通俗修験問答 - 抖擻(とそう)の二文字について - 藤井大瞋
問・・・常行の抖擻などゝ承(うけたまわ)りますと、如何にもむづかしい修行のやうに思はれますが、實を申しますと、私共はお山へ登る時でさへ、兎(と)もすれば精進が悪く、なまけ勝ちなのですから、家にゐてはとてもむづかしい修行といふようなことは出来かねます。殊にそれぞれ職業をもつてゐますので、毎日の仕事に追はれて、朝夕のお勤(つと)めさへも碌々(ろくろく)出来ないという有様ですから、到底(とうてい)私共には實行不可能なことではないでせうか。
答・・・いえいえ私のいふ常行抖擻は決して、ソンナにむづかしいことではありません。言葉がかたくるしいので、さようにむづかしく考へられたのであろうと思ひますが、實は常行抖擻などゝ云つても、別段異つた修行を積むのではなく、たゞ平(ひら)たく云へば人間としての道を正しく履(ふ)んでゆくといふことに歸するのです。如何にお山へ登つて入峰修行の度數を重ねましても家にゐて、その日その日の暮らしをたてる上に、人間としての正しい道をふまず、邪道(よこみち)ばかりを歩むやうでは、折角の入峰修行、別時(べつじ)の抖擻が何にもならない。かくては修験道信者として高祖に申譯(もうしわけ)がないのみか、日本の國民としても陛下に相すまず、われとわが身が恥(はづ)かしい次第ですから、お互は何が何でも不断に、人間としての正道を辿(たど)り、人間としての完成を念願(ねんがん)してその日その日を送ることが肝要です。これやがて修験道の所謂常行抖擻であります。