「北の山・じろう」日記

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将棋>史上最強の棋士は誰か?2023年5月

2023-05-30 17:59:29 | 日本の社会

大山康晴十五世名人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E5%BA%B7%E6%99%B4

単なる数字だけの比較なら、違うかもしれません。
しかし、獲得したタイトル数や通算勝利数以外に功績があります。

現役でありながら・
1976年12月から1989年5月
日本将棋連盟の会長を務めています。そして、様々な活動に従事し将棋の普及に努めました。こんな事をした人は他には、いません。

「50歳代にもかかわらず十段1期・棋聖7期・王将3期の計11期を獲得した。(59歳の王将位獲得は、タイトル獲得の最年長記録)」

晩年期には、肝臓がんと闘病しながら何度も復帰してA級順位戦を闘い続けました。
平成元年度の1990年(平成2年)には棋王戦で66歳にして南芳一棋王に挑戦したのが最後のタイトル挑戦です。

「タイトル挑戦の最高齢記録である。(五番勝負は0-3で奪取ならず)」

「1992年6月14日に高松市「高松市民会館」で行われた第13回将棋日本シリーズ1回戦(公開対局)での小林健二との対局において勝利し(147手)、公式戦通算成績を1433勝とした。これが大山の棋士人生最後の勝利となった。 」

「1992年6月25日の棋聖戦二次予選での中村修との対局(146手で中村の勝ち)が大山の生涯最期の公式戦対局となり、53年間余りの公式戦通算成績を1433勝781敗(勝率0.647)として棋士人生を終えた。それから1ヶ月後の7月26日、大山はA級の地位を守ったまま死去した。」

将棋の鬼であり勝負の鬼です。
生涯A級棋士であった人は、他にもいます。(若くして病死)しかし、69歳で死去するまで現役のA級棋士であった人はいません。

大抵の記録は、羽生善治十九世名人が歴代1位で大山康晴十五世名人は歴代2位です。
その羽生善治十九世名人でも追い抜けない記録は、いくつもあります。

順位戦最高クラス A級連続44期などは、誰も追い抜くことは出来ないでしょう。
羽生善治十九世名人は今52歳で順位戦クラスはB級1組です。

天才・藤井聡太竜王は去年、19歳で順位戦最高クラス A級に昇格しました。63歳まで陥落しなければ、大山康晴十五世名人のA級・連続在籍記録に並ぶことが出来ます。

昔は、棋士が頂上に上り詰めるのが遅く・
大山康晴十五世名人が初めて名人位のタイトルを獲得したのは、1952年(昭和27年)29歳の時です。
名人位の通算タイトル数は、通算18期。
13連覇。

大山康晴十五世名人が史上最強の棋士であり、時代がどう変わろうとこれを超える棋士は、もう現れないと思います。

天才・藤井聡太竜王が超えるべき壁は、羽生善治十九世名人ではなく、大山康晴十五世名人です。

☆ご参考
タイトルは、あとの時代に作られたものもあり大山康晴の時代にあったタイトルの獲得数を比較してみます。当時は、タイトルは7ではなく5でした。

大山康晴
名人18期
王位12期
王将20期
棋聖16期
竜王 (九段6期 十段8期)計14期
「計80期」

羽生善治
名人9期
王位18期
王将12期
棋聖16期
竜王7期
「計62期」

中原誠
名人15期
王位8期
王将7期
棋聖16期
竜王 (十段11期)計11期
「計57期」

当時は、タイトルの数も少なく対局数も今より少なかったのです。だから、主要タイトルの獲得数を合計してみました。大山康晴時代に存在した主要タイトルに限れば段トツの1位です。比較するなら、「羽生善治」は「中原誠」よりは少し上ですが、「大山康晴」には遠く及びません。
単なる、トータルの数字の合計とは、違いますね?

2大タイトルである名人位と竜王 位で比較すると更に差があります。
「大山康晴」32期。「中原誠」26期。「羽生善治」16期。

私が、「大山康晴」を史上最強と考える理由です。少ない時代の数字ですら圧倒的な2位です。



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