「北の山・じろう」日記

内容は主に時事問題。時々株式投資関係の記事も交じります。

調べるほどに分からなくなるコーカサス地方の歴史と今<2023年9月

2023-09-10 12:38:37 | ロシアと周辺国

コーカサス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B9

そもそもコーカサス地方がどの地域であるか知らない人の方が多いと思います。世界中、そうだと思います。地域としては、マイナーだからです。
私も知らないので調べてみる気になりました。
ウクライナ紛争の関連記事を読んでいるとこの地域の記事が沢山出てきます。しかし、それがどこなのかは今日まで知りませんでした。

コーカサス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B9

『北コーカサス』
ロシア 北カフカース連邦管区
ダゲスタン共和国
北オセチア共和国
バルカル共和国
カラチャイ・チェルケス共和国
イングーシ共和国
チェチェン共和国
スタヴロポリ地方
ロシア 南部連邦管区(一部)
アディゲ共和国
ラスノダール地方

『南コーカサス』
アゼルバイジャン共和国
アルツァフ共和国(別称ナゴルノ・カラバフ共和国)
アルメニア共和国
ジョージア
アブハジア共和国
南オセチア共和国

「全体的に山がちな地形で、山あいには様々な言語、文化、宗教をもった民族集団が複雑に入り組んで暮らしており、地球上でもっとも民族的に多様な地域であると言われる。 」

地図を言葉で言うなら、西に黒海があり東にカスピ海があります。ロシアとトルコ・イランを結ぶ陸の回廊です。この地域を南北に行き来する大国の通り道です。

大国の興亡が有る度に様々な民族がそれに伴って往来し、住み着きます。その結果、沢山の民族と沢山の宗教、沢山の風習が生まれます。大体、この近辺の民族は全部住んでいると考えると正しいと思います。

ロシア周辺の国境紛争や民族紛争は、ほぼこの地域で起きています。北にロシアがあり南にトルコとイランがある構図は同じです。イランは、コーカサス地方には出てきません。イランは、トルコの南の方を西に勢力を伸ばそうとしています。

だから、この地域で勢力を伸ばそうとするのはロシアとトルコです。ロシア帝国とオスマン・トルコの鬩ぎあいがまた現代に復活しつつあると言えます。旧ソ連が崩壊するまでは、トルコは弱体であり旧ソ連は強大でした。

しかし、旧ソ連崩壊後はロシアが弱体化しトルコが経済発展を遂げた結果、徐々に差が縮まりつつあります。

ロシアは、失った旧ソ連圏の国々を取り戻すために様々な謀略や戦争をしてきました。

その結果、出来上がった如何にも胡散臭い独立国と称する地域が・・・
アブハジア共和国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%8F%E3%82%B8%E3%82%A2
南オセチア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E3%82%AA%E3%82%BB%E3%83%81%E3%82%A2
沿ドニエストル共和国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BF%E3%83%89%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD
です。
最近作ったインチキ国家は、明らかに急造で出来が悪すぎてロシアの傀儡政権にしか見えません。
ルガンスク人民共和国
ドネツク人民共和国
ロシアの目的は、ウクライナとモルドバを軍事的に占領することだと、はっきり分かりました。そのためNATOは、ウクライナを支持して支援し、ロシアの西進を食い止めることを決定しました。

※今回は、アルツァフ共和国の方をやや詳しく見てみます。
アルツァフ共和国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%95%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD
旧ソ連崩壊後、アルメニアとアゼルバイジャンが独立しました。この時、旧ソ連の行政区分で言うと「ナゴルノ・カラバフ自治州」も独立を宣言します。その時の地図を見ると分かりますが、アゼルバイジャンの領土の中の飛び地です。独立しても国家として存続するのは、不可能な状態でした。普通に考えるなら、アルツァフ共和国はアルメニアの傀儡政権と言うべきでしょうね。その後の、アゼルバイジャンとの戦争をアルツァフ共和国が単独で戦うのは、不可能です。
ナゴルノ・カラバフ戦争1988年 - 1991年2月
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%95%E6%88%A6%E4%BA%89

経過は省略しますが、6年間の戦闘の末、1994年5月12日午前0時1分に停戦が成立しました。この間にアルツァフ共和国は、かなり周辺地域で占領地を拡大しました。これが、その後長く続くナゴルノ・カラバフ紛争の原因になります。簡単に言うと周囲のアゼルバイジャンの領土を、かなり軍事侵略したと言うことです。

最初のうちは、優勢であったアルツァフ共和国とアゼルバイジャンの力関係は、徐々に変化します。国内を安定させて、国力が伸長しつつあったトルコからの支援を受けたアゼルバイジャン軍がアルツァフ共和国を圧迫をするようになります。そうなるとアルメニアの支援にしか頼れないアルツァフ共和国は敗北を続けました。軍事力で占領した占領地はアゼルバイジャンに奪い返されて、以前の「ナゴルノ・カラバフ自治州」に押し戻されて、アルメニアとの陸路も封鎖されそうになりました。

この時ロシアの仲介で和平が成立して、そのまま現在に至っています。
しかし、アルツァフ共和国が占領地を広げる過程でその地域に住んでいたアゼルバイジャン人は追放されて国内難民となって現在も、その状態は全部解消されては、いません。そして追放の過程でかなりの残虐行為があったと思われます。

だから、紛争が長く続いただけにアゼルバイジャン国民としては、停戦が成立したからそれで終わりとはならない国民感情があります。まして今は、国内が整備されてアゼルバイジャン軍が圧倒的に優位な状況があります。ほぼ、飛び地と化したアルツァフ共和国にアルメニアが軍隊を派遣するのは不可能です。そうすれば、アゼルバイジャンとの全面戦争になります。

勝てるならそれも選択肢ですが、強化されたアゼルバイジャン軍とそれを徹底的に支援するであろうトルコとの力関係を考えるなら、アルメニアに勝ち目はありません。

ロシアが全く頼りにならないのは、明白で今ではアルツァフ共和国の生命線である「ラチン回廊」の守備さえロシアの駐留平和維持部隊が放棄することさえあります。

更に悪いことにアゼルバイジャンの領土を南北にアルメニア領が遮っています。
「分断されていた飛び地ナヒチェヴァン自治共和国とアゼルバイジャン本土を結ぶ輸送路を獲得した。」
しかし、これでは不十分であり引き続き輸送路の強化を図るでしょう。

更に不都合なことにアルメニアの南に出っ張った領土は、トルコにも邪魔です。その出っ張りを何とかするようにアゼルバイジャンを嗾けるのは、ほぼ確実です。すでに、やっていると思いますが・・・

まだまだ、当分終わりそうにありません。

※そして一見、今見るとアルメニアが被害者的に見えますが・・・
旧ソ連崩壊後の経緯を見るなら、アルツァフ共和国=アルメニアが周辺のアゼルバイジャンの領土を軍事侵略して占領しています。ほぼ旧ユーゴスラビアでセルビアが周辺諸国にした軍事侵略と同じことをアルツァフ共和国=アルメニアがしていたという事実に気が付きます。

そこら辺をキレイに無視して欧米諸国は、一方的にアゼルバイジャンを悪者にしているように見えます。軍事侵略された領土をアゼルバイジャンが軍事力で回復したことは、悪いことなのか?という疑問が浮かんできます。

一方的に軍事侵略をしたセルビアや今回のロシアが悪いのであれば、アルツァフ共和国=アルメニアも悪いことになります。戦場になったのは、全部アゼルバイジャンの領土です。



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