。それなら毎週ここにくればよい。そうだ、水掛祭の時はどうだ。学校も休みだろう。等々。
お前さんとは、これからも会いたい。何度でも会おう。といってくださった。ありがとうございます。不詳の弟子ですが、この人を呼んだということで、ミニマム・デューティーは果たした、ことにして下さい。

 彼女は、めっちゃ落ち着いている。尊師の前でも自然体だ。自分は、汗が出てきた。尊師は、彼女が大変気に入っている。凄いぞ、xx子は。自分の行ったレベルのはるか上を行っているそうだ。
 何でも、ピンポン玉のような2つの光の玉を思い浮かべて、それを輝かしたりグルグル廻したり。「セヤデューったら、無茶をおっしゃるんですよ。その球をバガンに飛ばせ、シェダゴン・パゴタに行け。」ひえー!あんたは、超能力者か。

 尊師にもらったパンフレットにアリーちゃんが載っているじゃないか。彼女は武漢の人だから、心配していたんだ。あれアリーちゃん、31歳?自分の記憶では21か22歳だったが。アリーちゃんはアメリカに住んで、瞑想のインストラクターをやっているようだ。このセンターの他にもずいぶん多くの瞑想センターで修行している。
 彼女は、アメリカ人だったんだね。だから、漢字の確認のためにスマホを使ったり、顔を異常に近づけて話したりしたんだ。良かった。今武漢にいないのなら。

 尼さんの彼女は、今瞑想センターで修行中です。のんびりとやっています。と言っていたが、瞑想が今とてもいい感じなので、ギリギリまで修行して空港に直行するかもしれないと言っている。
 また何かあれば、報告するね。

センター近くの街角
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バス難渋

2020年02月18日 08時55分14秒 | エッセイ
バス難渋

 ミャンマーの路線バスに悪戦苦闘している。バス代は200チャット(14円)と、タダ同然なのだが、まずバス停を探すのが一苦労。どこも学校から離れていて20分くらいは普通に歩く。そしてバス停ではない所でも人は待っていて、乗ったりする。乗るのも降りるのも大変だ。運転手は一人や二人だときちんと停まらないし、直ぐに降りないと動き出す。人がちょっと途切れると、直ぐにドアを閉める。
 たいていのバスは韓国製だが、ブザーが少ない。4つくらいしかない。ミャンマー人なら声を掛け合えるが、こちらは困る。乗り心地は最低で、運よく座れても、どこかに掴まる必要がある。立っていたら、両手で掴まる。移動はバランスを取って、飛ぶようにして3歩の空中散歩で後ろに行く。
 整備が悪いのだろう、サスペンションはガタガタで、時々ブレーキの摩擦材が擦り切れてキーキーと金属音がする。それでも乗っている人々は全然イライラせずに、席を譲り合い、荷物を膝に置きあったりしている。お坊さんが乗れば席を譲るが、少年僧は、これを断ったりする。
 お坊さんが座ると、隣の女性は席を立ち男性と替わる。接触を避けるためだ。
 バスは番号表示なのだが、時々ミャンマー数字の表示だけのバスが来る。数字を覚えればよいのだが、5,6, あれは7でしょ、とかやっていると乗り遅れる。ここのバスはバス停が混んでいると、遠くに停まったり、行き過ぎたりするから、走って飛び乗らないと去ってしまう。


 北の方の学校へ行く時は楽だった。とにかく北へ行くバスに乗ればよい。学校の先生たちに聞いて、バスの番号を4つくらい教えてもらった。スマホのマップに目的地を入力して、近づいたら降りる。バッチリだ。でも帰りはそうはいかない。
 とにかく学校の方向に近づいた。これ以上は近づかないな、降りようか。ここで降りれば30分はかかるまい。道は頭に入っている。いやもう一駅。すると立体交差をハイスピードで超え、人民公園。止まらない、止まらない。広い人民公園の端から端まで止まらない。やっと降りると、日中の日差しの中、どひゃーこれじゃあ歩いて40分。

 エアポートバスがまた曲者だ。これに乗れば500チャット(35円)で空港の出発口に着く。地図にバス停のAの字が書いてある。でも先生に聞くと、このバス停のエアポートバスは空港からの下りで、ダウンタウン(南)へ行って20分くらいしてから戻ってきて空港(北)へ行くという。そのまま乗っていてもよいそうだ。
 では、直接空港へ行くバス停は?地図には載っていない。説明を聞き、ミャンマー語でバス停名を書いてもらい、探したのだがよく分からない。何人かに聞いたが、要領を得ない。しゃーない。とにかく北へ行くバスに乗ろう。37番に乗ると、何と空港へ一直線。
 ところがギューギューの混みようで、ミキサーの中のオレンジのように振り回される。途中で出口から逆行して、労働者の一群がただ乗りしてきた。限界までグイグイと入って来るじゃあありませんか。結局空港の近くで降りてタクシーに乗った。タクシー代の節約にはなった。

 新しく週二回行く学校は、すぐ前がバス停だ。ここに行くバスも二度乗り間違えた。一度はバス停違いで、一度は反対方向へ。共に目的の番号が来ないので、適当な番号に乗ったらよけいに遠くなった。3度目の挑戦で行きは成功した。でも帰りは遠い。

 40年前のバンコクには、素晴らしいバス地図があった。その当時のバンコクには、公共交通はバスしかなかった。運賃は安かった。エアコンバスと普通バス。色分けして番号が地図の道路に記載されていた。目的地に行く番号と出発地が合致すれば、どこにでも行けた。こんなのがあればなー。

*あった。あった。ありました。JICAさんが作ったヤンゴン、バス路線図。素晴らしい。拍手!でもプリントアウトすると、数字が潰れて読めない。学校のプリンターの性能のせいかと思って、街の印刷屋さんでプリントアウトしたが同じだった。A3にしても数字が読めない。これはJICAへ行ってもらうしかない。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする